田辺城跡
2006-03-24 | 城
田辺城跡
田辺字北山304
いなべ市北勢町田辺北山
城主 木造左衛門佐長政(具康)
北畠氏の臣下、木造左衛門佐具康が築城
天正元年(1573)に織田信長に降伏しその後、織田秀信の臣下となる
木造城・戸木城(久居市)の城主の木造左衛門佐長政(具教)が天正14年(1586)に織田信雄より約1万石の領地を与えられ4年間居城した。
慶長5年(1600)の関ヶ原役に西軍の属し、敗れて廃城となる
丘陵上の小高い位置にあり碑、説明板、土塁、空掘、土橋がある
本丸は二重の壕と土塁で囲まれている
公共施設 熟人荘(ディケアー老人施設)の横の雑木林にある
中世城館の遺構としては、北勢地方で有数の大規模なもの。
熟人荘付近の案内図
田辺城跡説明板
不老門をくぐると外堀があります
土橋を渡ると、あずまや がある、広い郭が広がります
土塁も空掘も幅が広い!
熟人荘の梅林から見る養老山系!
田辺字北山304
いなべ市北勢町田辺北山
城主 木造左衛門佐長政(具康)
北畠氏の臣下、木造左衛門佐具康が築城
天正元年(1573)に織田信長に降伏しその後、織田秀信の臣下となる
木造城・戸木城(久居市)の城主の木造左衛門佐長政(具教)が天正14年(1586)に織田信雄より約1万石の領地を与えられ4年間居城した。
慶長5年(1600)の関ヶ原役に西軍の属し、敗れて廃城となる
丘陵上の小高い位置にあり碑、説明板、土塁、空掘、土橋がある
本丸は二重の壕と土塁で囲まれている
公共施設 熟人荘(ディケアー老人施設)の横の雑木林にある
中世城館の遺構としては、北勢地方で有数の大規模なもの。
熟人荘付近の案内図
田辺城跡説明板
不老門をくぐると外堀があります
土橋を渡ると、あずまや がある、広い郭が広がります
土塁も空掘も幅が広い!
熟人荘の梅林から見る養老山系!
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