おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

高校生の頃の恋

2004-05-15 00:23:53 | 恋をしてみた
これは恋っていうよりもこんな人になりたいなって憧れかな…。

私は中学を卒業して、地元の県立高校に進学しました。そして1年生のときの副担任の化学の先生に憧れてました。ていうか先生は女生徒を虜にしていました…。私以外にもそういう人たくさんいたはずです。ちょっとした進学校だったので、ベテランのおじさん先生、おばさん先生しかいない中にまだ新規採用で入って2年目の先生で、それだけでも目立ってました。今思えば。

2年生になって文系化学クラスで、また縁が出来るわけですが、本当に私たちは悪さばっかりしてました。確か15人くらいしかいなかったので、結構目が行き届いてました。

あっこちゃんとあきやんとあやちゃんと私。いつも4人で実験してるんですが、実験の時に使った薬剤を変な風に調合して煙を出したり、異臭を発生させたり。しばらく実験室に出入り禁止、実験の時テーブルに張り付いてましたね。でもあっこちゃんはいつも先生の目を盗んで何かしらやらかしてました。

3年の時は私達の2年の時の担任の先生に手紙を書くから、「お前たちも何か書くか?」といって持ってきた葉書にほんとにすごいちっちゃなスペースしか残さずに書いてごめんなさい。

ああ、好きだったのかなと意識したのは3年生になってからです。私は指定校推薦枠で大学に進学することが決まっていたのですが、担任に「クラスの士気が落ちるから」と合格が決まったことを黙っていなければなりませんでした。ちょうどセンター試験対策で毎日1問ずつ課題ノートを出さなくてはいけない宿題があって、先生と私しか見ないからと先生に相談を持ちかけました。友達にも言えず、公の場所では話せないことを交換日記もどきで話してました。先生も忙しかったでしょうにいつもいつも私の相手を丁寧に、親身になってやってくださいました。今でもそのノートは大切に持っています。

私が卒業した後すぐに先生は次の高校に異動になったのですが、ご家庭の事情で神戸へいかれました。先生から先生を辞めたと葉書をもらった日、私はショックで3日ご飯が食べれませんでした。

今でも先生とは年賀状のやり取りがあります。今ではかわいい娘さんのパパです。相変わらずきれいな先生の字を見ると、あの頃の甘酸っぱい思い出がよみがえります。

中学生の頃の恋

2004-05-14 23:50:14 | 恋をしてみた
まだ甘酸っぱさが口の中に残っているので…。今度は中学の時の話を。

中学の頃好きだったのはこれまた同じクラスの野球部の男の子。

よく試合を見に行ってました。白いユニホームがとってもまぶしい人でした。私はバドミントン部だったのですが、体育館が毎日使えるわけではないので、学校の外周を走るとか筋トレの日の方が体育館での練習の日よりも楽しみでした。おかげで運動はからっきしだめな私ですが、長距離は速かったです。ロードレース大会だけが見せ場でした。跳び箱は3段しか飛べないし、高飛びはベリーロールが出来なくて激突するし。ボールなんかもたせたらもう大変。特にバレーはトスが上げられません。アンダーでもうまく返せないし…。今日の女子バレーなんか見てるとホントすごいと思ってしまいます。

彼にはちゃんと告白しましたよ。定番の修学旅行で。振られちゃいましたけど。彼は今歯科医師です。お家が街の開業医さんの息子さんだったので…。きっと立派になっているはず。いつか地元で会うことがあるかもしれないです…。惜しかった…と思わせる人にならなきゃ。

初恋の話

2004-05-14 23:17:51 | 恋をしてみた
もう15年は前の話ですね。
私の初恋は小学校6年生の時。結構遅いほうだと思います。同じクラスの男の子でした。彼は頭がよくって、スポーツが出来て、すごく溌剌とした人でした。と同時に私のライバルでもあったのです。

結局言えないまま終わった恋。今はどうしているのかな…。大学時代の知り合いが彼と高校の同級生で、一橋大学に進学したこと、公認会計士を目指しているらしいこと聞きました。彼は夢を叶えたのかな。

私と彼と洋一郎君と広一郎君。4人でいつも成績を争ってました。先生が算数や漢字ドリル、あと縄跳びの難しい技が出来たり、校庭を朝走った分をシール貼ってくれるんです。負けず嫌いなので「シールの数」で負けたくなくて、一学期のドリルを4月に終わらせるという偉業を4人で成し遂げました。先生もさすがに4月いっぱいで終わらせるとは思っていなかったらしく、2回目は間違わずにやることを目標にやってました。

洋一郎君は地元の中学に進学したけれど、私は国立、広一郎君と彼は地元の私立中に進学しました。広一郎君とはその後高校で再会しました。洋一郎君は今は歯科医、広一郎君はたぶんどこかで研修医をしていると聞いてます。分からないのは彼の消息だけ。

きっと素敵な人になっているでしょう。またいつかどこかであった時思いっきり幸せそうな顔して笑っていたい。これもささやかな夢。

甘酸っぱいハーブティーを飲んでいて、思わず書いてしまいました…。

カレルチャペックのハーブティー

2004-05-14 21:56:22 | ごはん
友人のlatte2004ちゃんのトーキョー生活よりトラックバック。
latteちゃんのハーブティーの話を見てどうしても飲みたくなったのです。病院の帰りにプランタン銀座に行って、買ってきちゃった。しかも3つも。
今日のは5 o'clock herbです。ローズヒップが入ってるのって大概酸っぱいんだけど、飲みやすくて、体も温まって、すっかり癒されています。ホント色鮮やかな赤。このフォントのみたいな、夕焼け色の赤です。だからこんな名前なのかな。
あとの2種類についてはまた飲んだ日に感想をアップしますね。
お楽しみに…。

今日のお昼は

2004-05-14 21:21:58 | ごはん
今日は久々に外で一人で食事をしました。かなり遅めの昼食。だって病院に14:30に予約とっていたのに、起きたのが遅かったから。昨日寝たのが明け方だったので仕方ないんだけど。
場所はVegeteria(べジテリア)。なんか野菜が食べたくて…。これはべジプレートのミラノ風チキン&30品目のサラダ。¥800なり。飲み物は南国の香り濃厚マンゴー¥350。あくまでもトロピカル気分。本当に濃厚でした…。

もう寝なきゃ!

2004-05-14 03:04:27 | 徒然なること
いい加減薬効かないかな。ていうか自力で寝てみたい。もうだいぶ長いことその喜びから縁遠い…(涙)でも飲んでる薬の量を医者になった友人などから聞くと「ものすごく軽い」そうです。

今よりもっと眠れなかった頃、先生に「僕も眠れないときは飲むよー」と言われて出された薬「ロヒプノール」…あれ一錠でこんこんと眠り、24時間目が覚めませんでした。親に「トイレと水分は」と途中で起こされたけど、足腰が立たなくて、寝ぼけながらトイレに行き、階段から滑り落ちて、お尻に大きなつぐろじん…女の子なのに!!薬を抜くため大量に水を飲み、また寝てました。
翌日は半分にしてもだめ。さすがに24時間はなかったけど、足腰立たず。結局またもとの弱い薬に戻されました。私、症状は結構ひどいらしいのですが、薬だけ見るとぜんぜん仕事にいける、それだけの量を毎日飲んで頑張っていらっしゃる方たくさんいるみたいです。過敏症なので、合わないものを飲むと大変危険です。日々人体実験(苦笑)元々肝臓に負担もかかる薬ですし、内臓も弱ってるので摂生してるんです。

今日は病院の日なのにな…。新しい先生は若すぎて(若作り?)私の話を理解できない様子です。ここに転院って決めていいのかまだ悩んでます。もういい加減に決めろと明日くらいは言われるかも。こういうのって相性が大事なんです。ほんとに。

でもお昼から天気が持ち直しそうだといっていたから少し良かった☆
元気だったら病院の帰りに寄り道して銀ブラしようかな。プランタン銀座で今カレルチャペック紅茶店のイベントやってるみたいなんですよね。友達から少し前にリトルグレイスってハーブティをいただいたんだけど、とっても飲みやすいし、パッケージとかもとても素敵。ホットでもアイスでもいけるし、ほんとこれを飲んでると体の調子良かったんです。よく眠れたし、心なしか代謝が良くなって。リーフも見た目にもすごく素敵なんですよ。飲みきっちゃったので画像をアップできないのが残念です。

もう新聞屋さんが来た…。寝なきゃ。
ていうか昨日完全休養しすぎた…。規則正しく。それが一番大事。

ではお休みなさい!

雨音

2004-05-14 00:31:02 | 恋をしてみた
雨音が聞こえるとなぜか不安になる。私だけだろうか。

こんな時誰かがそばにいてくれたらと心からそう思う。話を聞いてくれる人がいたら…。

私には婚約者がいた。でも…。

一昨年の夏、私は過労と心労がたたって「不眠症」になった。私は薬に過敏体質で処方された薬がどれもあわず、結局会社も休職して心身ともにボロボロになってしばらく実家に帰って療養していた。彼とはその間にだめになった。理由は言葉の行き違いと彼の家族の「病気に対する偏見」だった。今では「心が風邪をひいた」「誰でもなる可能性がある」と認知されている。でも実際の社会での風当たりはまだ厳しいのが現実だ。

私は彼からもらった婚約指輪とネックレスをまだ処分できていない。友人たちには「そんなものさっさと売ってしまえ」と言われたが、心の整理がつかなくてまだなおしてある。連絡は取っていないが、彼の携帯電話の番号もメールのアドレスも私の携帯のメモリーからまだ外れてはいない。

丸4年付き合って「これからどちらかが先に逝くまで一生すべての行事を一緒に祝おう」とクリスマスにプロポーズされたときはうれしかった。上司にはきちんと結納をして、結婚式の日取りが決まってから報告しようと思って、仲の良かった同期以外には話していなかった。

指輪はセミオーダーで作った。彼に「もう少し大きなダイヤにしていいよ」と言われたが、手が小さい私には大きすぎるくらいだった。私は彼の気持ちだけで十分だった。彼は私が遠慮して小さなダイヤを選んだのだろうと思っていて、「あんまり小さすぎると俺の稼ぎが少ないと思われるから」と変な見栄を張って、小さなダイヤの一つ石のネックレスも一緒に作ってくれた。まだ会社に報告していなかったからあからさまに指輪をつけて行けなくて、いつも朝はめて電車に乗るのだけれど、会社のある駅に着いたらはずして、鞄にしまい、また帰りはつけて帰った。どんなに疲れていても指輪を眺めていると不思議と疲れがとれた気がしていた。彼がいつもそばにいるような気がして…。

でももう彼は私のそばにいてくれない。彼が最後に私に言った言葉もまだ忘れられない。もう1年以上たつのに…。いつになったらこの傷は癒されるのだろう。私はまた誰かを好きになれるのだろうか…。「時が癒してくれる」その言葉を信じて、ただ今はじっとその時を待っている。

「おい悪魔!」

2004-05-13 16:21:43 | ことのは
気持ちが萎えそうになる時よく思い出す言葉。大学のゼミの先生から卒業する時にいただいた大事な言葉。

「お」…怒るな
「い」…威張るな
「あ」…焦るな
「く」…腐るな
「ま」…負けるな

今の自分は色々な事を立ち止まって考える時間を持たなければならない。
今の自分は焦って、腐って、負けそうだ。それにまだ怒ってるし…。唯一「い」だけがかろうじて守れているだけ。
頑張れ!私!

なすとそうめんの味噌汁

2004-05-13 11:44:36 | ごはん
なんだか蒸し暑い季節になりました。そろそろ昼御飯を作ろうと思っているのですが、今日は茄子づくし御飯にしようと思ってます。早く使わないといたんじゃいそうなので。

都会に住み始めて初めて友達が家に来たときにたまたま出した手料理のメニューになすとそうめんの味噌汁がありました。「取り合わせが変だ」と言われたのですが、うちではそうめんをした残りの麺をなすだけを入れたシンプルな味噌汁とあわせて食べるのは夏の定番メニューだったので考えたことも無かったです。父が焼き茄子好き&庭の家庭菜園で茄子作っていて大量にあったせいもあるのですが。

皆さんのお宅で何か変わったもの「これはこの地方だけ」って言う味噌汁の具になる食材ありますか?

花のある生活

2004-05-13 09:22:05 | 徒然なること
「奄美便り」様の記事より初トラックバック。うまく出来たかな…。
私は鹿児島の出身ですが、大学時代から都会の借家暮らしです。小さい頃は父の仕事の関係で離島に住んでいたこともありました。毎日寄り道をして野の花をたくさん摘んで、首飾りを作ったり、花の蜜を吸ったり…学校から帰るのはまっすぐ帰れば15分なのに1時間以上はかかるのでいつも親をやきもきさせる子供でした。ただ、近所付き合いがある、周囲の大人はいつも何か悪いことをすればどこの子でも叱ってくれる、守ってくれる環境にいたので、どこかで寄り道をしていても「あの子はあそこで遊んでたよ」と見かけた人が母に教えてくれていたみたいです。
実家の母が園芸が趣味で多種多様な花を植えていました。手入れをあまりしないのでジャングル状態ですが…(苦笑)今の家ではこれだけ置くのが精一杯。寂しい思いをしています。お金を貯めたら花の置けるスペースのあるベランダのついた家に住みたい。今のささやかな夢です。