私は、何百万円もかけて大学に行かせてもらい、建築の勉強をしました。
建築の仕事は、二年足らずしかしませんでした。
仕事を辞めてしまった私に対して、両親は咎めませんでした。
父は同じ業界で長年働いてきて、女性には厳しいことを知っていたし
母は、そこで終わりでもないだろうと思っていたようです。
母が子供のときは、女が大学に行く必要なんてない
と言われた時代でした。
それでも、母は反抗して、四年制大学の英文科は諦めたものの
短大の家政科に行きました。
結果として、栄養学を学んで良かったと言っていました。
就職をしなかった母としては、女性も学んで手に職を!
と思い、娘たちには望む勉強をさせ、仕事についてもらいたい
と考えたようです。
無理をして建築業界で働いた私は、体調を崩してしまったので
結婚に逃げました。
結婚に逃げた結果、離婚しました。
ここの説明は割愛。前に書いたっけ。
やはり、逃げで結婚したらだめだよねえ。
(当たり前です)
子供を一人で育てながら、働き、養う。
それはハードです。
事務職のパートでも、毎週末、息切れしていました。
私、人より体力がないんです。
その生活で気づいたことは
私は「お母さん業をもっとやりたい」でした。
もっと子供のために、ご飯を作りたい、お弁当を作ってあげたい、おやつを作って子供の帰りを待ちたい。
働いていれば、時間がなくて忙しくて
子供と過ごす時間は短いです。
それでも、一緒にいる時間を濃密に過ごせば良いんですよ。
親子が互いに協力して。
けれど、私はやっぱり子供と一緒の時間を長くしたいし
余裕を持って、接したいなあって、願うようになりました。
休みの日も、家事に時間を取られて、子供に向き合う時間が
十分に取れませんでしたから。
それにとにかく疲れてて。
それを理解してくれる人と再婚して、もう一人の子供に恵まれ今に至ります。
私は、主婦をやりたくて、子育てをしたくて
専業主婦をしています。
それが向いていることもわかりました。
主婦をやりたくない人も、世の中にはいますもんね。
いっぱい回り道をして、たどり着いた私のやりたかったことは、お母さん&主婦業。
勉強して、働いて、色んなところに住んだけど
実家の近くで専業主婦です。
とても幸せです。
これは、回り道をしたからこその結論です。
本当は、自分はどうしたかったのか?
それに気づくまでに、かなりかかってしまいました。
世間一般的な正解なんて、親の思惑なんて関係ないのに、囚われていました。
はじめから、自分はどう在りたいか?
それがわかっていたら、こんなに遠回りしなかったとは思います。
子供たちには、ぜひ、自分に素直に生きてほしいです。
娘が
「人生は死ぬまで夢を追い続けているようなもんだ」
と突然言っていました。
16歳。急に悟った発言。
そうかもしれないね。
私も、お母さん業はあと十年くらいだし、別の夢があってもいいわけ。
たくさん夢があってもいい。
今は柔軟に生きるのが、うまくいく時代なんだって。
だから、次々と色んな夢を持ってもいいし、持たなくてもいいかな。
子育てしてると、本当に色んなことを学びますね。
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