Rusifa HiRo Cafe

ようこそRusifa HiRo Cafeへ
マスターのYHVHひろです。
一部フィクションや妄想を含んでおります;

お父さんありがとう。

2002年10月29日 | 日記
10/28(月)晴れ
今日は母の誕生日。そして、父の命日になってしまった。

家族のために仕事仕事と突っ走ってきた父。近所のあれこれや親戚関係のあれこれ。いつも中心に父がいた。お世話好きな性格、みんなからも頼りにされていた。
いつもいつも誰かのために一生懸命走ってきた父。
定年をむかえても孫に何かを買ってやるための小遣い稼ぎにとシルバーワーク。
大企業に就職してドロップしてしまった私とは正反対の性格でした。そんな私を心配していたでしょう。
これからようやく定年後の生活、母や孫達と旅行、運動会やピアノ発表会、七五三・・・いろいろ考えていたでしょう。

病気と闘いようやく自宅へ帰ってきた父。家が好きでした。ずっと退院したいと思っていたけど、こんな形で・・・。でも、もう苦しい思いもしなくていい。ご飯もいっぱい食べられる。

私から言わせれば、仕事バカでお節介と思っていたはずの父。本当は自分にはとてもできないと拒否していたのかもしれない。
何でもできた父。何にもできないけどできるフリをしてきた私。
入院後はいろいろと話すようになったけど、もっともっと話しをしておけば・・。上ぴーの時と同じ後悔をしてしまった。
塾の行き帰り病院へ寄った。でも、もっと何か出来たんじゃあないのか? 後悔ばかりしてしまう。

最後の父の走りは超長距離走だった。家族や孫達が見守る中、自分の病気に戸惑い、急に最後の走りと宣告されてしまった。どんな思いで走っていたのだろう。
どんどんつらくなっていく父。でも、生きようと。ゴールをきるしかない父は、いったいどんな気持ちで・・。
みんなの「おじいちゃん」と泣き叫ぶ中、ずっとずっと全力疾走。最後の力をふりしぼり父は目を開けました。そして、みんなの顔をみつつマスクの付いた口を一生懸命動かし泣きました。何回も何回も口を。口を動かしました。
ありがとうおじいちゃん、そして私の最も尊敬する父。
私には、何にもできません。でも、約束したよね。頑張るって。正直もうどうしていいやら分からないのが本当です。余りにも存在が大きすぎましたから。
でも、父の十分の一、百分の一でもできるよう努力します。あなたの息子である私。
最後の涙、そして笑顔、私が父のもとに行くまで一生忘れることはないでしょう。

ありがとう。おじいちゃん。
お疲れ様でした。

私の中で決心した事があります。とりあえずやってから考えなさい。父の声が聞こえました。
やってみます!! お父さん。

この文章についてのコメントはお控え下さいますようお願いします。
YHVHひろ
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よくもまあこれだけダメージを受けている私のチャリキを

2002年10月25日 | 日記
10/25(金)晴れ
朝の7時からゴミ収集車のメロディが。いかん!! と慌てて家のゴミ集め。
ご近所もいっせいにゴミ袋を持って飛び出してくる。「今日はえらい早いなあ」思うことはみんな同じである。メロディを聞きながら小鳥の下紙を交換。間に合うのか・・。全然余裕でした。

余り眠れていない。9月の半ばからYahoo BB!に変えようやくADSLに。電話もBBフォンになったのだが。これが何かの接続の際にカチッという音がするんです。その音が鳴るたびにもしかして電話ではと思ってしまう。呼び出し音が鳴らない事が分かってホッと一安心。
数日前、塾の生徒に目にくまが出来ているよと指摘された。その生徒は今は私が担当している訳ではないが、子供ってよく見ています。
父の手術の日、塾へ行くと生徒達にしんどそうって言われました。何で分かるんでしょう。

いろいろと考えてしまう。考えてもそうなる訳でもないし、どうしようもないと分かっていても。昨日、自転車をパクられた。どんなつもりでどんな奴がパクったか知らないが(私の熱烈なファンかも?)、よくもまあこれだけダメージを受けている私のチャリキを。パクる方は事情なんて知る訳もないけど。やってくれました!!

森ちゃんも今日でテストが終了。公立組もそれぞれが満足できる結果を残したようなので、森ちゃんもラストスパート!! 私の生徒なら目標達成は自分自身の努力で可能です。
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回想、そして・・

2002年10月24日 | 日記
10/23(水)晴れくもり
最近よく昔の事を思い出す。

自分の誕生日の時は毎年熱を出して寝込んでいたな。
小学校の頃?だったかな。小児ぜんそく気味だった私や姉たちの背中をゴシゴシタオルでこすって。

日曜日と言えば子供会のソフトボール。姉達も入っていて中心メンバー。私も当然のように入ったが運動音痴だったので・・。布団かぶってだだこねて休んで辞めて。父は女子ソフト側の指導。
子供会のイベントと言えば父が中心にいた。それが恥ずかしいような嬉しいような。

幼稚園の時、近所の駄菓子屋で10円ガムを連続万引き。見付かるに決まっているのに子供ってバカですね。親に迷惑をかけました。
母の入院。おばあちゃんが家に来てカビンだったっけ。割って一言「形あるモノはいつか壊れる」

小学校で肩骨折、膝お皿割る。中学校で右足じん帯危うくきれかけ。以後そこがクセになり高校のハンドボールの部活中。大学の講座旅行中に捻挫。

日曜になると日曜大工や植木手入れ。それを手伝わされるのが苦痛で嫌だった。お節介な所も私とは正反対の性格。

高校受験や大学受験の時は、余り覚えていないがおそらくイライラして衝突もあったかな? 神経性の胃炎になっちゃいました。
高校は地元ではトップクラスの高校に合格。担任の先生は私立の結果を見て無理と判断したが、言うこと聞かないでしょうからと受験させてくれた。合格を報告、先生の涙。

大学院に入り健康診断ですぐに腎臓の病気が発覚。検査入院と退院を繰り返す。結果を聞いた父はブルーになってしまった。
会社の転勤でそれでも家から何時間もかけて通っていた父。
一方、私は大学院卒業後、すぐに超有名電気会社に就職。遅い遅い社会デビューです。海外にも出張、所属部署も変わり精神的にも肉体的にもピンチに。お金の問題じゃあないんです。休みが欲しいんです。出張に続く出張。休日に移動。これではもちません。
もう少し我慢してみなさいと言われたが無理でした。研修担当してくれた方にも挨拶。

父は会社を退社後も働いた。もともと働きマンであったのと、いきなり24時間中家にいたらと考えていたのかも。
私は今の塾で落ち着く。父は入院のため仕事を辞める。あれから本当は何年も経っている訳ではない。それなのにすごく長い月日が経過したように思える。

入院後は少し父と話すようになった。正直苦手意識はあった。私の方から避けていたのも事実。それが話すと普通だった。
今まで何してたんだろうって。
昨日、塾へ行く前父の見舞いに行った。塾の時間も迫って来たので帰ろうとすると
『ちょっと待って!! 宏明!!!』
何かと思って戻るが何が出てくる訳でもない。
その視線は天井を見上げている。私も一緒に天井を見てみた。何が見えているんだろう。何を感じているんだろう。少しでも分かりたい、理解したい。でも、分からない。
後ろ髪をひかれつつ病院を後にする。そして塾へ。いつも通りの塾です。いつも通りの授業があっていつも通りの生徒達が来る。いつも通りの授業時間。
いつも通りの日常生活の中に、日々一刻と変化していく父の状況。どう自分の中で処理していいのか分からない。おかしくなった方がいいのか!?

そんな中、あちこちで事件やドンパチが。勝手にして下さいって感じです。語弊はあるかも知れないが、朝鮮の拉致問題や塾のあれこれ、知ったこっちゃありません。それどころじゃない。顔にされてる場合じゃあない。お面を付けている私が顔になれるはずがないでしょう。

この日記は、私の今の気持ちです。ですからコメントは避けて頂きますようお願いします。
YHVHひろ
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貪欲さもグー

2002年10月23日 | 日記
10/22(火)くもり
算数数学ばっかりロング会議が終了後奈良へ。何で電話受けなんかと思っていたらチラシ寿司だったんですね。
私が入っている時にも問い合わせがありました。あと宜しくっす。

私が教えている中学生達。もう試験が終わってホッとしている岡ちゃん、長さん。まだ試験中の森ちゃん。電話をかけてみるが反応はそれぞれ。長さんは今回の結果喜んでました。もうちょっととれたはずという貪欲さもグーです。この調子!!
森ちゃんは、目標69に向け頑張ってます。ミスは誰でもするのでそれを気にしていてはダメです。どんどん進んでいきなさい。結果は出てくると思いますよ。

人生ドミノ倒し良かったです。誰しもドラマにはならないけどドラマチックなストーリーがあるんですね。

アツイパイロットです、違った意味で。アクティブと言ってしまえばそれまでだが。Zガンダムでオールドタイプとかニュータイプとか・・。ニューエイジが来るのか!?
『きさまだってニュータイプだろうに!!』
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冷却+ビニールかけて大気圏突入ですから

2002年10月21日 | 日記
10/20(日)くもり雨
今日は塾生が外部模試受験のためお休みです。前回は休みと聞いていたのに呼び出し電話がかかってきたが、今回は大丈夫でした。というか朝即行Aクイックでくりそつ模試。何でこうなるの????

ビデオデッキをセッティング。何でもないことで喧嘩する。夫婦ってこうなんですね。親戚も来てくれたようで本人も安心。良かったです。

キョンシー大百科2復刻計画。ようやく交渉開始です。原本捜索と復刊可能性の検討を依頼の段階ですが、動いて頂いたという事は何らかの結果がでるはずです。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=979

初代ファーストガンダム。バックアップはしていたが全部見れてなかった。
ガンダムって名セリフが多い。
「親父にもぶたれたこと無いのに!!」
「坊やだからさ。」
「悲しいけどこれ戦争なのよね・・」
「あれはいいものだあ!!!」
「ザクとは違うのだよ。ザクとは!」
「あえて言おう。カスであると!!」

そして、ガンダムは決して気分爽快なストーリーではない。WB(ホワイトベース)のメンバーはサイド7の素人集団。指揮官であるブライトも若造と呼ばれる年齢(確か19?)。
相手に攻撃を仕掛けると決めてから、砲台の手引き書を読んでおけレベルですから。そんな超素人集団がシャアやガルマなどのジオン屈指の戦士に執拗に狙われる。
ようやく見方のいる場所についたかと思えば、WBとガンダム没シュート、勝手に機密事項を知ってしまった罪として捕らえられてしまう。第一線の現場で働いているものと冷房のきいたジャブローで会議を続けている本部のギャップ。まさに連邦軍という名の大企業。
同じサイド7から脱出した民間人は、自分たちが助かるためその都度勝手に船を降りようと暴動を起こす。ついにはアムロもキレて「もう戦いませんよ!」と言う始末。
カイの暴言。などなど。何か漫画というには余りにも現実的というか、世を反映し過ぎているんです。それだけにカイがブライとに殴られた時はスカッとしたし、若造と罵られたブライトが言った通りに戦局が進んだ時はそれ見ろと思ったり。ブライとの「民間人が乗っている事を忘れるな」にアムロが「僕だって民間人です」と答える。その通り!!
決して格好良くない素人集団。それがWBのクルー。シャアもその余りの戦術の素人さと、モビルスーツの性能の前に敗れてしまう自分に悩んでしまう。
これがガンダムである。ザクとの戦闘でそのまま大気圏突入してしまい手引き書を確認。あったああ!! 冷却+ビニールかけて大気圏突入ですから。ジオン軍サイドがあんな小さな突入用カプセルなのに、WBとガンダムはそのまんま。
お嬢様であるイセリナ。恋人であるガルマの乗ったガウがWBに撃破される。それを知った彼女はいきなり戦場へ。強引です。ガウ3機でWBを強襲。最後はガンダムにガウごと特攻。アムロに銃を向け「ガルマ様の敵」。しかし力尽きてしまう。
アムロはこの件とギレンの演説を見て自分の敵というものに疑問を持つ。ランバラルやハモンとの出会いも彼を悩ませる。

小学生の頃見た時は、そのモビルスーツの格好良さだけだったのかもしれないが、あらためてオッサンになってから見るとすごく納得がいくんです。1人1人の行動に。
映画版ではカットされているズッコケストーリーが多い。すごく矛盾がない完璧と言える格好良さに仕上がっている。でも、映画版の中には私は実在しない。あくまでヒーローものなんです。

森ちゃん。テスト勉強頑張ってるか!! トップ絵更新しました。39です(古
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今日も晴れにな~れ♪♪

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