ほんねで話すわ~    my real intention is...

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Let's do our best with positive attitude

1.17

2012-01-17 22:55:42 | Weblog
1995.1.17 5:46

あれから17年が経った。
この17年の内で、これほど克明に全てを思い出せる日もない。
でも、あの記憶は、封印したい、もうあの地震の事は書かない、
話さないようにしようと思っていた。



でも、機会をみて、少しずつ話する事も必要なのかとも感じた。
それは、今日、僕が神戸出身だと知っている方から頂いた、色々な言葉
や、一部の報道を見て、自分なりにそう感じたから。

あの地震の分かりやすい部分、綺麗な話だけを残してはいけない。
形骸化させてはいけないと思った。
今日の昼食時、地震の日は学校には行かなかったのか?と聞かれた時は、
いかなかったとしか答えようが無かった。

学校に行く事なんて、全く頭に無かったし。



神戸の現状を知るという意味では、今日のNHKの21時の報道は良かったと思う。
神戸は、新しい街に生まれ変わりつつあるが、復興は未だ完成していない。
先の番組の中では、孤独死の話題と、それに関連して文通の話、また商店街の
話があった。




“死ぬかと思った”“死ぬ気になれば”“死に物狂いで”など、色々な言葉
があるが、そのような感情を抱ける人は、まだ余裕があるように思う。
死との距離が近い時、そんな感情もすっ飛ばして、人は無の境地に至るのかも知れない。


今でも良く覚えている、あの静寂。
地震が発生し、大きな縦揺れから、横揺れへと・・。
地鳴りのような物凄い音、物が破壊する音はしたが、ヒトの声は一切ない。

揺れが収まった後、暫く不気味な程の静かな時間がゆったりと過ぎていた。
本当に、数分の事だったのだろうが、非常に長く感じた。
僕の家は全壊していたので、相当色んなものが頭から降ってきていただろう。
恐らく、色んなものが体に当たってはいたと思うが、痛いという感覚は麻痺していた。

声すら上げられない。何が起こったのか、理解出来なかったのではないだろうか。
周りからも、音は全く聞こえない、異様な空気。



その静寂を破ったのは、“火事や~!!!”という近所のおっちゃんの声・・・。



書きだすと止まらないので、やっぱり今日はここでやめにしよう。
また何かの機会にでも。



・・・・・
今少し振り返ると、本当に大事なコトは、今を目いっぱい生きるコトやと思います。
繋がりを持つコトや、耐震補強をするコト、高台への避難ルートをつくるコトは
大事やと思うし、やったらええと思います。

でも、一番大事なコトは、今を精いっぱい、時には楽しく、もがきながら生きるコトかな
と思います。だって、今考えてる対策は、生きれた場合のコトばかりなんやから。
&余りにも死を恐れすぎないで。どんなに頑張っても人間である限り、死にます。

東北地方の皆さんは、本当にこれからが一番大変だと思います。
復興と一言にいっても、完全に元に戻るコトは、無理に近いと思います。
でも、難しいコトは難しいとして、その中で1つでも、2つでもおもろい事、打ちこめる
コトを見つけ、前向きな気持ちで生活して頂けるようになってほしいです。
・・・・・

FYI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

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