熊谷での演舞の一コマです。
二度のストリートのうちお昼は真っ白に
夕方は真っ黒の画像をイメージしていたのですが
あろうことか、主人の意に反してお昼のストリートをカメラがボイコット。
おかげで、夕方のストリートはハチャメチャ
でも一枚ならハチャメチヤ加減はわからないから。
六月五日
結局、フォトチャンネルに全部UPしちゃいましたが、あえてこの写真なんです。
自分のイメージしたとおりの写真ですが、この写真の力は、自分の技量なんかじゃないから。
六月六日
撮りたい演舞と、撮りたい写真は別のものですね。
演舞は踊る皆さんの中にあって、こちらは受け止める側。
写真は自分の頭の中や体の中にあって、うまくすれば表現できる・・・かもしれない。
今日は、ふと考えた。
もし、俺がそれくらいの年齢でこの演舞を見ていたら、観ているだけで済ませたくないかもしれない。
ダンスセンスがあったり、自分の思いを身体全体で表現出来るのなら やっちゃってるかも (笑)
“かっこいい”ってそういう 憧れ の気持ちなのかなってね。
余談だけど、以前 弟がエアロビクス&ジャズダンスをしていた頃に、発表会の写真を頼まれて撮ったりしたんだけれど
みんなの写真をたくさん撮ったのに、弟を撮った写真だけが別の次元みたいにイイ写真(シャッタータイミング)だったりして
不思議に思ったことがあったけれど、普段から同じ間合いで同じ空気感でいるから呼吸が読めるんだよね。
気合を入れたり、緊張を解いたり。
相手が何かを考えてイメージを頭の中に浮かべる為に瞼を閉じようとすることを感じとって、
機材のタスムラグや自分がシャッターをレリースするまでの神経伝達時間を読んで、
どんビシャリに画像を収めたり出来る関係になれたなら本当に気持ちのかよった写真が残せるでしょうね。
ライブハウスに通い詰めていた頃は、ミュージシャンの呼吸・ブレス・息遣いを感じる・同じ息遣いでいるって大切で、
一緒に悲しんで、一緒に喜んで、一緒に楽しむ。
その為に会いにいくんだものね。
俺の場合は、写真を撮ろうとすると写真にならなくて、
一緒の気持ちでいたいだけ かもしれない。