風に乗れ -Winddriven Current-

ワイヤーフォックステリアのナイトさんとORIXを応援する日々
“Challenge Together @KOBE”

KOBE Luminarie 2011

2011-12-09 | 風景画-神戸・播磨
今年も無事、開催されました。神戸ルミナリエ。
12月1日(木)~12月12日(月)までの短い期間。



元町駅を降りて海側へ。ただ人の列に流されるがまま。
でも、平日なら待ち時間も無くスムーズに・・。

旧居留地方面へ回って、朝日会館の前を通って・・・
再び大丸に戻って、角を曲がれば・・




毎年の事ながら、この瞬間を待ち望んでいたような気がします。仲町通のガレリア。
正面の作品はフロントーネといい、作品名は「聖なる暗号の解読」







沿道では、今後も開催が持続されるため、100円募金もされてました。


100円募金を1回するごとに、1枚記念カードをもらえます。
はばたんも参加してましたし、神戸大学の学生さん達がコインを入れると、派手に光る募金箱を作ったり。
なんか、コイン入れて、キラキラさせて、学生さん達とハイタッチしたり。
(ちなみに、はばたんとは東遊園地でお会いしました)






今年は節電要請もありますので、例年に比べると電球の数が随分減ったような気がします。
でも、これでも十分見ごたえありますし、持続的に開催することが大切ですから。







そして、東遊園地へ。
こちらはスパリエーラ「フェニックスの中庭」






この中心部は、光の祈念堂「カッサ・アルモニカ」
コインを投げて鐘を鳴らす募金箱があります。



こちらは、募金をすれば鐘を鳴らせます。


更に奥には・・・



噴水広場にあるフォンターナ「祈りの泉」
今回初めてLED電球で作られた作品だそうです。





やっぱりLED電球よりも白熱灯の方が暖かみが感じられるだけに、
メインの作品にはまだLEDは使われていないのですが・・・

ここは驚くべきことに・・・



逆さに映るフォンターナが、水面でゆらゆら揺れていました。
これはある意味自然光でもあります。





そして、1.17希望の灯に手を合わせ・・・



少し遊園地内を散策。




「1.17-3.11想いよりそう ヒトキズナぷろじぇくと」

おやおや、「顔晴れ」って、オリックス金子千尋投手のブログのタイトル。
オリックスか金子投手のファンの方が書かれたんでしょうね。
でも、もはや深い意味が込められた名言にも思えるのです。


私にとって、社会人1年目を石巻、2年目は八戸、3~4年目は仙台名取で社会人の基礎を叩き込まれました。
冬の寒さも風の強さも、夏場も「やませ」に苦しめられた、あの厳しい自然と闘ったからこそ、今の自分があります。

すると、ちょうど石巻名産の「長須鯨の大和煮」と八戸でも名産だった「いちご煮」を販売してるコーナーが。

思わず鯨の缶詰を眺めながら「石巻から来られたんですか?」と尋ねたところ、
「いえ、私は神戸なんですけど、業者の方が・・」

募金活動やブース担当をされてるのは、殆ど神戸市内の学生ボランティアの方々でしたが、
商品を持ってこられたのは石巻や八戸から来られた方でした。

少し、話をさせてもらったのですが、あまり深くは聞けなかったですね。
「いやー何にもなくなりましたから」と言われた途端。
私が住んでた場所も跡形も無いのは知ってますが、実際そこで生まれ育ったのとは違いますから。

私も震災で神戸の実家を建替えなければならなかったことを思い出したのですが、
幼い頃から過ごしてきた家が潰されただけでも寂い思いをしましたし。

なんていうか、「がんばってください」としか咄嗟に出なかったですが、
単純に「頑張れ」というよりも、「顔晴れ」であって欲しいと思ったものです。





こうして、何か自分から残せる言葉ってないだろうか・・
と再び「ヒトキズナぷろじぇくと」に戻り、しばらく悩みながら言葉を考えました。

本当に言葉を残さなきゃいけないのか?というところまで考えたのですが、
私が10年間、地元を離れて広島や東北地方、東京で住んできたときに強く思ったこと。
それは「やっぱり地元が一番」「神戸を自慢したい」というところに辿り着きました。
(東北に住む神戸市民という意識で、Kスタにオリックスを応援しに行った時期もありましたし)

地元を離れざるを得なくなった人、地元に残っても決して楽ではない人と、
様々な状況があるのは察しますが、根本は故郷が一番だという思いを持ってる人はいるはず。




そういうことで、「故郷は良いとこ」「明日は晴れ」
そんな言葉しか思いつきませんでした。
自己満足の範囲かもしれませんが、三陸地方も神戸も、私を育ててくれた地として感謝しています。

神戸の私の実家を含めて、建替えや区画整理などで町全体が変わっていったことも多く、
幼い頃の状況に元に戻るということは無い、それを受け入れなければいけない寂しさはありました。

でも私は、この震災をきっかけとしてルミナリエの開催が続けられている神戸を誇りに思い続けます。
お互い、郷土愛を心のよりどころにしてほしいし、それを尊重し合いたいと思います。



フラワーロードから見えるのは・・・城山の山麓電飾「北前船(帆掛け船)」

こうして三宮駅へ。
今度実家に帰ったとき、せっかく買った三陸の名産を食べてもらうことにしよう。
(ちなみに、宮城沿岸の「陸前(りくぜん)」、岩手沿岸の「陸中(りくちゅう)」、青森の「陸奥(むつ)」を合わせて、三陸なんですって)


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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めてのルミナリエ (東大阪人)
2011-12-12 00:10:42
さっきまでルミナリエ会場に居ました。

関西に住んでるのになかなか行けなかったので行きました。

勿論、ルミナリエが開催される意図も理解しています。
ただ、イルミネーションを見に行くだけでは無くて…ルミナリエ開催される理由もちゃんと解った上での今回のルミナリエ見学。
なんか、普通のイルミネーション見学とは違った雰囲気を感じました。
募金もちゃんとしてきました。

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東大阪人 さん (かずまん)
2011-12-12 00:22:22
お疲れ様でした。
日曜日でしたので、大変な混雑だったと思います。
1995.1.17の夜、この場所は暗闇に包まれ、相当な恐怖感を覚えました。
この灯りは、人々の安心を訴えるものでもあると思っています。

募金もイベントも楽しくやれば、また次回もやりたくなると思いますし、
そういうイベントであって欲しいです。
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Unknown (籠球軍)
2011-12-12 00:36:12
1回目しか生で見てないですが
今は動画、ブログやツイッターで
見れるのが凄いと思います当時は携帯すら普及してませんでしたからね。
1回目は一歩通行じゃなかったので
混雑が凄かったような・・・。
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籠球軍 さん (かずまん)
2011-12-12 00:44:34
1回目はメインは旧居留地、その他にもハーバーランドなどでミニ版があったりと場所を分散して行っていました。
当時は人ごみを嫌ってハーバーランドしか見ていませんでしたが、毎年微妙に変わりますし
メインも見ておけば良かったと思っています。
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