去る21日(土)松本市中央公民館で、
今年最後の「やまなみ」分かち合いをしました。
全員が、家族の誰かを自死でなくした経験者です。
数年ぶりで顔を見せた方がおり、
初めて訪ねてきた方もあり、
常連の者もありですが、
共通の気持ちは「ここはほっとする」ということです。
6年前の第一回では、信濃毎日新聞さんに告知をお願いし、
それによって20名もの方々が集いました。
それ以来、長野市と松本市でふた月に一度、交互に開きました。
人数は時によりまちまちですが、していることは同じです。
松本市も長野市も、「やまなみ」の活動に理解を示して、
部屋代も最初の数回は別にして、
あとはずっと無料にして便宜を図ってくれました。
ここは、単に傷を舐め合う場ではありません。
具体的に助け合う場でもあります。
自死遺族には、最悪の日が過ぎ去った後でも、
全てがハッピーとはなりません。
また、「分かち合い」の場所だけが、助け合いの場でもありません。
必要なら、出かけていく場合もあります。
別に、特別なことをするわけではありません。
人間として、同じ遺族として、当たり前のことをしているだけです。
何より、話さずにはいられないことを話します。
誰もアドバイスはしません。また、できません。
それがいいのです。
結局、人は、自分の人生は自分で生きるしかありません。
行政には、行政だからできることもあるでしょう。
自死遺族には、自死遺族だからこそできることがあります。
私たちは、自分にできることを続けます。
今年最後の「やまなみ」分かち合いをしました。
全員が、家族の誰かを自死でなくした経験者です。
数年ぶりで顔を見せた方がおり、
初めて訪ねてきた方もあり、
常連の者もありですが、
共通の気持ちは「ここはほっとする」ということです。
6年前の第一回では、信濃毎日新聞さんに告知をお願いし、
それによって20名もの方々が集いました。
それ以来、長野市と松本市でふた月に一度、交互に開きました。
人数は時によりまちまちですが、していることは同じです。
松本市も長野市も、「やまなみ」の活動に理解を示して、
部屋代も最初の数回は別にして、
あとはずっと無料にして便宜を図ってくれました。
ここは、単に傷を舐め合う場ではありません。
具体的に助け合う場でもあります。
自死遺族には、最悪の日が過ぎ去った後でも、
全てがハッピーとはなりません。
また、「分かち合い」の場所だけが、助け合いの場でもありません。
必要なら、出かけていく場合もあります。
別に、特別なことをするわけではありません。
人間として、同じ遺族として、当たり前のことをしているだけです。
何より、話さずにはいられないことを話します。
誰もアドバイスはしません。また、できません。
それがいいのです。
結局、人は、自分の人生は自分で生きるしかありません。
行政には、行政だからできることもあるでしょう。
自死遺族には、自死遺族だからこそできることがあります。
私たちは、自分にできることを続けます。
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