思い出のメモ

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松本城

2016-04-14 | 
松本城(深志城、烏城)
長野県松本市
築城 小笠原貞朝、石川数正・康長父子
安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。平城で本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されている。
5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。
もともとは深志城といい、永正元年(1504)、林城主小笠原貞朝 の家臣島立貞永が築いた。その後、天文19年(1550)に小笠原長時は武田信玄によって攻められ滅亡。信玄は馬場信春を深志城代とした。天正10年(1582)に武田氏滅亡後、織田信長は小笠原貞慶を城主とし、貞慶は深志城を改修して松本へと名を改めた。天正18年(1590)、徳川家康の関東移封により小笠原氏は下総古河へ移封し、替わりに石川数正が8万石で入城。近世城郭へと大修築を行った。慶長18年(1613)、石川康長は改易されて豊後佐伯で謹慎。替わりに信濃飯田より小笠原秀政が8万石で入る。元和3年(1617)、小笠原忠真が播磨明石10万石に転じた後、松本城主は戸田・松平・堀田・水野氏と替わり、享保10年(1725)に志摩鳥羽より6万石で戸田光慈が入封。そのまま明治維新を迎えた。

松本城天守閣から見下ろす!


松本城配置図


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