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こなキン じじい日記

2021/06/07

 




いままでの中で大きく自分を変えた人が居た
同じ年齢
10年前に 癌でこの世を去っている彼女
教えていたジュニアのおっかさん
からだは細く、肝っ玉は大きんだか小さいんだかわからない人
ただ、物事ははっきり ポジティブでした
 
明治生まれの父親を持ち 幼少から酒癖の悪い父親に殴られていたと聞いた
中学卒業と同時に働きに出て 家を支えていたとも聞いた
 
そんな彼女にあったのが1997年ころ
二人の子供にテニスを教えてほしいと言われた
そこから しょっちゅう彼女の家に入り浸り毎日がパーティーのよう
 
そんな彼女にはよく叱られた
またよく相談を持ちかけられ泣かれた
人情味のある彼女
ポジティブ
何があっても起き上がってきた
 
内職で40万くらいは稼いでいただろう
その内職がだめになった頃たこ焼き屋もやった
 
ある日呼び出されお店に行くとお腹が辛いという
病院に行って検査を勧めた
結果はステージ4
 
しかし、手術しても抗がん剤投与でもポジティブだった
ちょっと調子が良いと病院から出てきて 呼び出され 焼き肉やらつきあわされた
真っ昼間でも
 
入院するたびに呼び出され話し相手をしていた
ほぼ、給付金の話
家のローンと子どもたちの教育費を死亡保険で賄うから今のうちの聞いておいてほしいというもの
その考えは よく変ったものだ
変更を思いつくと呼び出され 聞いていた
 
最初の手術で 個室に入った
呼び出され 部屋をピンクのカーペットで埋め尽くせという
「はいはい」でカーペット買って 寸法とって裁断して引き詰めてあげた
その時の嬉しそうな顔 いまだに頭に残ってる
 
亡くなる3日前 病室に泊まり込んだ
家族以外でオイラだけ
夜中3時ころ 痛くて目が冷めた彼女 もう ガラガラに痩せていた
俺の顔を確認したら こういった
 
「コーチ お願いだから 早く逝かせて」
 
と涙声を振り絞って
 
ナースを呼んで 寝かせてもらったのを見て家に帰った
車をおいて 歩いて国道を泣きながら帰った
一時間あまりで家に帰った
 
お葬式は カメラマンを引き受け
来た人全員を記録した
 
亡くなる前に ビデをレターを作ってあった
お葬式に流れてきた
 
どこまで強い人なんだ
どこまでにぎやかな人なんだ
 
亡くなってから その家族とは連絡をとっていない
みんな元気だろうか?
 
見事な人だった。
人間の醜さ 楽しさ 全て見せてくれたやつ
 
きっと そいつに俺は守られてるのかもしれない
「コーチ やり残してることあるやろ」
「まだこっちに来たら アカン!」
そう言ってるに違いない
 
もう少し待っててな
そのうち 行ったら 馬鹿話しような! かよちゃん
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