

おはようございます。
ビリギャル風にまとめましたが
この通りです(笑)
ホントの武勇伝は
35年生きていてこれしかないです。
追記。
36年経っても、です。
違う武勇伝は
I'm a perfect human.
オリエンタルラジオを軽く超えられますが(笑)
これしか自慢できんですよ。どうか許してください(笑)
時代は一度
小学校2年のときに遡ります。
全校集会の催しもので○×ゲームがありました。
この無駄な記憶力を
なぜ
大学入試になぜ使わなかったんだ?
という
ツッコミは控えていただいて(笑)
『クリスマスツリーの木は
もみの木である。○か×か?』
という問題で
もみの木自体を知らないのに、
なんか
全校生徒が○だから
スギの木だろ、みんなと一緒はやだし、
×にしよ、と
僕はひねくれ精神でひとり×に立ちました。
10秒後
僕は
学校全体の笑い者
になりました。
という伏線を
先に説明した上での話です。
翌年
小学校3年2組、9歳
『変わってる
4コマ漫画を書いてる変な子、
たにお』こと
僕に再度選択の判断を迫られました。
再び○×ゲームです。
『子供の歯は28本、
大人の歯は32本、
ブタの歯は44本である。○か×か?』
というクイズでした。
全校生徒368人は
ブタの歯のあまりの多さに
それはないだろと×
に行きました。
ところが僕は
聞いた瞬間に
○を
確信していました。
理由は2つ。
1 過去に読んだ本で
子供と大人の本数は
合っているのを知っていた。
2 そもそも○×ゲームで
○×を問うワードが
2つ以上あるはずがない。あるとしても
全部○か、
全部×だけ。
『子供大人は○だけど
ブタだけ違いましたから~×』
という面倒な解説はしないだろう。
2つは確実に合ってるから、
全部○。
ブタも絶対合ってる。
というのを説明はできないまでも
本能的に理解していました。
○に行くぞ。
変人少年たにおは
またもひとりで立ちました。
向かいには368人の嘲笑が。
あいつ2回目だぞ、
またやってるぞ~アホだなあキモくね?
的空気を感じていましたが、
去年と違って
確信があったので
「お前ら
10秒後に
その笑いを後悔させてやる。」
と信じて答えを待っていました。
答えは
○でした!
『正解者は
3年2組の
林谷隆志君
ひとりでした!』←なんで俺の名前知ってんねん!
笑い声が一瞬にして驚きになり
歓喜になりました。
僕は全校生徒の渦の中胴上げまでされました。
5年くらい
ペナントレースを優勝したくらいの人数でした。
この笑い声を
一瞬で驚きに変えた瞬間の感覚は
今でも覚えてるし
最高に気持ち良かった。
ただ
教室に戻ったら
すみっこで
つまらないギャグ漫画を描く
暗い変人に戻り
以降は何事もなく、
違う意味では何事だらけに過ごしました。
『ただ人と違う自分にする』だけ で失敗し
『自分はこうだ、
と信じたことが
偶然人の考えていないこと』で成功した。
これって
僕の永遠のテーマなのかなと思ってます。
ただ僕としては
違うと分かっても
皆と同じ答えで間違えて
『そうだったんだね~』
で済ませちゃう協調性も
社会人には
必要なときもあるのかな、
と悩みのたねではあるんです。
でもやっぱり
譲れないものがあるし、
自分を信じ切る戦いを、
何度も落ちながらも
楽しんでる自分もどこかにいるんですね。
サッカー日本代表、本田圭佑選手が
『周りのできないだろう、
という疑いの目や笑い声を
それをしてみせて変えた時の反応を
見るのがおもろいなと』
『変なトラウマと闘い続けてるんです』
と話していたその気持ちが
少し分かる気がします。
やっぱり僕は
今でも頑固者、
『スーパーバカまじめ』ですね(笑)

みなさんは、こういう選択、
経験ありますか?
そういう人は ひょんなことから認められて 成功するか 或いは ただの 変人として 理解されるか・・・・・
殆んどが 埋もれて しまいがちだが
例えば 評論家 学者 研究者 教授 作家 などに 多く見られるのかなぁ
著名なら 名前だけで 本は ミリオンセラー 間違えないU+203C
知ってもらうということの難しさは
経験から感じていまして、
このブログは思うよりも
知ってもらうスピードが早すぎて
有難い反面、怖い思いもあります。
どちらにしても、責任を感じています。