大矢知城跡
2006-01-08 | 城
大矢知城跡
大矢知町字大城(大矢知町)
城主 大矢知氏
朝明川右岸 垂坂丘陵の北縁
標高約60mの丘陵、東から西に深い谷が入り込んでいた、南の尾根は観音山からの尾根
北の尾根はもう現存しないが、旧水道山から西に延びる尾根があった、谷の奥には大城溜めあり、谷は城(現在朝明配水場となっており、山神のみ残る?)の堀の役目もあったと思われる
城跡であった現在朝明配水場周辺は宅地化がすすみ さるびあ台、平津新町ができさらに谷は埋め尽くされ県道員弁四日市線の道路が通っている。
大矢知城跡を客観的推理した時、大矢知観音山を推理した、観音寺の建つ裏にさらに小山があり、本丸を推理できる、朝明川や大矢知の町を見下ろし、陣屋と言う土地を見下ろすことが出来た、さらに要塞として申し分ないからである、見張り所としても最適と思われる。
朝明配水場となっている山頂部を眺める
大矢知町字大城(大矢知町)
城主 大矢知氏
朝明川右岸 垂坂丘陵の北縁
標高約60mの丘陵、東から西に深い谷が入り込んでいた、南の尾根は観音山からの尾根
北の尾根はもう現存しないが、旧水道山から西に延びる尾根があった、谷の奥には大城溜めあり、谷は城(現在朝明配水場となっており、山神のみ残る?)の堀の役目もあったと思われる
城跡であった現在朝明配水場周辺は宅地化がすすみ さるびあ台、平津新町ができさらに谷は埋め尽くされ県道員弁四日市線の道路が通っている。
大矢知城跡を客観的推理した時、大矢知観音山を推理した、観音寺の建つ裏にさらに小山があり、本丸を推理できる、朝明川や大矢知の町を見下ろし、陣屋と言う土地を見下ろすことが出来た、さらに要塞として申し分ないからである、見張り所としても最適と思われる。
朝明配水場となっている山頂部を眺める
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