峯城跡
2006-06-02 | 城

峯城跡
三重県亀山市川崎町森字殿町
築城 峯 越前守
亀山城主関盛政が領内を5子に分割、五男峯政実 がこの地に築城
以降峯氏六代の居城、天正2年(1574)峯八郎四郎が伊勢長島で討ち死に峯氏は滅亡
その後岡本宗憲が城主になり、羽柴秀吉の北伊勢侵攻時 長久手の戦いの前哨戦を行う、宗憲が亀山城に移され廃城とされた。
東に八島川、南に安楽川が流れる要害の地にある、標高85mの丘陵上にある山城
三重県史跡指定されており 曲輪、土塁、空堀が残る
杉林、竹藪化しているが 虎口、二の丸、本の丸があり、かなり大きな城跡である
峯城跡 三重県史跡指定 説明板

杉林、竹藪となっている広々とした郭内

昔 土台の石に使われたのだろうか?

天守台にある土塁

登城口方面!

三重県亀山市川崎町森字殿町
築城 峯 越前守
亀山城主関盛政が領内を5子に分割、五男峯政実 がこの地に築城
以降峯氏六代の居城、天正2年(1574)峯八郎四郎が伊勢長島で討ち死に峯氏は滅亡
その後岡本宗憲が城主になり、羽柴秀吉の北伊勢侵攻時 長久手の戦いの前哨戦を行う、宗憲が亀山城に移され廃城とされた。
東に八島川、南に安楽川が流れる要害の地にある、標高85mの丘陵上にある山城
三重県史跡指定されており 曲輪、土塁、空堀が残る
杉林、竹藪化しているが 虎口、二の丸、本の丸があり、かなり大きな城跡である
峯城跡 三重県史跡指定 説明板

杉林、竹藪となっている広々とした郭内

昔 土台の石に使われたのだろうか?

天守台にある土塁

登城口方面!

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