写真の話です。
先だっての、坂戸・聖天宮・ファイナルよさこい で、感じたことです。
午前十時半 A流し会場での演舞が始まり、俺は喜んでいました。
演舞が進んでくる背景に太陽があったからです。
南から北に演舞が進んでくるからです。門の影から出た途端にファインダーの中で踊り子さんがキラキラと踊っていてきれいだったんです。
それで、A会場での流し演舞が済んだ時、思わずAJIちゃんに「すっげーきれいいかったよー」って訴えたたくらいに。
Bフリー会場でも、太陽の光が演じ手のうしろから差し込むような写真が撮りたくて、流し演舞の進行をするーして後ろ姿を撮ったりして。
でも、一番撮りたかったのは夕陽の中の演舞。
七月の天空よさこいでもこんな感じの写真が撮れると考えていたけれど、
夕陽は聖天宮の建物の影に落ちてしまい撮影は出来ず
結果的には昨年のファイナルよさこい以来、
まる一年を経てやっと撮影出来たのです。
二時三十分の光です。
出来れば、スライドモード、フルスクリーン表示でご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/photo/218067?fm=entry
そして、地球の自転に任せた、なすがままなされるがままに与えられる光。
夕陽の中の四時の演舞。
http://blog.goo.ne.jp/photo/218181?fm=entry
演舞が済んでカメラをおろしたら身体が震えている事に気付きました。
屋外での撮影では天から降り注ぐ光を選ぶことは出来ずに
光の色・光の強さ・光の向き。光を感じ光と上手に話し会いながら
カメラの中に受け入れていく。
こんなきれいな光と演舞が結びつく機会なんて滅多に無い訳ですから
嬉しかったんでしょうね。
この日、最後に撮ったのがこの写真でした。
ファイナリストの演舞を撮れていたらば、
また別の感情が生まれていたのかもしれませんが。
演じての気持ちを感じながら、それが反映されるような写真を撮ることも
大切です。
でも、写真を撮る人は、光を感じ、光を受け入れ、光と共にあること、
光を生かし、光と遊び、光と戦うこと。光と戯れ、光を操る。
全てカタチはは光の中にあり、気持ちはカタチにやどり
光は気持ちを包む。
厳密に言えば、波長がとか反射がとかめんどくさいからいいやね。
年末だからついでに言えば、俺がステージを撮る時に、両袖から撮って
正面から撮らないのは、正面にはお客さんがいるから。
俺は観覧客ではなくてカメラマンだから、
お客さんに向いている演じ手の気持ちを撮るのが俺の役割りだから。
流し演舞で極力正面から撮るのは、道の両側にお客さんがいるから。
双方の距離感・空気感・気持ちは、踊り子さんの目線の先に何があって、
そこにどんな気持ちを向けて演じているのかを写す事が大切なんで。
今回は、疾風乱舞さんの天我凰翔を初めて拝見した時に、あの赤い扇子を
カメラと反対側からの光、逆光による透過光で撮りたいと考えてから、
やっとたどり着いた冬の洛陽の光での撮影。
逆光ほどドラマチックな演出をしてくれる光はないですから。
嬉しくて日記にしました。
当日、息をのむほど素晴らしい写真はどちらのチームでも撮れてましたが、
一つの演舞を100枚・ひと組のアルバムにまとめるには完成度に疑問があり
撮りおろしだけでは構成出来そうにないので、これからの作業になります。
ここに揚げた疾風乱舞さんは撮りおろしでほとんど手を加えてはいません。
以前に揚げた坂戸よさこいの演舞はお盆明けの真夏の直射日光を受けての
写真達。http://blog.goo.ne.jp/photo/196077
これは、貼り付けなくてもイイかなと思ったんだけれど“蛇足”です。
地方車のライトと逆光の太陽を入れたかったんだけれどもスレーミングが変
だわ。こりゃいかんわ。でも夏の光との違いを感じてもらえればと比較の為
に。
ワカパウォークの暖かい灯りの中。
光が丘の背景は真っ白な真夏の陽射しなのに踊り子さんには木漏れ日の
スローシャッターが切れたり。いろんな嬉しいがいっぱいです。
でも九時から六時とか、十時から四時半とか、ずぅ~と動きっぱなしでは
倒れてしまう。だからよさこいの撮影はキライ。
2013年1月3日です。追加で書き込みをします。
この日記はマイミクさんは一通りご覧になられた様子なので、
人目に触れる事はないかもしれませんが、あえて付け加えさせていただきます。
この中の夕陽の逆光の写真では、一つの画面の中に20人ちかく写りながら、
たった一人の顔も写っていない、全員後ろ姿の写真とか、
たった一人もしくわ数人で写っているのに表情のハッキリ見えないシルエットとか、
そんな写真がたくさんあります。
きっとよさカメ衆の写真ではありえない事なのかもしれないけれど、
踊り子さん達は、演舞を全身全霊を持って表現しようと、たくんの練習を積んで、
本番に望んでいるはずです。
彼らの演舞は、その背中からも、指先からも、舞う髪の流れからも、扇子の動きからも感じ取れます。
そのエネルギーが大きすぎて受け止め切れないほどです。
そんな想いで撮っている写真ですが、それがこの写真を見る人に伝わらないのは自分の力不足にほかなりません。
本気で性根を据えて挑まなければならないのだなと考えています。
先だっての、坂戸・聖天宮・ファイナルよさこい で、感じたことです。
午前十時半 A流し会場での演舞が始まり、俺は喜んでいました。
演舞が進んでくる背景に太陽があったからです。
南から北に演舞が進んでくるからです。門の影から出た途端にファインダーの中で踊り子さんがキラキラと踊っていてきれいだったんです。
それで、A会場での流し演舞が済んだ時、思わずAJIちゃんに「すっげーきれいいかったよー」って訴えたたくらいに。
Bフリー会場でも、太陽の光が演じ手のうしろから差し込むような写真が撮りたくて、流し演舞の進行をするーして後ろ姿を撮ったりして。
でも、一番撮りたかったのは夕陽の中の演舞。
七月の天空よさこいでもこんな感じの写真が撮れると考えていたけれど、
夕陽は聖天宮の建物の影に落ちてしまい撮影は出来ず
結果的には昨年のファイナルよさこい以来、
まる一年を経てやっと撮影出来たのです。
二時三十分の光です。
出来れば、スライドモード、フルスクリーン表示でご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/photo/218067?fm=entry
そして、地球の自転に任せた、なすがままなされるがままに与えられる光。
夕陽の中の四時の演舞。
http://blog.goo.ne.jp/photo/218181?fm=entry
演舞が済んでカメラをおろしたら身体が震えている事に気付きました。
屋外での撮影では天から降り注ぐ光を選ぶことは出来ずに
光の色・光の強さ・光の向き。光を感じ光と上手に話し会いながら
カメラの中に受け入れていく。
こんなきれいな光と演舞が結びつく機会なんて滅多に無い訳ですから
嬉しかったんでしょうね。
この日、最後に撮ったのがこの写真でした。
ファイナリストの演舞を撮れていたらば、
また別の感情が生まれていたのかもしれませんが。
演じての気持ちを感じながら、それが反映されるような写真を撮ることも
大切です。
でも、写真を撮る人は、光を感じ、光を受け入れ、光と共にあること、
光を生かし、光と遊び、光と戦うこと。光と戯れ、光を操る。
全てカタチはは光の中にあり、気持ちはカタチにやどり
光は気持ちを包む。
厳密に言えば、波長がとか反射がとかめんどくさいからいいやね。
年末だからついでに言えば、俺がステージを撮る時に、両袖から撮って
正面から撮らないのは、正面にはお客さんがいるから。
俺は観覧客ではなくてカメラマンだから、
お客さんに向いている演じ手の気持ちを撮るのが俺の役割りだから。
流し演舞で極力正面から撮るのは、道の両側にお客さんがいるから。
双方の距離感・空気感・気持ちは、踊り子さんの目線の先に何があって、
そこにどんな気持ちを向けて演じているのかを写す事が大切なんで。
今回は、疾風乱舞さんの天我凰翔を初めて拝見した時に、あの赤い扇子を
カメラと反対側からの光、逆光による透過光で撮りたいと考えてから、
やっとたどり着いた冬の洛陽の光での撮影。
逆光ほどドラマチックな演出をしてくれる光はないですから。
嬉しくて日記にしました。
当日、息をのむほど素晴らしい写真はどちらのチームでも撮れてましたが、
一つの演舞を100枚・ひと組のアルバムにまとめるには完成度に疑問があり
撮りおろしだけでは構成出来そうにないので、これからの作業になります。
ここに揚げた疾風乱舞さんは撮りおろしでほとんど手を加えてはいません。
以前に揚げた坂戸よさこいの演舞はお盆明けの真夏の直射日光を受けての
写真達。http://blog.goo.ne.jp/photo/196077
これは、貼り付けなくてもイイかなと思ったんだけれど“蛇足”です。
地方車のライトと逆光の太陽を入れたかったんだけれどもスレーミングが変
だわ。こりゃいかんわ。でも夏の光との違いを感じてもらえればと比較の為
に。
ワカパウォークの暖かい灯りの中。
光が丘の背景は真っ白な真夏の陽射しなのに踊り子さんには木漏れ日の
スローシャッターが切れたり。いろんな嬉しいがいっぱいです。
でも九時から六時とか、十時から四時半とか、ずぅ~と動きっぱなしでは
倒れてしまう。だからよさこいの撮影はキライ。
2013年1月3日です。追加で書き込みをします。
この日記はマイミクさんは一通りご覧になられた様子なので、
人目に触れる事はないかもしれませんが、あえて付け加えさせていただきます。
この中の夕陽の逆光の写真では、一つの画面の中に20人ちかく写りながら、
たった一人の顔も写っていない、全員後ろ姿の写真とか、
たった一人もしくわ数人で写っているのに表情のハッキリ見えないシルエットとか、
そんな写真がたくさんあります。
きっとよさカメ衆の写真ではありえない事なのかもしれないけれど、
踊り子さん達は、演舞を全身全霊を持って表現しようと、たくんの練習を積んで、
本番に望んでいるはずです。
彼らの演舞は、その背中からも、指先からも、舞う髪の流れからも、扇子の動きからも感じ取れます。
そのエネルギーが大きすぎて受け止め切れないほどです。
そんな想いで撮っている写真ですが、それがこの写真を見る人に伝わらないのは自分の力不足にほかなりません。
本気で性根を据えて挑まなければならないのだなと考えています。