ついに白夜行が終わりました。
最終回、涙なしでは見れませんでした
言葉になりません。。
気持ちを落ち着けて、週末に感想追記します。
***(追記:2006.03.24)**********************
悲しい、やりきれない事件でした。
最終話冒頭、あと一歩のところで笹垣を殺し損ねた亮司。
青酸ガスのせいで、頻繁に意識を失いかけるほど身体に変調をきたしていたけど、雪穂の邪魔になる笹垣を、ちゃんと殺すまでは「まだ死ねない」と身体と心に鞭を打っていました。
しかし、友彦の自首により、亮司は指名手配されることに。
その頃の雪穂には、亮司が生きているか死んでいるかすら、確かめる手段がなくなっていた。
でも雪穂は、自分を太陽だと言ってくれた亮司の言葉に応えるため、「やることは一つ」と、R&Y2号店の出店に全力を注いでいた。それは雪穂から亮司へのクリスマス・プレゼントでもありました。
だからこそ、二人の故郷である布施に、身の丈を越えてまで豪華な店にしようとしていたんでしょうね。
「いつか、田舎に帰りたい」という亮司のため、そして
"あなたのおかげで、私はこんな立派な店を持つことまでできた。
全部亮のおかげだよ、ありがとう。"
そんな想いのこもった出店だったんでしょう。
でも、そんな2人の白夜行も、急速に終わりに近づいていました。
R&Y2号店オープン前日、真実を知った篠塚が雪穂に自首するよう最後の説得に来ます。
2人の犯罪の理由を知った篠塚は、もはや江里子を想っての怒りではなく、真に雪穂と亮司を想って、自首するよう雪穂を説得します。
その時の篠塚の悲しみをたたえた目が印象的でした。
そんな篠塚の真摯な説得に、涙を流しながらもシラをきり通す雪穂。
しかしその夜、翌日のR&Y2号店オープンの際、亮司が現れたら伝える決心をします。
太陽の下、手をつないで歩こう。死刑台まで歩いていこう。
予告で流れていた「死刑台まで歩いていこう」というフレーズは、亮司が死んだ後のセリフかと思っていたんですが、こういうことだったんですね。
そして迎えたR&Y2号店オープン当日。
亮司は巧妙に笹垣を人気のない場所まで誘い出し、背後からハサミを突き立てます。
そのまま笹垣を布でくるんで車内に隠し、R&Y2号店で美しいドレスを身にまとって働く雪穂を、歩道橋の上から幸せそうに見つめていました。
そこに大量の血を流しながらも、再び現れる笹垣。
1991年の父親殺しに始まった亮司の罪状を余すことなく読み上げる笹垣。
そして罪だけでなく、笹垣を救ったこと、典子が生んだ子供がいることも伝えます。
おまえには、子供がおる。
その子供に、ちゃんと13階段上る背中見せい!
おまえ、自分とおんなじ子を作る気か。
親信じられへん子作る気か。
間違いだらけやったけど、おまえが精一杯やったんは、オレが知ってる。
一人の人間、幸せにするために、おまえは精一杯やった。
おまえの子に、オレがちゃんと言うたる。
おまえに流れとう血は、ホンマはそういう血や。
オレがちゃんと、子供に言うたる。
すまんかった。
あの日、おまえを捕まえてやれんで、ホンマすまんかったのう。。
このシーンは圧巻でしたね。
涙が止まりませんでした。
これまでずっと「桐原」と呼んでいた笹垣が、最後は「亮司、来いや。」と呼んでましたね。
この時、笹垣は確かに亮司の父親でした。
子供のしてきたことから目をそらさず、全てを受け入れ、その上で愛情をもって、つらくとも正しい道に導いてやる。
亮司が求めてきた、真の親の姿だったと思います。
ここで、亮司は救われたんだと思います。
さんざん笹垣が引用してきた親鸞の歎異抄にある「悪人にこそ、救済が必要だ」という意味が、このシーンに凝縮されていました。
そして、亮司は思ったのでしょう、「もう思い残すことはない」と。
笹垣がもつハサミで自らを刺します。
愕然とし、「昼間を歩きたかったんとちゃうんか?!」と問う笹垣に、「あいつは、オレの太陽だから。 オレは、あいつの太陽だから。」と答える亮司。
その時の笹垣の悲しみと悔しさで溢れた涙は、亮司への深い愛情すら感じさせました。
そして、歩道橋から飛び降りる亮司。
全ての罪をかぶり、文字通り人生の全てを捧げて雪穂を守り抜こうとした亮司。
その最期は、とても穏やかな表情でした。
残された雪穂は、そんな亮司の想いを、これまでの全てを無駄にしないため、全ての罪を亮司にかぶせ、警察の追求を逃れます。
亮司と共有した、ひとかけらの真実さえも失って。。
たった一つの太陽さえも失い、生きる意味すら無くした雪穂。
生きる屍のようになってまで働き続けたものの、R&Yは2店ともつぶれ、最後は借金まみれになって、全ての財産を失うことに。
なにをしても幸せにならなければいけない人生なんて、生きること自体罰のようなものじゃないか。
そう、雪穂は充分罰を受けたんだと思います。
そして、亮司はやはり、その人生の全てをかけて、雪穂を守り抜いたんだと思いました。3話の教会でのシーンで誓ったように、雪穂が2度と手を汚さなくて済むよう、全ての罪をその身にかぶることで、雪穂の罪を母親殺しだけにした。(倫理的、状況証拠的には違うけど。。)
そして2人の夢だった、「時効の日2006年11月11日に、太陽の下、2人で手をつないで歩く」という夢を叶えたんだと思いました。
2人が思い描いていた形とは違ったけど、亮司の生まれ変わりと言える亮司の子供と雪穂が手を握るラストシーンは、そんなかすかな救いの想いが込められたシーンだったのではないでしょうか。(子供の母親が典子だったかはハッキリとは写っていなかったけど、あれは絶対亮司の子供なんだと思います。)
いろいろなことを考えさせられたドラマでした。
子を持つ親の責任の重さ、子供たちが生きていく社会をより良くしていかなければならない大人の責任の大きさ、自分の全てを受け入れてくれる人がいることの喜び、険しくとも正しい道を歩くことの大切さ、犯罪を犯すことの恐ろしさ。。。
公式サイトのBBSを見ても、「子供を精一杯愛してあげようと思う」という書き込みがたくさんありました。
でも、大人の私たちは忘れてはならないと思います。
子供たちを愛し続けるには、強さが必要だということ。
亮司の母親のように、寂しさを埋めるために浮気をしたり、酒に溺れたりしない強さ。
亮司の父親のように、家庭の空虚感を埋めるため、性的嗜好などに走らない強さ。
雪穂の母親のように、自分の不遇を子供にまで広げない強さ。
そして、松浦のように愛に恵まれなかった自分の生い立ちを、他の人への悪意へと変えて巻き込まない強さ。。。
確かに間違いだらけではあったけど、人生の全てを賭けて雪穂を守った亮司の姿は、、世界中を敵に回してでも雪穂を守り抜こうとした亮司の姿は、、道さえ誤らなければ親として理想の姿だったのかもしれません。
とかく悪意に溢れた今の世の中、例え一つ一つは小さな悪意でも、悪意は悪意を生み、大きな悪意の連鎖となって、大人だけでなく、幼い子供たちをも襲っています。
悪意ではなく、善意を連鎖させるには、自分は何をすべきなんだろう?そんなことを深く考えさせられました。
例え多くの悪意を受けても、自分のことを心から大切に思ってくれる人がいれば、その悲しみを受け止めてもらえ、その人への善意の気持ちに変えていくことができる。
そうすれば、悪意を善意に変えていけるのかもしれません。
そして、その自分を心から大切に思ってくれる人というのが、親であり恋人であり、親友なんだと思います。
そんなことを思いました。
いろいろなことを考え、たくさんの涙を流した3ヶ月でした。
こんな素敵なドラマに出会えることは、長い人生の中でもそうはないと思います。
山田くん、はるかちゃん、武田さん、余さん、石丸P、脚本の森下さん、その他白夜行に関わった全ての方々に、心からの感謝の気持ちを贈りたいと思います。
本当にありがとう!!DVDも絶対買います。
最終回、涙なしでは見れませんでした
言葉になりません。。
気持ちを落ち着けて、週末に感想追記します。
***(追記:2006.03.24)**********************
悲しい、やりきれない事件でした。
最終話冒頭、あと一歩のところで笹垣を殺し損ねた亮司。
青酸ガスのせいで、頻繁に意識を失いかけるほど身体に変調をきたしていたけど、雪穂の邪魔になる笹垣を、ちゃんと殺すまでは「まだ死ねない」と身体と心に鞭を打っていました。
しかし、友彦の自首により、亮司は指名手配されることに。
その頃の雪穂には、亮司が生きているか死んでいるかすら、確かめる手段がなくなっていた。
でも雪穂は、自分を太陽だと言ってくれた亮司の言葉に応えるため、「やることは一つ」と、R&Y2号店の出店に全力を注いでいた。それは雪穂から亮司へのクリスマス・プレゼントでもありました。
だからこそ、二人の故郷である布施に、身の丈を越えてまで豪華な店にしようとしていたんでしょうね。
「いつか、田舎に帰りたい」という亮司のため、そして
"あなたのおかげで、私はこんな立派な店を持つことまでできた。
全部亮のおかげだよ、ありがとう。"
そんな想いのこもった出店だったんでしょう。
でも、そんな2人の白夜行も、急速に終わりに近づいていました。
R&Y2号店オープン前日、真実を知った篠塚が雪穂に自首するよう最後の説得に来ます。
2人の犯罪の理由を知った篠塚は、もはや江里子を想っての怒りではなく、真に雪穂と亮司を想って、自首するよう雪穂を説得します。
その時の篠塚の悲しみをたたえた目が印象的でした。
そんな篠塚の真摯な説得に、涙を流しながらもシラをきり通す雪穂。
しかしその夜、翌日のR&Y2号店オープンの際、亮司が現れたら伝える決心をします。
太陽の下、手をつないで歩こう。死刑台まで歩いていこう。
予告で流れていた「死刑台まで歩いていこう」というフレーズは、亮司が死んだ後のセリフかと思っていたんですが、こういうことだったんですね。
そして迎えたR&Y2号店オープン当日。
亮司は巧妙に笹垣を人気のない場所まで誘い出し、背後からハサミを突き立てます。
そのまま笹垣を布でくるんで車内に隠し、R&Y2号店で美しいドレスを身にまとって働く雪穂を、歩道橋の上から幸せそうに見つめていました。
そこに大量の血を流しながらも、再び現れる笹垣。
1991年の父親殺しに始まった亮司の罪状を余すことなく読み上げる笹垣。
そして罪だけでなく、笹垣を救ったこと、典子が生んだ子供がいることも伝えます。
おまえには、子供がおる。
その子供に、ちゃんと13階段上る背中見せい!
おまえ、自分とおんなじ子を作る気か。
親信じられへん子作る気か。
間違いだらけやったけど、おまえが精一杯やったんは、オレが知ってる。
一人の人間、幸せにするために、おまえは精一杯やった。
おまえの子に、オレがちゃんと言うたる。
おまえに流れとう血は、ホンマはそういう血や。
オレがちゃんと、子供に言うたる。
すまんかった。
あの日、おまえを捕まえてやれんで、ホンマすまんかったのう。。
このシーンは圧巻でしたね。
涙が止まりませんでした。
これまでずっと「桐原」と呼んでいた笹垣が、最後は「亮司、来いや。」と呼んでましたね。
この時、笹垣は確かに亮司の父親でした。
子供のしてきたことから目をそらさず、全てを受け入れ、その上で愛情をもって、つらくとも正しい道に導いてやる。
亮司が求めてきた、真の親の姿だったと思います。
ここで、亮司は救われたんだと思います。
さんざん笹垣が引用してきた親鸞の歎異抄にある「悪人にこそ、救済が必要だ」という意味が、このシーンに凝縮されていました。
そして、亮司は思ったのでしょう、「もう思い残すことはない」と。
笹垣がもつハサミで自らを刺します。
愕然とし、「昼間を歩きたかったんとちゃうんか?!」と問う笹垣に、「あいつは、オレの太陽だから。 オレは、あいつの太陽だから。」と答える亮司。
その時の笹垣の悲しみと悔しさで溢れた涙は、亮司への深い愛情すら感じさせました。
そして、歩道橋から飛び降りる亮司。
全ての罪をかぶり、文字通り人生の全てを捧げて雪穂を守り抜こうとした亮司。
その最期は、とても穏やかな表情でした。
残された雪穂は、そんな亮司の想いを、これまでの全てを無駄にしないため、全ての罪を亮司にかぶせ、警察の追求を逃れます。
亮司と共有した、ひとかけらの真実さえも失って。。
たった一つの太陽さえも失い、生きる意味すら無くした雪穂。
生きる屍のようになってまで働き続けたものの、R&Yは2店ともつぶれ、最後は借金まみれになって、全ての財産を失うことに。
なにをしても幸せにならなければいけない人生なんて、生きること自体罰のようなものじゃないか。
そう、雪穂は充分罰を受けたんだと思います。
そして、亮司はやはり、その人生の全てをかけて、雪穂を守り抜いたんだと思いました。3話の教会でのシーンで誓ったように、雪穂が2度と手を汚さなくて済むよう、全ての罪をその身にかぶることで、雪穂の罪を母親殺しだけにした。(倫理的、状況証拠的には違うけど。。)
そして2人の夢だった、「時効の日2006年11月11日に、太陽の下、2人で手をつないで歩く」という夢を叶えたんだと思いました。
2人が思い描いていた形とは違ったけど、亮司の生まれ変わりと言える亮司の子供と雪穂が手を握るラストシーンは、そんなかすかな救いの想いが込められたシーンだったのではないでしょうか。(子供の母親が典子だったかはハッキリとは写っていなかったけど、あれは絶対亮司の子供なんだと思います。)
いろいろなことを考えさせられたドラマでした。
子を持つ親の責任の重さ、子供たちが生きていく社会をより良くしていかなければならない大人の責任の大きさ、自分の全てを受け入れてくれる人がいることの喜び、険しくとも正しい道を歩くことの大切さ、犯罪を犯すことの恐ろしさ。。。
公式サイトのBBSを見ても、「子供を精一杯愛してあげようと思う」という書き込みがたくさんありました。
でも、大人の私たちは忘れてはならないと思います。
子供たちを愛し続けるには、強さが必要だということ。
亮司の母親のように、寂しさを埋めるために浮気をしたり、酒に溺れたりしない強さ。
亮司の父親のように、家庭の空虚感を埋めるため、性的嗜好などに走らない強さ。
雪穂の母親のように、自分の不遇を子供にまで広げない強さ。
そして、松浦のように愛に恵まれなかった自分の生い立ちを、他の人への悪意へと変えて巻き込まない強さ。。。
確かに間違いだらけではあったけど、人生の全てを賭けて雪穂を守った亮司の姿は、、世界中を敵に回してでも雪穂を守り抜こうとした亮司の姿は、、道さえ誤らなければ親として理想の姿だったのかもしれません。
とかく悪意に溢れた今の世の中、例え一つ一つは小さな悪意でも、悪意は悪意を生み、大きな悪意の連鎖となって、大人だけでなく、幼い子供たちをも襲っています。
悪意ではなく、善意を連鎖させるには、自分は何をすべきなんだろう?そんなことを深く考えさせられました。
例え多くの悪意を受けても、自分のことを心から大切に思ってくれる人がいれば、その悲しみを受け止めてもらえ、その人への善意の気持ちに変えていくことができる。
そうすれば、悪意を善意に変えていけるのかもしれません。
そして、その自分を心から大切に思ってくれる人というのが、親であり恋人であり、親友なんだと思います。
そんなことを思いました。
いろいろなことを考え、たくさんの涙を流した3ヶ月でした。
こんな素敵なドラマに出会えることは、長い人生の中でもそうはないと思います。
山田くん、はるかちゃん、武田さん、余さん、石丸P、脚本の森下さん、その他白夜行に関わった全ての方々に、心からの感謝の気持ちを贈りたいと思います。
本当にありがとう!!DVDも絶対買います。
先週はドキドキしながら今週の最終回はええっーそんなことにと思いながら辛かったです。
しかし以前から評判ではありましたが山田孝之くんの演技は上手ですね私的感情もありますが(笑)
またはるかちゃんとのコンビでドラマ見たいものです。今度は心が落ち着けるドラマがいいな
お久しぶりです♪
山田くんは、本当に凄かったですね。
でも最終回は、武田鉄也さんにおいしいところを持っていかれちゃいましたね~(笑)
仙台では、いま「セカチュー」の再放送をやっています。
仕事から帰って、「セカチュー」と「白夜行」の録画を両方観れるので、最近ちょっと幸せかも(爆)
ホント、次回は心が落ちつけるドラマがいいですね♪
>雪穂は充分罰を受けたんだと思います。
と僕は書きました。
たぶん多くの方が反論すると思います。
でも思い出してください。
テレビで見れば1クール3ヶ月たかが10時間程度ですが、時効までの15年間です。
法律でも認められている時効を迎えています。
確かに親を殺した後も、雪穂は数々の犯罪に関わっています。
でも、5話のラストでもあったように、決断したのは亮司です。
そして亮司はその全ての罪を背負い、死んでいます。
世の中にはもっと悪意に満ちたことをし、でも「法律上」罪に問われない輩もたくさんいます。
そして時効があるのは、次の4つの理由からだと言われています。
(1)社会の犯罪への非難や関心が薄れるため
(2)事件から長期間が経過してしまったために証拠が散逸してしまい、そのために起こる誤審を防ぐため
(3)逮捕されずに生活していた間の状況や人間関係(家庭、職場など)を保護するため
(4)逃亡中いつ逮捕されるか分からないという精神的苦痛から被疑者を解放するため
こういったことを考えれば、亮司以外の全てを失った雪穂が、そのたった一つの支えである亮司も失い、そして事件から15年、事件を隠し、誰にも知られず、しかも幸せになることを義務づけられてしまった苦悩も味わったことを考えれば、それは充分な罰だったと思うのです。
これでもやっぱり甘いですかね?
十分な罰・・・そう、まさしく唐沢礼子の言った「生き地獄」でしょうね。武田さんの演技を超えた演技には震えました。
亮司に語りかける笹垣のシーンは心に響くものがありました。亮司もきっと救われたんでしょうね。
残されてしまった雪穂。自分の犯した罪を抱え、そして亮司の罪をも抱えて生きていかなければいけない。
生き地獄・・
そんな世界をこれからも生きて行かなければ行けない雪穂のことを思うとまた、やるせないものがありますね。
役者さんの演技に脱帽です。
久々に、見終わった後に余韻が残りました。
最後の、雪穂の力つきたような後姿も
印象的でした。DVD-BOXで、未公開だった部分を
見てもう一度、物語を振り返りたいですね。
DVDは、んもう買いです!!
原作はあまり好きではありませんでした。
薄暗くて感情移入できない部分がたくさんあって。
ドラマでの主人公2人の人物設定、笹垣と亮司の関係
そしてラストは感動です。
ドラマを作ったチームの思い入れが伝わります。
原作の大筋は変えず、新しい物語にするのは難しいと思うのですが、私の中では完璧でした。
皆さんの言うとおり、俳優・武田鉄也の演技も
必要不可欠だったと思います。
秀逸のドラマでした。
コメントありがとうございます。
僕はこれまでの生き地獄の人生と、亮司を失ったこと、店も財産も失い、生ける屍のようになったこと。
ここまでで雪穂の贖罪は一応終わったと思ってます。
今後も生き地獄で人生をおくるなんて、あまりにも救いがなさ過ぎます。
親鸞の歎異抄ではないですが、悪人にも救済は必要だと思います。罪の償いはもちろん大事ですが、それも際限なく行えば、際限なく憎しみが憎しみを呼ぶ世界になってしまうので。
だから、最後の最後のラストシーンは、雪穂の今後への希望を込めたシーンとして捉えてました。
雪穂が読んでいた「スカーレット」に今後の雪穂のヒントがあるのかな。。とも思いましたが、まだ「スカーレット」は未読なのでわかりません。
DVDの特典映像にある、追加1分強の真のラストシーンでわかるかもしれませんね。
本当に秀逸なドラマでした。