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今日の北九州(曇りのち晴)最高気温26度 最低気温22度
熊本県で氾濫・土砂災害
このたびの豪雨で被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。

宇佐海軍航空隊は昭和14(1939)年10月1日
艦上攻撃機と艦上爆撃機の練習航空隊としてつくられました。
柳ヶ浦地区を中心とした基地は東西1.2km、南北1.3kmで
約184haほどの広さがあり、800名の隊員が所属していました。
隊員たちは航空母艦での勤務に備え、宇佐で訓練を重ねました。
当時、艦上爆撃機の爆撃訓練に使われたコンクリート製の的が現在も宇佐市宮熊の沖に残っています。
*ネットより引用

戦況が悪化してくると、宇佐海軍航空隊は特別攻撃隊の基地となりました。
昭和20(1945)年には、米軍の空襲をうけるようになり
同年4月21日の空襲では航空隊関係者だけでも320人が犠牲になっています。
また、宇佐からは105機が特攻出撃し、そのうちの82機、154人が戦死しています。

昭和20年8月15日に終戦を迎えると、約6,000名の隊員を抱えた
宇佐海軍航空隊もその幕を閉じました。
その後、幅80m、長さ1,800mの滑走路をはじめとした航空隊の設備の多くは
取り除かれ、田畑に戻されましたが、掩体壕や滑走路跡
落下傘整備所などの遺構から宇佐海軍航空隊の姿をうかがい知ることができます。
*ネットより引用
滑走路跡から見る田園と掩体壕
当時の生活を思い起こします・・・

もう一つヒンヤリ鍋、購入するかな~(^^♪
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