八幡平エル・ムンド!

~日本酒と歌、頑張り屋さん応援など「はちべえ」と綴る気ままなブログ~~クールいわて・八幡平~を発信します!

“三陸サンマいわて箱”

2014年04月19日 22時10分58秒 | 日記
 JR盛岡支社 嶋 誠治支社長は「地域の活性化・復興支援」につなげるプロジェクトを始動させた。
 その第1弾が“浦島太郎の玉手箱”に似た韻を思わせる「三陸秋刀魚岩手箱」である。グッド!
 きょう4月19日の盛岡タイムス紙(9)面を見てね!
 さて、中身は?
「しめ秋刀魚の上にレンコンをのせて赤紫蘇で風味を出し、焼き秋刀魚の下にはほろほろ漬け(岩手県産の名物)を入れてアクセントをつけている。最後は有馬煮で山椒を香りに使ってピリ辛い味に仕上げている。」
という。
 見た目も見栄えよく1箱に6個入り、900円!25日からの限定販売なそうです。
 はちべえは、いつ食べられっかな~!

♪オレンジ・ブロッサム・スペシャル♪

2014年04月18日 23時34分13秒 | 音楽
Orange Blossom Special Bluegrass Dobro Youtube 検索! また明日、SL銀河 夢をのせて走ります。チェールアルコ発 10時37分!
この機会にエスペラント語で24駅を覚えてしまいませんか?
釜石線沿線の方でも自駅は知ってるでしょうが、花巻から釜石まで順序に全部、そして意味まで言える人はいないでしょう?
駅員ならどうかな? おもてなしのJR東日本だからきっと、大丈夫?!ちょっと冷やかしてみませんか?
イベントで「ドリーム・ライン“エスペラント”大会」なんてどうかな~?
                            “はちべえ”の意地悪とおせっかいでした。

“八幡平の乙女たち”

2014年04月17日 21時13分32秒 | 日記
 私の地元、八幡平市の3つのエリアの植物をを紹介しているサイトがあります。
 このサイト内で、植物の静止画像をゆっくり絵本のように見ることができます。
 欲を言えば、BGMがあったり一回り大きい画像だったら良かったのにな~!とは思いますが、お訪ねになる前の予習には役立つと思います。あわせて、♪夏の思い出♪も歌いこんで来てくださいね!

 八幡平市開花時期カレンダー を検索!
下の写真は、代表的な乙女たちをピックアップした八幡平市観光協会発行のチラシです。今年も、これで歌ってみましょう!
 ♪ウワミズザクラ、ミネザクラ~♪
 
 八幡平アスピーテ! 明日、開通です!

“星ふる夜の伝言板”

2014年04月16日 13時25分23秒 | 音楽
きょうは「はちべえ」のお薦めYoutube! はありません。

 4月12日(土)、快晴のもとに滑り出した“SL銀河ドリーム号”
 この運行を企画してくれたJR東日本に、あらためて感謝します。
 富田社長以下、一丸で震災復興に取り組んでいる企業姿勢の表れだと思っております。
 私は、国鉄民営化移行の具体案が出始めたころ、実は退社を考えておりました。移行作業は正直、激務で労使環境の改善に大きな疑問をもったこともその理由です。
 決断できない優柔不断な私は、そうこうしているうちに結局JR東日本に承継されたのですが、経営陣の姿勢・熱意が徐々にわかってくるにつけ、ようやく「ここだ!」と思えるようになりました。
 それは、社員の意見をよく聞く!という姿勢でした。その後、多少の失敗や不始末もありましたが、企画案は修正がありつつも殆ど採用、伸びのびと仕事をさせてくれました。私にとってとてもいい会社で仕事ができたと思っています。

 さて、本題ですよ!
 タイトルの“星ふる夜の伝言板”
 仮題ではなく、歌詞も修正して本決まりとしたいと思います。
 当面、替え歌で紹介していきますが、オリジナルな作曲ができたら、その時にお知らせします。
 先日4月13日掲載の歌詞は、修正しておりますので、よろしくお願いします。

                 ♪星ふる夜の伝言板♪

    SL銀河 舞いおりて  東、西へと 夢 はこぶ
    めぐる季節 風の中  聞こえる汽笛 ドリームライン

    ウスユキソウ ほほえんで  雨に 風にも 負けないで
    待つ楽しみ 会える喜び  つむぐ きずなの C58 239


 これに釜石線全24駅のエスペラント語が入っています。

“岩手軽便鉄道”

2014年04月15日 08時14分11秒 | 日記


 先日(4月12日)ご案内しました「いわて鉄道物語」の中から、“岩手軽便鉄道”194ページを紹介させていただきます。ちょっと「通」になっていただきますね。
 花巻市出身の宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」に登場し、そのイメージモデルであったといわれている。花巻市から遠野市を経て仙人峠、沓掛を越えて釜石に通じる構想であった。岩手県の内陸から三陸沿岸に結ぶ重要な路線として、大正元年(1912年)に一部開通した。 < この時、賢治は16歳である。>
 大船渡線も山田線もまだ開通していなかったので、横断路線として重要な意義を持っていたが、難所といわれた仙人峠の手前で終点となっていた。その難所は、人間は徒歩かかごに揺られて移動し、荷物は索道、ロープウェーで釜石側の日鉄釜石鉱山の大橋まで運ばれていた。
 その後、そのルートを国鉄が買収し、上有住経由で難工事を完成させ、1950年(昭和25年)花巻~釜石間の釜石線として開通させた。
< 賢治没後17年が経過していた。>
 国道283号線と交差する宮守村に入ると見事なアーチ橋、愛称「めがね橋」(宮守川橋りょう)がある。れんが造りの橋脚は軽便鉄道時代のものである。続き…(略)…。
 軽便鉄道の一部開通から今年で102年、全線開通から64年目にあたる。たまたま、小生の年齢でもありますが、ちょうど賢治の生涯の2倍生かしていただいたことになります。。

 <盛岡タイムス社 大内 豊氏著の書籍紹介>
 □昭和の動乱を探る太平洋戦争   □牧庵鞭牛の素顔