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台湾大好き

2016/02/01から90日滞在予定。

野口体操

2020年04月08日 | 健康増進
野口体操
「力を抜く」という事実とその実感が分からなければ、「力を入れる」という事実も実感も分かりようがない。この基礎的事実と実感のないところでは、どんな理屈も実技も空論となり、無意味なものとなる。いま自分がここに見ているものが、事実としてここに在るとは限らない。人間はいわゆる客観的に事実そのものを見ているつもりでも,その場の関係によって、在る方向へ「錯覚することの出来る能力」を与えられている、というように言いたい。たよりなさ、もどかしさ、ちぐはぐ、いらだたしさ、なさけなさ、………そして、うれしさ、よろこばしさ、………人間が五感と読んでいる「視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚」と言うような情報受容の感覚器,人間にこの分析的な感覚が与えられた為に,人間は対象を分析的に認識する能力や思考・表現する能力と言う長所を発達させた。

しかし,このことは同時に,五つの感覚以外のまだよくわからない情報受容能力の発達を妨げ,さらにそれを退化させてしまった。感覚とは錯覚のことである。錯覚以外の感覚は事実としては存在しない。理解とは誤解のことである。誤解以外の理解は事実としては存在しない。判断とは独断のことである。独断以外の判断は事実としては存在しない。意見とは偏見のことである。偏見以外の意見は事実としては存在しない。「事実と感覚と意識と表現」の間には,それぞれ多くのズレがあることを忘れてはならない。コトバは、人が神に対する呪術的な祭りの祈りのコトバに始まる。生きることのたたり(崇)に対する恐怖のコトバが根源的出発点であろう。,障碍(しょうがい)によって意識が生まれるように,怖れによって祈りが生まれ,その祈りがコトバなのである。人間が生きていくことにとって,国家的政治的枠組みが唯一最高の基盤ではない。気候・風土やその中から生まれた言語・宗教・風俗・習慣価値観………などの文化の伝統が優先する。

新陰流と一刀流2

2020年04月07日 | 健康増進
新陰流と一刀流2
一方螺旋の太刀は、この宇宙、重力世界のあらゆるもののあるところに働いている螺旋に沿いつつ、重力エネルギーを展開しつつ動く。こうして日本の剣術は螺旋と垂直の二つの系統に分かれてきたがいずれもそれは重力との関係によって成り立っている。気エネルギーの極致をきびしく求めてきた武術は、こうして見ると、やはり最も深い世界観相に、体験と直感によって達してきたのだと感嘆せざるを得ないのだ。もう少し武術について触れると、螺旋は一個の人体内のことにとどまらない。個としての中心をもった私と、されにもう一つの中心をもった今一人の相手(敵)との出会いの中にもまた螺旋は生じてくる。相手が押せば、まわり込みながら引き、相手が引けば、その動きにつれななめ前に入る、という柔道の原理もそれを一部あらわしている。本来の合気道などはさらにもっと深く微妙にこの原理をつかんでいるはずである。

直線的な対決か゛現実には、こうした円転、あるいは立体的に見ると螺旋敵な出会いになることが多いのである。中国の道教系の行などに「禹歩」といって古代の天動説的宇宙観によって、天の中心である北極星に自らの気を合わせるべく北斗七星の配置どおりに大地に歩を運ぶ。そうすると天の回転の原点である北斗七星と自らの気のエネルギーが一致融合して自らの身が回転する天の巨大なエネルギーと一つにつながる。そうしておいてからしかるべき儀式や拳法を行った、という。日本でも一刀流に、やはり北斗七星に方向をあわせて舞いのような運足をする法があった。武術はこうして、宇宙観であり、宇宙的な舞いであり、動的瞑想法でもあった。なぜ禹歩というかは、中国古代の帝王の禹の行ったところの儀式に従うとも、あるいは北斗七星の運足が兎の足跡に似ているからともいう。日本でもある時代、天皇や一般の人々の間にも儀式として行われていた習慣でもあった。古代人は天に通じる巨大な螺旋の舞法として、そこに生命の最も深遠なルーツを見ようとしたのである。

新陰流と一刀流1

2020年04月06日 | 健康増進
新陰流と一刀流1
エネルギー(気)を集中することを最もきびしく追求してそれを型にまで精錬しぬいた日本や中国の武術を観察すると、その型には螺旋が非常に多くみられる。中国拳法の常識だが、纏絲勁といって、糸がぐるぐると回転しながら進むようなねじり気味の運動を説く。これは単に手をねじり気味に突き出す、といった部分的で外面的なことにとどまらず、こぶしを通し敵に集中してくる「気」エネルギーが、大地からぐるぐると螺旋を描いてくるこつを教えるのである。日本の伝統的な剣術においても、剣のあつかいを、螺旋状に回転させてゆくことを説くものがある。

それが新陰流系統の刀術であり、螺旋に動かすことによって、上下、左右自在に風車のように効率的に重い力をさばける。螺旋状の運動の原理に従っているものがあるところには、必ず重力が働いていることもすでに述べた。人体も例外ではない。重力につきまとうのがスピン、あるいはうず巻きである。その重力―うず巻きの働きに沿った方法が新陰流系統である。今一つ、一刀流系統の剣法がある。斬撃の際、刀を垂直状「外見は厳密な垂直ではないが」に振り上げるのを基本の一つとする。すると垂直の言によって手にほとんど重さを感じないところがある。そのあたかも刀が「空」になったかのような位置から切りおろした威力はすさまじくなるのである。いわば、これは、垂直による重力からの超脱と重力世界への突入のこつによる刀の扱い方である。これは、垂直―重力の原理といえよう。

全身が一つになり微笑む

2020年04月05日 | 健康増進
全身が一つになり微笑む
正中線が自覚され、全身が柔らかくなると身体の中から自ずと微笑みが湧いてくるのである。その時は息も深く、全身で周囲の空間と融和しつつ行っている。あたかもその空間それ自体が呼吸しはじめるようだ。呼吸なき呼吸。この時からだはからだであることを超えている。

中心―正中線が定まる

2020年04月04日 | 健康増進
中心―正中線が定まる
放ち、柔らかくなり、流れる……それだけでは十分でなくそれと即応して、自ずとそこにすっと、中心線が体軸を貫くことも必要だ。これを正中線ともいい、まずはそれを体感してゆくことである。腰が割れるという伝統身技や芸能のこつもここにある。この垂直線は体そのものも貫いて、天と地を貫くのである。但しこの「中心」もさらに超えられて「中心」なき世界へとすすむ。