僕がまだ幼稚園くらいのときのある日、うちに猫がやって来ました。
その猫に兄貴とふたりで「アムロ」という名前をつけました。
一緒に遊んだり、じゃれたり、こたつに入ってあったまったり、
一緒に大きくなりました。
ある日、僕がもう少し大きくなったとき、
アムロは車にひかれて死んでしまいました。
僕は泣きました。
僕が小学校くらいのときのある日、うちにまた猫がやってきました。
その猫に兄貴とふたりで「ジム」という名前をつけました。
その猫はほんとうに頭がよくて、
「おて」、「おすわり」、「まて」はもちろんのこと、
その近所のなわばり争いに勝ちつづけたようでした。
夜にはよく猫と猫のケンカをする鳴き声が聞こえました。
ジムはかしこくって、本当は甘えるような性格ではないかもしれないのに、
頭をなでるとじゃれるようにして、呼ぶと近くにくるし
んで、じゃれた後は「へっ!」って感じで
ふらーっと、どっかにいったりしました。
よばないならよばないで、ひとりで毛づくろいをしてたり
おおきいお腹をでーんとだして、気持ちよさそうに寝てたりします。
そんなジムと一緒に大きくなりました。
ある日、僕がもう少しおおきくなったとき、
ジムは姿をあらわさなくなりました。
僕は心配になってさがしましたが、見つかりませんでした。
僕が大学生のときのある日、うちに猫がやって来ました。
その猫に兄貴は「あめり」という名前をつけました。
あめりはあまえんぼうで、やきもちやきでした。
もう一匹、「あめり」のほかに一緒にきた猫のほうをかわいがると
あめりは「フーッ!!」ってその猫にたいしておこりだしたり、
僕が寝ている2段ベッドのうえにひょいっとのぼってきて
僕の顔をふんずけて、布団のなかに入ろうとしたりしました。
僕が学校に行くときの
駅へむかう途中までも、あめりはついてきたりしました。
ある日、僕はその家から出なくてはならないことになりました。
あめりを置いていって。
ほんとうに好きになったものって、区別してないんだなあ。
ひとはひと、ねこはねこって、思ったりしてない。
同じように悪いことしたらゴメンねって気持ちになる、
あんまり気にかけてないと、猫もぶすっとする。
ウンチする場所をしっかりおしえたのにできないと
ほんとうにイラッとするし、すごい怒った。
網戸にひっかききずをたくさん作ったときも。
でも、そんなことで怒りながらも
きれいなひっかき傷ひとつない網戸にふと目をやると
「まえの家ではぼろぼろだったなぁ。」とか思って、
「また猫かいたいなあ」ってなる。
道ばたで首輪のついた猫をみると、
一緒におおきくなった猫をおもいだします。
思いどおりにいかないときは怒るのに、
ウンチ散らかされるのも嫌なのに、
猫が死んでしまうとき、悲しいのに。
道ばたで首輪のついてない猫をみると、
こうおもってしまいます。
「ついてこないかなあ」って。
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