Self Innovation~One By One~

5年間、どうもありがとう。

伝える自信を喪失してから取り組んだこと。

2016-12-06 23:37:59 | メンタル
こんばんは、
ダニ進一です。
やっぱり
おふくろさんより
おとうとさんの方が恐いです。

僕は
人と関わることに対して
少なくとも二度ドン底
経験しています。
1学生時代
2うつになった職場時代~復帰まで

今よくよく分析してみると、
発生要因が別ではあります。
後に説明しますが、
ただ共通なのは
自分はまともな日本語を
話せていない。
何を言っても
分かってもらえないのではないか?


という気持ちで
完全に自信喪失していました。

1の底
何回かお話ししましたが、
幼稚園から
11年もいじめられていた=画鋲日常、物ない日常
ので、
基本、受け入れられない僕。常識。
と理解していて、
それを受け入れる大変さ
から始まり、這い上がるのに
苦労だらけ
でした。

ただそれは
家族以外の人と触れ合ってから
最初から
でしたし、
若干途中でPTAあたりが
絡んでは来ますが、
それでも
子供の感覚だから、
狭い学校という世界だから、

と自分の中で理由づけができ、
学校や会社の
外の世界の方と話す機会を設けたり、
会話術や話題を勉強したり
して、
それなりに
前の職場でも
人の間に入って
互いの話を聞くような
ポジションにもなれていたくらい、
会話には
ある程度の自信がありました。



…が、
うつになった
2の底。
この時は
1で積み上げて、
自信としてきた
ことを
一時的にでも
全て否定することに
なってしまった。

最初から0なのと
あったものが0に減る
のは同じ0なのに
壊れ方も戻り方も
半端なく違いました。

※社会的な立場の違いや
精神的な成長の段階も関わる
とは思います。

何故ダメだったのか、
から始めないといけなかった。
今から考えると
相手の話に
一貫性がなかったことや
それが
感情から起こる言葉であるから

というところからで、
必ずしも言葉=評価ではなかった、
と思えますが、
少なくとも
あの時はそれが分からなかった。

そこに適応できなければ
やはり適応障害とされてしまうのか。
会話の食い違いであるのに
なぜ片方だけに
適応性の障害を求められたのか。
発達障害であることには
抵抗はありませんが、
そこには疑問が残ります。
(適応障害は一時的なものです。
コミュニケーションの事故
みたいなもの
と僕は捉えています。)

少なくとも今は
障害者のわりには
という見られ方をする必要がなくなる
努力を続けたいと思います。


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