
古代山城 屋島城跡
高松市屋島東町、屋島西町
築城 天智天皇?
屋島は原始・古代以来備讃瀬戸の交通の要であり軍事上の要衝であった。
「日本書紀」天智天皇6(667)年11月の条に「讃岐国山田郡の屋嶋城・・・・を築く」とあり発掘がすすんでいる
島は、南嶺の標高292m・北嶺の標高282m、山頂部は平坦で広い台地であり、細い尾根で接続されている。南北嶺の山上全域が城跡とされている。山上の外周7kmのほとんどが断崖で、南嶺の外周4kmの断崖の切れ目に城壁が築かれている
屋島城跡保存整備工事の看板!

石垣!

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