ダブル介護の憂鬱

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ラプンツェルでハムスターで・・・

2024-05-26 21:16:23 | 日記
今朝、母が入所している老健の介護の方より電話。
家電だったので何事かと思いきや「携帯に電話したけど繋がらないので」と。
母に何かあった?

聞けば
母の困り事として
食事を持ち帰って手荷物の袋の中の入れてしまう・・・

はあ、それはもう、家でも。はい。
ごめんなさい🙇‍♂️🙇🙇‍♀️

荷物の中に隠されるとわからなくなってしまう。
これからの季節、虫が湧いたり、におったり、カビたりしても困る。
袋の中身をタンスに移して、空の袋をお預かりしているので、持ち帰ってもらいたい。

わかりました。
と答えると
いつ、来れますか?

なんとなく、イライラが伝わってくるような電話。
本当に申し訳ないと思うけれど、母の食べ残し隠しは今に始まったことではなくて。

2年前に退院してまもなくの自宅にいる期間(3週間ほど)、私は実家に泊まり込んでお世話したのだけれども、食事をことごとく残され、隠され、本当に傷ついた。
お母さんはお寿司が好きだから
食は細いけれどお寿司なら食べるかな?
と思って買ってきたのに、翌日、ティッシュに何重にも包まれ、ぐいっと握られてゴミ箱の中にあった握り寿司。(まさに、握り寿司か!) あれはアジのたたきが載ったお寿司だった。今でもあの画像が甦るよ。可哀想なお寿司。
それが、食べ残し隠しの一番最初。衝撃だった。

父も言っていた。私は、仕事帰りに毎日実家に寄って夕食を作っていて、テーブルに並べてから「じゃあね」って自宅に帰っていたのだけれど
「○○ちゃん(私の名前)が折角作ったご飯を、○〇〇(母の名前)は捨てているんだよ。〇〇ちゃんが帰った後に僕はそれを見つけるんだ。それが本当に辛いんだ」
残されるのがわかっていたから、それを見ないで「じゃあね」って帰ってしまうのは私にとっては都合が良かった。見なければ、傷つかない。
だけど、お父さんは心を痛めていたんだよね。ごめん。

だんだん捨てられることにも慣れてきて、私はあんまり傷つかなくなったのだけれど、極端に食が細い母なので看過することもできず。とにかく食べてほしい。

私がちょっと食後にお茶を入れに行くと、その隙にお皿の上のものがきれいサッパリなくなっている。
「美味しかったけど、おなかパンクです」だって。白々しいなあと思ってしまう。
お茶を入れるのはやめてみたが、ちょっとスマホをいじっていたら、またまた、サッとお皿の上のものが消えている。えっっ? マジックか? すごい早業。
手に握りしめているその包みは何ですか?
「ゴミはちょうだい。こっちで捨てるから。」
「ゴミじゃありません」
そんな力がどこに?ってくらい握りしめた手を開きません。

母がショートステイなどに出かけた後に見てみると
ベッドの下、テーブルの下、ソファーの裏から、出てきます。干からびた残菜が。
ハムスターか? リスか?

そう言うわけだから今に始まった事ではなく
老健の人にも、以前から伝えているし、
そもそも2月に入所しているわけだから
老健でも、今に始まった事ではないはずなのだが。

ああ、でもきっと、言いたくなるよね。
すみません。

「それでですね。手提げ袋に隠されてしまうので、袋類を一切引き上げさせていただきたいのですが、そうはいっても食堂に行かれたりする時に携帯などお持ちになるので、手提げが何もないのも不便で。
携帯しか入らないような本当に小さなポーチか、あるいは中身が見えるような透明の手提げを用意してくださいませんか?」
「わかりました。」
急に見慣れないバッグを渡されて、母が戸惑うのではとも思ったけれども、仕方ないよね。

「それと、携帯ですが、ご本人、あちこちに置いてきてしまって。もう使わないとおっしゃってもいますが、ご家族にお渡ししますか?」
「いやー、使ってると思いますけど。父に毎日、電話をかけていましたけど?」
「そうですか。では、持っていただいてもいいのですが、なくなっても責任が持てませんが、ご了承くださいますか?」
あ、そういうことね。
ご家族様がいいと言えば、施設の責任ではないってやつ。
このフレーズは何度も聞いてちょっとうんざりだけど、仕方ないよね。
「わかりました。」

夕方、母から電話がありました。(携帯、使ってるじゃん!)
「私のカバン、あなたが持っているの?」

そう言えば、「こちらでお預かりしようとすると不審がられるので、娘さんが預かりたいとおっしゃっていますと言って渡していただきました」と言ってたな。
結局、私が悪者かい。

「介護の人が、預かってほしいと言って私に持ってきたよ」(こういうことだよね、つまり。まだ預かってはいないけどね)
「ああ、そうなのね。あなたが持っているならいいのよ」
なんだかちょっと可哀想になりました。
髪の毛切らないラプンツェルで、食べ物隠すハムスターで、何なんだ!!と思う時もあるけど、
身ぐるみ剥がれて手荷物もなくて、人権あるのかね?

ならば、在宅でご家族が介護すれば?
いや、それは・・・

自宅の引き出しの中に、小さな小さな手提げがあるのを思い出した。
母の手作り。シルクスクリーンの絵柄も入っている。
とても丁寧に作ってある。
母は手仕事が好きだったし上手だった。
さまざまな小物をたくさん作ってたくさんプレゼントしてくれた。たくさん貰いすぎて困ってもいたけど。
情が厚い人で、人にプレゼントするの、好きなんだよね。母は、そういう人。

この袋なら母が自分で作ったものだし、渡されても困らないよね?
見たこともないものだと「私の物ではないわ」と思って、しまいこむんじゃないかな。多分使わない。

袋を洗濯した。使い込んでちょっとくたびれているけど、いいよね。
アイロンあてて、今度、持って行こう。




認知症のラプンツェル

2024-05-25 21:14:33 | 日記
母、本日より、老健入所となりました。
手術検討に伴う病院受診のため、老健にショートステイを繰り返していましたが、手術を受けないことになったのは、これまでも書いてきた通りです。受診の予定もなくなったので、本日よりショートステイが入所に切り替わりました。
老健って、つくづく変な施設ですな。

老健入所中は医療保険を使えないため、医療を受けるには施設側が医療費を負担しなければならない。よって入所中に病院にかかることはできない。
母は入所前日に降ってわいた手術の提案だったので、仕方なくショートステイを繰り返して対応してくれました。ショートならば外泊できるし、医療保険も使える。
へーーーー。
当面、母の病院受診はなくなったので、今回は入所でお願いしますと伝えましたら、キーパーソンの私が書類にサインしないと入所できないんだとか。
仕事を連日休んでいたので、「送り出しは夫で対応。手続きはできれば別の日に」とお願いしたところ、「まずはショートステイで受け入れ、娘さんがサインされた時点で入所に切り替えます」と。
そーなのか。ふーん。

まあ、お世話になっているし、散々融通してもらっているので、悪くは言えません。

そういうわけで、本日、入所の手続きに行ったというわけです。
いろいろな話があり、ここに書いておきたいことが諸々ありますが、今回はその中でも一つ。

母について施設の人の困り事。
大動脈瘤を抱えているというのが何より心配だし、気を使うことではありますが、それ以外ではこれ。ラプンツェル問題。
髪を切らない。

2年前に大動脈解離で入院して以来、切っていません。
何故だかは謎。
退院して家で暮らすようになって、父と私が繰り返し美容院に行くことを勧めても、「今はいい」「ちょっと待って」「順々にやるから」
行きつけだった美容院(普通の人の足で徒歩5分ほどですけれど)まで車を出すよと言っても、「あそこはイヤ」
夫婦でやっていた小さなお店でしたが、数年前にご主人が亡くなり奥さんが一人で切り盛りしているらしい。それなら尚のこと利用して応援したらと思うのですが、「あそこは不吉だから嫌」
「じゃあ、どこか別のところを探そうか?」「知らないところは嫌」
出かけるのが大変なら出張美容師さんという方法もあるよと言えば、「他人が来るのは嫌」
そんな間も髪は伸び続け、背中ほどまでもあるザンバラ髪に。落武者か?
コープのカタログで見つけた帽子に器用に髪を入れているので、さほど不審には見えないのだけど、帽子をかぶっていない姿をたまに見るとギョッとします。
息子が、「うちのビルにいるホームレスのおばあさんに似てるんだけど。こんなことを言って悪いけど。」とやや引き気味に私に言いました。(彼、商業施設でビル管理の仕事をしています。)
「お母さん、私が切ろうか?」「・・・」

母は週に2回デイサービスを利用していましたが、昨年の夏から同じ事業所でショートステイも利用するようにになりました。
ショートステイ先で出張美容師さんを呼べるとわかり、お願いすることにしました。ケアマネさんと話していた時は母も「あら、それはいいわね」と言っていたのですが。
当日、施設に美容師さんが来て、椅子に座っていよいよという時に、「今日はカットはいいです」と断ってしまいました。
仕事中の私の携帯が鳴って「お母様がキャンセルを希望されていますが、よろしいでしょうか? キャンセル料が発生しますがご承知おきください」と。
4800円かかりました。ああ、もったいない。まあ、問題はそこではないのですが。
母曰く、美容師が気に入らなかった、自分をバカにするような発言をした、この人に髪を切ってもらうのは絶対に嫌だと思った、、、とか。
「何を言われたの?」
「どうせボケてるんだから、どんな髪型でもいいと言われたのよ!」
施設の人に聞いたところ、そのようなやり取りは見ていないし、そのようなことを言うような人ではないと思うのですが。今まで施設に出入りしていて、そうしたクレームもなかった、、、
真相は謎のままです。

今年になって実家で母とテレビを見ている時に、ヘアドネーションの特集をやっていました。
それからです。母が「(髪の毛を)寄付しようと思っていますの」と、ケアマネさんに言うようになったのは。
「美容院に行かれませんか?」(ケアマネさん)
「差し上げようと思いますの。それにはもっと伸ばさなければならないでしょう?」
私、思わず口を挟みました。
「お母さん、ウィッグにするのはね、ツヤツヤのスベスベの健康的な髪の毛でないと。パサパサの髪はダメなの! 私の髪の毛だって、断られるよ。」
そうとも限らないらしいのですが、まあいいでしょう。このくらい言わないと響かないよ。
「・・・・・」

そうこうしているうちに父の入院に伴い老健を利用するようになりました。
「髪の毛を切っていただきたい」と繰り返し言われるようになりました。
例の帽子を被っているのですが、うまくできずにザンバラでいることもあり「(髪の毛を結ぶのを)お手伝いしましょうか?」と言っても、「自分でやりますから」と言って一切触らせてもらえない。
お風呂で髪を洗うのも大変だし、ドライヤーで乾かすのはもっと大変。絡まってしまいそうで危険。衛生的にも問題あり。
返す言葉もありません。
もちろん、老健には定期的に美容師さん来るのだけれど断固拒否です。

「と言うわけなので、今日は娘さんにご提案があります。私たちもいろいろ考えて、一つの方法に辿り着きました。」
「はあ、なんでしょう」
「美容師さんが来た時に、切っていただくために無理に椅子に座っていただくことはできません。私たちがそれをすると虐待になってしますます。」
「はあ、、。」
「ご家族ならば、それは虐待になりません。」
つまり私が母を椅子に座らせて抑えていろと?

狐につままれたような気分の提案ですが、これからのことを考えると「わかりました」と言うよりほかはないなと思いました。
これからのことをかんがえると?
ああ、そうか。例えば「髪の毛を切らないと、ここにいられなくなっちゃうかも」と言ってみる?
ほら、あんなに嫌がっていた歯医者さんも、「歯を治さないと手術を受けられない」と言ったら、渋々ながら受け入れたよね?
あ、でも「それならここにいなくてもいいわ」と言ったらどうしよう?
私は、母に振り回されっぱなし。

関係ないかもしれないけど、遠い遠い昔のことを思い出した。
中学生と高校生の時、髪の毛を伸ばそうとしたら、母が「許しません」と言った。たぶん、お洒落に構っている時ではないとか、勉強に集中できないとかいう理由で。
一人っ子だし、親の言うことには逆らえなかった。
親の力は絶大だった。そういう親子関係だったとも言える。
髪の毛を伸ばしたのは、高校を卒業してから。成人式で着物を着るのに髪の毛を結いたいと言ったら許された。
子どもの頃は一貫して「髪の毛はサッパリしていた方がいいのよ!」と言ってたよね。

お母さん、あの時の言葉をそっくりお返ししたいです。

ラプンツェルの母上。あなたのことがわがままに思えてしまいます。
認知症の一つの現れなんでしょうと理解はしていますが。


坂道

2024-05-24 22:19:29 | 日記
今日は仕事帰りに(1時間休を取って)父の病院へ面会に行きました。
駅から徒歩20~25分程度。
丘陵のふもとに張り付くように建っているその病院への道は、最後は急な上り坂。
特に玄関前の車寄せまでのスロープがきついです。
2年前、急性大動脈解離の手術の後、母は、この病院のリハビリ病棟に入院しました。コロナ禍で面会禁止でしたが、何かしら用事を作って(洗濯物の受け渡しとか、母宛の手紙を届けるとか)毎日せっせと通っていた父(たぶん、病棟では有名人になっていたのではないかと・・・)が、「最後の坂がきついなあ」とこぼしていたのを思い出します。
スロープの下には調剤薬局があります。
退院した母は、自宅に帰り、月に1回、父に付き添ってもらって外来受診をするようになりました。
薬を貰いに行くために、病院の会計が終わった後、母を玄関のベンチで待たせて、父がスロープを行ったり来たりしていたそうです。
あんまり大変だから、「家まで届けてもらう(訪問調剤)ことにする?」なんて話もしていました。
「そのためには、一度、娘さんが病院に付き添って、薬局の人とも話してください」とケアマネさんに言われました。
そんな経緯があって、昨年12月25日、両親とともに病院に行きました。(父は、母の付き添いには、必ず自分も行くと言うのです。それが務めだと思っていたようです。)
その時、ああ、父は大変だなあ、父の負担を軽くしなくては・・・と、改めて思いました。
その矢先の、1月8日の父の脳梗塞。
遅かった・・・
もっと早く手を打っていれば・・・
後悔してもしきれません。

こんなことを思い出しながら、今日も坂を上りました。
父と上ったのは12月の寒い時だったけれど、今日はじわりと汗の吹き出す陽気。降り注ぐ紫外線も強く、これはこれできついですね。

父は、以前よりも少し気持ちが安定してきたように見受けられます。
コロナ感染拡大予防のために、入院してから1か月以上も面会ができなかったのですが、ここにきて面会解禁になったのも、いい効果を及ぼしているのではないかなと感じています。
以前ほど絶望の縁にいるわけでもなく、病院への不満もそれほどでもなく。
父曰く病院での扱われ方に自尊心を気付漬けられ「人権蹂躙だ!」と憤ってもいたのですが、温かく接してくださるスタッフの方も何人かいらっしゃると口にするようになりました。
なじんだ人に囲まれて、ここにずっといたい・・・
・・・のだそうです。
お父さん、それはできないの。この病院には150日までしかいられません。
という話は、ソーシャルワーカーさんからもしていただいているのですが、ちょっと理解できていないみたい。

病室を辞して、ソーシャルワーカーさんに会えたので父の言葉を伝えたら、
「あら、こんな病院はすぐに出たいとあんなに怒っていらっしゃったのに。でも、なじんでくださったのはよかったです。これから退院先を考えていきましょう。」とおっしゃってくださいました。

ベストが難しいならベターで。
父にとってのベストは、家で母と暮らすことでしょうが、それは現実的ではないと、今日、父も言っていました。
ならば、ベターを探そう。

病院の玄関に立つと、両親の住む町が一望できます。それは私の育った町でもあります。
今が決して幸せだとは思えませんが、そこから見る景色は好きです。
さて、どうしよう。
坂道を下りながら、考えました。



行ってきます

2024-05-22 22:26:29 | 日記
本日、母、老健へ。夫が送ってくれました。
今度はショートステイから入所に切り替わるので、数ヶ月は帰って来ないことになります。
私は仕事があるので、母と簡単な朝食を食べ、洗濯物を干した後、7時30分に家を出ました。
「お母さん、行ってくるわね。お大事にね」と声をかけました。
母は、ベッドに丸くなって、何か言っていますが聞こえません。
「じゃあね」
振り返らずに家を出ました。
母がいる家から出かけることは、これからはあまりないのだろうなと思いました。
一緒にいると元気を吸い取られるようで、自分の家に帰りたくなるのですが、こんな時間がなくなるのかと思うと、しんみりします。

今朝も、「今日は私はどこに行くの?」と言うので
「○○(老健の名前)よ」と答えると(さっきも言ったけど)
「ああ、そう。ああ、これだから、施設に入ってしまった方がいいわ」
「なんで?」
「だって、あっちに行ったりこっちに行ったり、わからなくなるもの。ずっと施設にいた方がいいわ。」

「お洗濯物、出して」
「ないわ」
「お着替えした方がいいわよ」
「これでいいの」
やや、間があって
「これ、洗濯してちょうだい。濡れてるの」
はあ、、、そうですか、、、
私の心の中の声が聞こえてしまったのでしょうか?
「施設の方が頼みやすいわ」
私にああこう言われるのが、いやになったかな?

老健入所に同意してくれて、ほっとしている私です。ショートステイを重ねるのは、費用面でも大変でした。介護保険の範囲に収まらなくて、このままではどうしようかと思った。

でも、やっぱり少し後ろ髪が引かれた今朝でした。
「じゃあね」といつも通りに玄関を出て、リビングの窓を振り返りました。
カーテンの影から見てるかな?
見えなかった、、、
ベッドで丸まっているんだね。

父が倒れる前
車で実家に来て、帰る時
門から出てきて見送ってくれて、車が曲がると曲がった先から家が見える場所があって
父はそこまで歩いてきてくれて手を振ってくれた。
もうそんなことは、ないんだね。父は半身不随で歩けないもの。家に帰ってくることも、難しそう。

考えると悲しくなった。胸がキュッと痛くなった。
だから感情に蓋をした。
「行ってきます」と心の中で言って
さあ、仕事仕事!
仕事があって、よかったなあ。









選択

2024-05-21 20:31:50 | 日記
今日は、母の大動脈瘤手術の執刀予定の先生の診察。診察というより、手術を受ける意思が本当にあるか否か、確認する必要性があり設定された面談?

これまでの経緯をざっと振り返ると
2022年1月に急性大動脈解離で緊急手術後、経過観察中でありましたが
2024年2月の定期受診で動脈瘤が大ききなっていることが発覚。
外来受診したT先生(ハキハキした女性の先生)に、手術を提案されました。
「高齢の患者さんに手術を提案するかどうかは判断が難しいところだけど、あなたは歩いて診察室に入ってきたから。
車椅子の人には、手術の話はしない。」
母は手術と聞いてギョッとしていたけれど
「いつ破裂してもおかしくない状況。手術を受けなければその状況はずっと変わらない。」
手術は怖いですと言う母に「手術の適用ではあるから。取り敢えず、私は次にCTの検査予約をいれておきますが、どうする?」
ああ、じゃあお願いします。
それまでによく考えてきて、、、ということで診察室を辞したのです。
実は翌日から老健に入所することになっており、このタイミングで?? と一瞬頭の中が真っ白に。
老健の相談員さんに、「取り敢えず1ヶ月入所した後、退所して通院してください」と言われます。(通院のために、入所からショートステイに切り替えて対応してもらいました。)
入所中に母が老健でコロナ感染(自覚症状はなし)して検査日程が延びてしまい、結局、CT検査を受けに行ったのは、4月3日。
この時も検査前にT先生の診察があり、母は「手術は怖いです」と言っていたのですが、取り敢えず検査の結果を聞きにくる日を予約して帰りました。
取り敢えず、ばかりですね。

この段階で私は、手術を受けることはないな、、、と感じていました。
初めのうちは、心配は取り除いた方がいいから手術したら? と薦めていたのですが、そう単純な話でもないのかなと。
ネットで調べたり、知人に話したりして、手術を受けない選択をする人もいることがわかった。
それなりのリスクも考えられ、母が怖がっているのなら、母の気持ちを尊重しよう。母の身体で母の人生なのだから、母に決めてもらおう。
このように私の気持ちも変わっていったのでした。

そうそう、4月3日の診察室に話を少しだけ戻しますが、
「今度の予約は4月25日に入れます」とT先生。
あれ? いつもの曜日ではないぞ?
なぜですか? と尋ねたら
「部長の診察を受けてほしい。上の判断を仰ぎたいから」とのことでした。


さて4月25日、母は「手術を受けません」と言いに行くものだとばかり思っていました。
ところが、、、
前日に「もう少し生きたい。孫たちの成長も見てみたい。そのために手術を受けます」と宣言。
ビックリしました。悪く言えばちゃぶ台返しか、青天の霹靂か?
いやいや、前向きな母の気持ちをそんなふうに思うなんて、私はなんてやつなんだ!
切り替えて、全面応援することにしました。

25日、部長の先生は、母の決意を聞いて大きくうなずき、「前向きなのはいいことです。その気持ちを大事にして頑張りましょう。」と優しく温かく力強く言ってくださいました。

5月3日、検査入院のための検査を受けます。
この日、印象に残ったのは、採血検査にひどく手間取ったこと。結局、看護師さんが入れ替わり立ち替わり試みるも腕からは採血できず、足の付け根の動脈から採血しなければなりませんでした。大丈夫か?

5月10日、検査入院
5月13日、カテーテル検査。
検査を担当してくださった若い男性の内科医は、これまでの先生とちょっと違いました。
母の年齢、体力なさそうな様子を大変気にされ、カテーテル検査そのものも、通常よりも難しいものになったと話されました。
手術については、危険を伴うことを理解されたい、、、と言った主旨の話でした。
ワカモノ言葉で言うなら
この状態で、手術するの? マジで?
もちろんそんなふうには言われなかったけれども、感じました。

数日後、病棟の看護師さんから電話。
検査入院前のサポート面談の時と同じ人でしたが、こちらもかなりトーンダウンしているような声。
「手術の可否について検討会議が開かれ、その結果もう一度、診察に来ていただくことになりました。今度はY先生です。」
Y先生、初めて聴くお名前です。「なぜ、Y先生に?」
「手術をされる先生です。」
「リスクが大きいことを説明したい。それと、最初は手術をためらわれていたとT先生からのお話もあり、お気持ちに揺れがあるのかなと。実際に手術をされることになるY先生が、お会いしてお気持ちを確認したいと言っています。」
明らか、向こうもトーンダウンしているよね。

そして迎えた今日。
Y先生より
まず手術のリスクについて。
かなり難しい手術であること。
その理由は
一度手術して開いた部分なので癒着があり、それを剥がすところから始める難しさ。
加えて、前の手術よりもさらに奥の部分であることの難しさ。

「先生、その手術で生きて帰れる確率はどのくらいなんですか?」
「手術室からは生きて帰って来れる。高い確率で。ただ、その後」
手術によって受けたダメージから回復できるかどうか。
手術中心臓を止めており、その間、身体は低体温になっている。
脳の血管もいじるので、脳梗塞になるリスクも考えられる。
酸素マスクをつけることになるが、結局そのまま外せなくなることもある。
術後、前より元気になって、、とイメージよりも
血管の手術は成功しても寝たきりになるリスクあり。

聞いていて、この先生は誠実で正直な人だなと思った。

「患者さんが50代や60代なら、迷わず手術を薦めるが、このような高齢の患者さんの手術の例は稀。
このレベルの手術は、他の病院なら断ると思います。
どうしても手術を望まれるならば全力を尽くすが、自分としては、すすめられない。
今回は患者さんとご家族が手術を強く希望されていると聞いたので、、、」

ちょっと待って。それは違う。
「最初に提案してくださったのはT先生です。
T先生は、手術を受けることに肯定的だったようにお見受けしました。続く部長先生も応援してくださいました。先生によって温度差があるような気がします。」
「ああ、T先生は外来の先生で手術に入られることはないから。実際に手術を受けて寝たきりになった人を見たことがないと思います。」
そ、そうなの?
「ただ、、、
確かに、この50ミリを超える瘤は、手術適用です。T先生の適用という判断は間違っていません。」
あー、そういうこと、、、

「で、どうされますか?」

「生きていたいので手術は受けません」と母は答えました。
もしかしたら死ぬかもしれなくて、生還しても寝たきりになるかもしれない手術を受けたいとは思わないよね。
あくまで、母の場合、ですけど。
もっと健康な人なら、別の提案があったのでしょう。

ベストはないが、ベターな選択で。
そういうこと。

今後は、経過観察ということで、10月にCTの予約を取って帰った来ました。
10月まで、無事に過ごせますように。思わず心の中で祈りました。

長かった1日が終わりました。
2月から今日までの、長かった日々も、一応、一区切り。

血管は大事だよ。
私、気をつけよう。
血圧高い時あるし、コレステロールは黄色信号だし。
明日から、甘いものやめるか?