福島城跡の本丸!
木曽 福島城跡(城山古城跡・向城)
長野県木曽郡木曽町福島
築城 木曽義康
木曾義昌も居城、戦国木曽氏の拠点であった、信濃侵攻の真っ只中であった武田信玄の軍門に入る、武田氏滅亡から半年と経たないうちに信長が本能寺で横死し、木曽氏は結局、徳川家康に従属、徳川家康は豊臣秀吉側についていたので後、徳川家康とともに関東に移封され、城は廃城となった
福島城(上の段城)の詰城として築かれたものといわれ、本丸、二の丸、三の丸が空掘により区画された、戦国時代末期の典型的な山城形式で、向城(向い側の城)と呼ばれていた。
要害堅固な戦国末期の山城、城跡は城山遊歩道の一部になっている。
城跡説明板!
城跡配置図!
二の丸から本丸を見る!
三の丸!、ここからは木曽駒が見えます!
木曽 福島城跡(城山古城跡・向城)
長野県木曽郡木曽町福島
築城 木曽義康
木曾義昌も居城、戦国木曽氏の拠点であった、信濃侵攻の真っ只中であった武田信玄の軍門に入る、武田氏滅亡から半年と経たないうちに信長が本能寺で横死し、木曽氏は結局、徳川家康に従属、徳川家康は豊臣秀吉側についていたので後、徳川家康とともに関東に移封され、城は廃城となった
福島城(上の段城)の詰城として築かれたものといわれ、本丸、二の丸、三の丸が空掘により区画された、戦国時代末期の典型的な山城形式で、向城(向い側の城)と呼ばれていた。
要害堅固な戦国末期の山城、城跡は城山遊歩道の一部になっている。
城跡説明板!
城跡配置図!
二の丸から本丸を見る!
三の丸!、ここからは木曽駒が見えます!
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