やまとらん

のんびり山歩き、のんびりランニング

2017川の道(その4) 新潟ゴール

2017-08-20 14:14:05 | ランニング
旧三箇小学校では予定では暗いうちに着いて翌日暖かくなって昼前出発と想定していたが、着いた時が既に9時過ぎだったので昼過ぎ14時まで仮眠してまたまた誠ちゃんカレーやたくさんの山菜料理をいただく。こごみやたらの芽の天ぷらが最高でした。

天気もよく気持ちよい幸せなひととき、身体はギシギシ痛み眠くてしようがないけど、こんなに開放的な気分になるのはなぜだろう。ランニングの持つ自己開放の魅力か。
小千谷の街中をのんびり進み、0時過ぎに和田さんのお宅に到着。もう完全に仮眠所であり、食べるのはそこそこにして仮眠所がいっぱいなので途中から一緒になったS藤さんも加わりダンボールを分けて横になる。しかし、毛布もなく寒さに我慢できず2時間ほどで出発する。
長岡から三条と入り、新潟目指して車だらけの大きな幹線道路を朦朧としながら進む。
そして、とうとうA部さんがどうしても眠くて少しだけ横になるとバス停に入り込んでしまう。
後から、途中で知り合った、川の道はもちろん本州縦断もやってる超ベテランランナーのN村さんが来るので、一緒に来れば必ず完走できると話してS藤さんと一緒に先に行くことにした。

S藤さんもハーフだがここまでほぼ寝ていないらしく気持ちだけで付いてきている。足は浮腫んでおりなるべく早めにアイシングしたほうが良いはず。コンビニでも氷で冷やすと少し楽になるらしくペースを上げても付いてくる。長い国道をいい加減飽きる頃に新潟に入り、もう歩きでも大丈夫な距離まで進んだ。
S藤さんも少し休んで無理せずゆっくりゴールを目指したいというので、川の道岬までペースを落とさず一人まさしくマイペースで走る。川の道岬でゆっくりと夕日に染まる日本海を待つつもりで早めに川の道岬に到着したが少し前から雲に覆われてしまった。途中、何度か一緒になったS木さんと岬で寛いでいたが日本海の日没は見れそうにないのでゴール目指して最後の力を振り絞った。休まず足を出し呼吸を整えて走る、次第にペースがあがり最後は全力疾走でランニングハイ状態。
こんなに疲れているのに余裕がある、キロ5分近いスピードまで上げても苦しくなく、不思議な感覚のままゴール!
2014年の足裏ボロボロ豆だらけの雨で始まり雨で終わったゴールとは大違い、最後まで元気いっぱいで楽しんだ川の道でした。

2017川の道(その3) 一緒に走ろう

2017-08-19 19:00:32 | ランニング
だいぶ更新せず川の道の記憶も薄れ始めてきている。雨降りの8月で走れないので続きを書いておこう。

小諸グランドホテルで大部屋に入り、何度も会ったランナー達とここまでのお互いの健闘を称えながら荷物から着替えを出す。
すぐ風呂に入り、生き返る思い!至福のひとときである。一瞬、眠気もなくなるが、カップ麺をもらい食べ終わると強烈な眠気に襲われ、躊躇うことなく気絶…そして覚睡してビックリ!
なんと6時間以上寝ていた、iPhoneのアラームには反応出来なかったようだ。急いで身支度して出発、まだ夜明け前の暗い中をよろよろ走り出す。
暫くして前方にB東さんが辛そうに歩いてる、ぶどう峠の下りで先行したはずの私に驚いていたが爆睡し過ぎた事を話しながら暫く一緒に走る。一緒に走った2013のトランスエゾが一番楽しかったと言われ、2014にリトライし見事アルティ完走したB東さんだが以降のエゾ状況になんとなくモチベーションが下がっており今年は行かないとのこと。しかし、エゾは良きも悪しきも受け入れる14日間1100kmの旅ランであり、素晴らしい大会である。あの夢のような時間は走っているうちに素敵な仲間だけが残るものと信じてる。また来年にはB東さんも居るんだろうなと思う、そして来年こそ片道だけでも参加したいもんだ。

道が狭い歩道となり、歩き中心のB東さんとは自然に別れ暫く行くとM本さんに追いつく。聞けば朝飯を食べたいが牛丼屋を探してるが見あたらずウロウロしてるらしい。やむなくコンビニでしっかり朝飯を食べるから先に行ってくれと。
またすぐ一緒になるだろうと思い先に行く、一人になると身体のあちこちがギシギシ痛み出しているのを感じる。1月に手術した右膝が硬いのも気になるが痛みにはなっておらずこのまま回復継続を願いながら進む。

また誰かと一緒に走れるようになるかな、A部さんはもう遥か先に行ってるだろうなぁ、通勤ランで毎日20kmを休まず継続し月間600kmが当たり前となっているとか聞き、まさに継続は力なりだなと思う。
上田城址公園手前で前方に大きく右に傾いてよろよろ歩いてるランナーを見つける。かなり辛そうで傾き方も半端じゃないし、歩く速度も遅く次の鹿渡の関門にはまず間に合わないだろうと思われる。夜通し歩いてるのか朝の冷え込みが辛そうで何枚か重ね着してフードを被り寒さに耐えながら歩いてる横を一声掛けて通り過ぎようとしたら、なんとA部さんだった!
A部さんも私に驚いたようで再開出来た事をお互い大喜びした。聞けば足首が痛くて走れないとのこと。30年以上勤めた会社を一緒に退職し、その後もお互いのランニング近況報告しながら励まし合いの間柄である。このままでは関門アウトの恐れもあるが本人は歩いてでも間に合わせると意欲満々、ならば一緒に走って少しでもペースを上げていこうと思い、ゆっくり話しながら立ち止まらず一定のリズムで引っ張ってみた。極力休まずゆっくり走るとA部さんも我慢出来るようで、1時間経ち、3時間経ち、お昼をコンビニで取りながら、またゆっくり話しながら走る、そして長野の街中に入り、よく知ってる善光寺の坂も止まらずゆっくり走る。善光寺ではソフトクリームでリフレッシュ、御参りして人混みの中に達成感を得る事が出来た。
善光寺から1時間ほど頑張ったところで目当ての牛丼屋に入り、しっかりと味噌汁と玉子セットを食べてエネルギー充填。これから夜の寒さの中、鹿渡まで長いけど休まず走れる準備が出来た。

日も暮れて長野富士通の大きな工場を過ぎて暫くすると、後半組みの速いランナーが追い付いてきた。その中にはS谷さんも快調に飛ばして行くのが気持ち良かった。あとでその後ヘロヘロになり試練の走りになったらしい。
浅野の交差点を過ぎる頃には陽も完全に落ちて真っ暗の中、バイパス通りを黙々と走り風があり寒さが辛かったが頑張って登り切り飯山の街に入った。2014年にはまだ駅も古く巨体なコンクリートの駅には入らず仮眠場所もないまま進んだ。
ここから徹夜ランが始まり、猛烈な睡魔との戦いだった。本当に頭の芯がキリキリするほどの睡魔でフラフラ走りながら徐々に胃が痛み出してきた。実は葛西臨海公園をスタートしてから3日間一度もお通じがなく腹痛なのか胃の痛みなのか分からない状態になっていた。
そしてとうとう睡魔と合わせて吐き気に悩まされる状態となってしまった。何度か吐くがすっきりせず、A部さんには先に行ってもらいトイレで格闘、30分ぐらいしてやっとスッキリ。その後は本格的な眠気の中、A部さんに追い付き鹿渡の旧三箇小学校を目指したがほとんど記憶が無いほど眠りながら走った。
夜が明け三箇小学校に到着すると、廊下で荷物を開けて真っ先にシャワーで暖まり、誠ちゃんカレーで空っぽになってた胃も満たし、あっという間に爆睡してしまった。
A部さんも一緒に走れて本当に良かった。

(更に続く)

2017川の道(その2) 小諸は遠い

2017-06-19 03:21:00 | ランニング
ぶどう峠を越えてからトイレタイムを取りながら、下りで太腿を庇うように他のランナー達と話しながら進む。
ここで、2013年のトランスエゾで一緒に苦しんだB東さんと会った。とても辛そうに足を引き摺りながら歩いていた。初日の荒川河川敷を快調に飛ばし、一時期は先頭から数番目を走っていたそうである。その後は足首を痛め、お決まりの痛みに苦しみもがきながらの川の道を満喫していると笑っていた。とても尋常ではない馬鹿ロードっぷりであり、川の道を誰よりも楽しむ技を披露するという本領発揮状態だった。
とても付いていけずいつしか先に行かせてもらい、千曲大橋を渡る。蕎麦屋を見つけ暖かい天ぷらそばを注文し、なかなか出てこないまま、すっかりのんびりしてしまい1時間近く蕎麦屋で休んだ。佐久目指してのろのろと走り出すが、歩道は走りづらい。どういう訳か盛り上がっており、道路脇の家に入る部分は車道と同じ低さになるのでたったの15cm程度だが数m毎に上り下りを繰り返す、これが辛くていい加減嫌にになってくる。

だらだらと何もない街道を走り、一向に雰囲気も変わらず他のランナーにも会わないので辛いところだったが、私設エイドでリフレッシュしているとE藤さんがやってきて、エイドの人と知り合いらしくスマフォで写真を撮ろうとするも電池切れ〜。この少し前から私のスマフォは雨の中走った時にフリーズしてしまい使い物にならないので持っていた充電器を貸してあげた。彼女はとても素直に喜んでくれ、こちらまで嬉しくなる。

いつしかやっと佐久の町に入り、小諸を目指して踏ん張り処となった。小諸グランドホテルに着けば、風呂もあり快適な布団もある。食べ物はカップ面で十分なのでコンビニにも寄らずひたすら風呂と布団を求めて走った。とにかく走ったつもりになっていたが、時間はそれほど経っておらず当然距離も進まない、布団で寝たい気持ちだけで我慢のランを続けた。長かった、いや長く感じた、たった1時間程度だが小諸グランドホテルに着いた時はヘロヘロ状態になっていた。

(のんびり続く)

2017年川の道(その1)

2017-05-22 11:44:24 | ランニング

GWに川の道を走ってきました。

東京の葛西臨海公園をスタートして新潟の日本海まで6日間のジャーニーラン。
途中、3箇所に仮眠所があり、それぞれ2時間以上休憩するルールだけであとは昼も夜も走り通すというもの。
2014年に初完走して2015年から2016年まではエントリーだけで故障や身内のバタバタでキャンセル続きでした。
私にとってとても思い入れの大きなランニングイベントなので、今年こそ走りたいと1月に膝の手術を行い、医者の言う通りリハビリに専念して臨みました。
昨年10月から膝の痛みでほとんど走れず、大会でなんとかストレス解消していましたが、これではいつまで経ってもまともに走れるようにならない、真面目に走れる足を作り直そうと膝の専門医がいる大久保病院に相談し、手術入院することにしました。
半分もう走れなくなるのも覚悟してきちんとやれることをやってみようと、それでもダメならしようがないという気持ちでした。

4月30日、葛西臨海公園は見事に晴れ上り、2014年の熱い雨の中とは格段の差、それでも足腰はまだガンガン走る状態ではないのでゆる〜いジョギングペースで(それでも心臓は苦しい)彩湖CP1のエイドに到着。
そばを食べて、もう汗だくで塩を吹き出している状態だが体調は元気なことを確認し、長く休まずゆっくりと走り出す。
一緒に同じペースで走ってくれたA部さんも夕闇迫る荒川の河川敷を先に進んでもらう。1日付き合ってくれてありがとう。
日が暮れ始め、レジェンドM本さんが追いついてきて暫く一緒に話しながら走る。2013年のトランスエゾ参加条件の東京湾一周を7月に走り知り合った、自称プロランナーであるが、冗談ではなく本当に素晴らしいランニングを楽しむ74歳のプロランナーである、生きる喜びとランニングを見事に融合させている川の道参加者の最高齢である。
私の住まいの近くの新百合ヶ丘に住んでいることを聞き、更に親近感も出ていろいろな話をしながら走れた。

A部さんとだんだん付いていけなくなった頃から胃がキリキリ痛み出し、食欲がなくなっていたが、M本さんと話しながら走ってA部さんが荒川最後のエイドCP2で休んでいるところに追いついた。
胃が痛くてと弱音を吐くと、食欲旺盛なA部さんと大会スタッフから、辛くても吐いてでも固形物を食べないと胃は復活しないよと言われ、どうせこのままダメになるより吐いてでもいいから試しに胃に刺激を与えてみようとカップ麺を食べたところ、見事に復活。

A部さんは今日は私に付き合うと言ってくれ、一緒に熊谷から秩父を目指して、川の道に参加できた喜びや一緒に走れることに喜んでくれた。
熊谷から秩父に向かう途中で、コインランドリーを発見し暖かい中で子供遊び用のマットの上で1時間ほど仮眠をとることができた。
その後、秩父に入ってからA部さんには先に行ってもらい、眠い中、ふらふらと夜明けを迎えた。
暫くしてM本さんとH賀さんに会い、朝飯に味噌汁が飲みたいと牛丼屋を探しているらしく、一緒に歩いたり走ったりしながら付いていくことになった。 なかなか朝5時頃からやっている牛丼屋なんてなく、途中、道の駅(当然、またやっていない)のベンチでごろ寝したりしてやっと秩父の街中で牛丼屋に入った。 ここでしっかりと味噌汁朝定食を食べてみて改めて胃が復活しているのを確認。味噌汁の効用もおまじないのような感じで受け入れ、実際、吸収して身体も調子よくなった。

新百合の前に秩父に住んでいたM本さんに引っ張ってもらい、コースから少し外れた湧き水スポットにより、美味しい水で顔を洗い、塩だらけの頭も顔もスッキリ。
ここから両神山荘までM本さんと一緒に走った。両神山荘手前30分手前で雨に捕まり、シューズもずぶ濡れになってしまったが、両神山荘で新聞紙をもらい、トランスエゾで教えてもらったように濡れたシューズに丸めてぎゅっと突っ込んで乾くのを期待した。
両神山荘はスポーツエイドの大会で去年利用していた。本館の風呂で汗にまみれた身体を洗い流し食事をして体育館に敷き詰められた布団に横になった途端気絶、4時間ほど睡眠をとった。

まだボーっとしながら出発、シューズもほとんど乾いており、夕闇の中をぶどう峠目ざして進んだ。 この山の中の歩みがもっとも辛く、坂に苦しんだだけでなく、寒さが半端ではなかった。
途中の集落にあった道路脇の温度表示が3度!
ここから標高1000m登るとさらに6度下がる事になるので峠はマイナス3度ということになる。
震えながら、他のランナー達とこれ以上着るものがない中、眠気もピークになってきて眠れる場所を探しながら体力温存と身体が冷えないようにぎりぎりのランニングで彷徨うように進んだ。

なんとか、ぶどう峠の登り口である上野村の川の駅に到着し暖かい私設エイドの味噌汁をいただき、火を起こしてくれてる横で仮眠しようとしたが、他のランナーもおり独占はできない、トイレの便器が暖かいという大会案内の誰かのイラストを思い出し、トイレに行ってみた。これが正解で、しかもトイレには暖房器がありスイッチを入れると温風がでてくる、ここで1時間近くウトウトしながら身体を温めた。
陽が昇り、峠への寒い道もなんとか走れる感じとなり、再びランニング開始。とにかく止まらずゆっくりでも一定のペースで体を保つように進み、途中で休んでいる他のランナー達とも合流、金髪の美女E藤さんともここで会う、ランニングの前はサーフィンに夢中だったという明るく笑顔いっぱいの女子に元気をもらう。
いつしか一緒にぶどう峠に到着し辛かった峠道も楽しく通過できた。

(続く)


走れない日々が続く

2016-09-14 00:31:22 | 日記

仕事も忙しく平日走れない状況が続く。

休日は栃木の実家に行き父の介護。独居となり平日は一人寂しい生活、せめて休日は一緒に食べたりテレビ観たり。

実家から4.5km先の運動公園まで走り、1周1500mのランニングコースを10週15kmほど真面目に走れば良いトレーニング、気持ちもスッキリする。

今週末には雁坂が控えている。
数日前に追い込んでみても走力が上がるわけではないが直前まで走る気持ちを維持するよう頑張ろう。

それにしてもニャンコはのんびり!