小学生低学年の頃から鉱石ラジオに興味を持ち、かすかにクリスタルイヤホーンから聴こえてくる「モスクワ放送」や「北京放送」に感激していたのがラジオ少年の始まりでした。
当時(昭和30年代前半)クラスに一人か二人は「ラジオ少年」がいたように記憶している。中学~高校と進むうちに真空管ラジオに嵌って自作の5球スーパーでSWL(BCL)をやっていた、写真は高校生の頃の「シャック」
デリカ(三田無線)のグリッドディップメーターや真空管式の「テストオシレーター」が見える。
大きな扇形ダイヤルの付いた物は自作のST菅を使用した「5球スーパー」、当時はこの程度でも空(電離層)の状態が良かったので短波は世界中の放送が逆Lアンテナ受信できた。
手前に見えるのが製作中の「高1中2」の受信機、既にアマチュア無線の免許は持っていたが交信よりも受信機を作ったり短波を受信するほうが面白く色々な物を作っていた。
これ以降「真空管ラジオ」の魅力に取り憑かれる・・・・。