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おやじ3

2012-02-04 19:16:42 | 「ひととヒト」

「しなのや」から南林間駅までの道。

道を選ばずに、思うままに歩き出しました。

南林間までの道で、いつも選ぶ道は兄貴と同じだったようで

久々に歩く南林間までの道は

回想したのち、特に意識もせずにも

ある時の映像そのままで、思い出を思い起こさせてくれます。


前に住んでたアパートの前を通り過ぎて、

南林間駅近くの銭湯「松の湯」へ向かいました。



ここも小さいころからずっと頻繁に来てた場所。

昔よく、サウナにどれだけ長く居られるかを競いました。

「思いっきり流せよ」とおやじに言われ、

本気の力でおやじの背中を流しました。

サウナを入った後に、ポカリを買ってきてくれました。

体を洗っている最中には、水を掛けられました。

風呂上がりには、必ずアイスを食べて帰りました。



「おやじ」

ひとつの同じ言葉でも

その言葉に対するニュアンスのとり方、

受ける感情、言葉のイメージは人それぞれです。

小さい時、好きな人の名前を

クラス名簿で見つけたらドキドキしました。

ある人は、その名前を見ても何も感じないかもしれません。

名前に限らず、言葉のとらえ方感じ方は

その人が今までその言葉に

どう触れてきて、どう使ってきて

どう関わってきたかがそのまま出るものだと思います。

僕はこの「おやじ」という言葉に、

少し胸が苦しくなるような気持ちにさせられます。



おやじは毎日、お酒が抜けませんでした。

機嫌の悪い時は、家族に暴力をふるいました。

強面だけれど、どこか子供の様な

無邪気な笑顔を持ってました。

お酒の入っていない時は、感情はあまり表に出さず

包み込むような優しさを持っている人でした。

小さい時は週末必ず車でどこかに連れてってくれて、

楽しいことが大好きな人でした。

自分が何か落ち込むような出来事があっても

それを根掘り葉掘り聞くこともなく

「お前は大丈夫だ」と自信を持たせてくれました。

夫婦でどんなに仲が悪くても、

誰かとケンカをして帰ってきた時には

おやじと母親は二人で必ず守ってくれました。



尊敬してる部分も、大嫌いな部分も

全部ひっくるめて、それが自分の「おやじ」。

「あの時、こうあったら今も幸せにいきてるかもしれない」

そう思っても、自分のおやじは亡くなって

その時は自分のことで精いっぱいで、

「おやじ」について深く考える事も出来なかった。



よくおやじは戦争に行ったおじいちゃんの話をしてくれました。

「お前のおじいちゃんは戦争にいってきてな..」

テレビをみながら、その時は煙たく聞いてた話も

語り繋ぐことでしか伝えられない、

人の記憶の中でしか残っていない、

亡くなったひとが「この世に存在していた」っていう証を

伝えるための大切な事だったんだ。



おやじが生きた証は、この世に何か残る形としては残していません。

自分の中で残っている「おやじ」の記憶は

やっぱり同じように、煙たい顔をされながら

何度も何度も、未来の自分の子供に話すことでしか

伝えられないんだって感じました。






この日はアイスは食べずに、

久々に湯船にゆっくりつかって

そのあったかさそのままで、時間も夜に。

何故か帰りは、多くの言葉は交わさずに

「またね」を最後に

兄貴と僕は、横浜へ帰りました。





慣れ親しんだ道を歩きました。

降りた駅は「大和」、

そこからいつもならば電車で向かう

前に住んでた場所「南林間」までの道を

今日は兄貴と二人で遠回り。


意識もしないでふらっと歩いたその道には

長い期間あけなかった

こころの奥底にある思い出をあける鍵が

落ちていたのでした。



その鍵をまた、

「何処へしまったか」を忘れてしまった時は

兄貴と二人で、気のままに

思い出の場所を歩いてみようと思います。





終わり。



読んでいただき、ありがとうございます。3本立てで綴らせていただきましたが、前回までのリンクを張らせていただきます。

目を通して頂けたら、幸いです。
いつも、ありがとうございます。

おやじ
おやじ2





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