オメガねこ

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「事実」 と 「真実」

2022年09月05日 | 法律
 法律用語は難しく、高校に通った事のない私の「常識」とは意味が違うようです。

  刑法 第34章 名誉に対する罪
 第230条の1
① 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
② 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

 第230条の2 
① 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
② 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
③ 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。


 「事実」は、ラテン語の「factum」が語源で「(神によって)行われたこと」を意味するそうです。勿論、「欧米の神」が真であるかどうかは分からないので、「事実」が「真」であるかどうかも分かりません。それでも、日本語の「事実」とは「本当に有った事」と考えるのが「私の常識」です。

 或る言動を「事実認定」した場合は、常識ではその言動は実際に(本当に)有ったと認める事だと思いますが、法律では「事実を認めただけであり、その事実の真否は定かでは無い」ようです。

 「事実の有無にかかわらず、公然と人の名誉を棄損した場合は罰する」とされているので、公然と特定の人を「バカ」と言い、名誉棄損と認定されると罰を受けることになります。実際に「その人がバカであるかどうかは問われません。いくら何でも、「バカと発言した事実」もその有無を問わないとは思いませんが。

 ただし、第230条の2の①によると、「その人がバカである事が公益に反する場合は、その人が実際にバカである事を証明すると、罰せられなくなります。つまり、この場合は「バカである事実は真である」と言います。逆に「バカである事実が否である」場合は罰せられます。

 つまり、法律では「事実は、本当の事とは限らない」という事です。

 「バカと言われた人」が、「事実ではないことで名誉棄損を受けた」として裁判を起こすと「刑法230条の1の①」により相手を罰する事が可能なように見えますが、実際は、「事実ではないこと」とは言っても、その「事実の有無」を問うのではなく、「名誉棄損」に相当するかどうかが問われるようです。つまり、当人が「バカかどうか」はどうでもよく、その人が「バカと言われる事で名誉を毀損するかどうか」が問題になります。

 大概の裁判官は民間人をバカにしているので、「バカと言われる事で名誉は毀損されない」と判断すると思われます。

 裁判中に「裁判官はバカだ」と言うと法廷侮辱罪に問われると思いますが、第230条の2の③によって、裁判官がバカである事実が証明され、真実であった場合は罪に問われる事は有りません。 

 法律では「事実」には「真実と虚偽」があるようです。一方常識で「虚偽」とは「事実ではないことを事実であるかのように見せかける嘘・偽り」なので、「虚偽」は「事実」には含まれていません。

 但し、実際に見たままを言う事は「事実」なのですが、それが「真実」であるかどうかは定かではありません。太陽が地球の周りを回っているように見えるのは「事実」ですが、それは「真実」でも「虚偽」でもありません。




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