トラネコジャーナル

毎日楽しく、前向きに。
ねこ兄弟とアートを中心に
日々の新しい発見をつづる
トラネコの日記

終戦記念日 64回目の平和

2009-08-15 | その他
私が小さいときは、
私のいた山口はお隣の県が広島だったし、
もっともっと平和へのありがたみを
社会が感じていたような気がします。
もちろん、リアルに戦争を体験をしていた人が大半だったし、
戦争で、命を、人生を、生活を奪われていった体験が
多くの人にあったから、
本当に、ありがたみを感じていたのでしょう。

最近はそんな記憶が薄れているような気がします。

私の両親も戦争体験者でした。
よくそんな話を聞きました。

父は幼年学校におり、今で言ういわゆるキャリア候補生ですから、
恵まれていたようですが、
母は神戸で、近所の外人さんの友達が
どんどん日本を離れていって、
政治的なもので、友人が敵味方になる姿を見てきたようですし、
空襲ですべてを失ったり、
戦後の混乱で、一家はだまされて土地を奪われたりと、
いろいろ苦労をしたようでした。

そんな体験を又聞きにすぎないのだけれど、
私たちも後世に伝えなければならないのかなと思います。

昨年、病気をしてつくづく思ったのは、
自分だけの大事件でさえ、ボロボロになるんです。
毎日、やろうと思うことが自然にできて、
ご飯が食べられて、おいしいと思うことが、
どんなに幸せなことなのか、とつくづく思いました。
その幸せを国が奪っていくなんて、ありえないことです。

平和であることに、心から感謝し、
今後、永遠に平和であることを心から祈って止みません。

世界中に戦争のない平和が訪れますように。
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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も (晴美)
2009-08-15 22:18:53
親が戦争世代なのでいろいろ話を
聞いていました。
母は福島の会津生まれなのであまり
空襲にあったりはなかったようですが
東京生まれの父は、東京大空襲で
本屋を営んでいた屋敷が焼失。
線路を渡って、別荘のあった千葉まで
歩いて来たそうです。
父の年のはなれた兄はシベリアに
抑留されていました。
テレビを観ていても実体験として
話せる方々がご高齢ですよね。
次世代の人間が何かの形で、戦争の
無残さや不条理さを伝え残して
いかなければなりませんよね。

本当に、普通に生活ができることは
幸せです。
人間は、「あたりまえ」になると
ついつい欲張りになりますから(苦笑)


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同感です (ココの母)
2009-08-16 23:04:30
「平和ボケしてる」ってよく聞く言葉です。
私も亡き父母、特に母からは戦時中の話を聞いてきました。母の弟は志願して中国で病死しました。22歳の若さで。
父は激戦地ニューギニアに行って奇蹟的に還って来られたと言います。でも生きてる間に戦争のことは口にしませんでした。父の死後、南方に行った兵士の方々の本などを読み、父の気持ちに近付きたいと思っていました。
父が還ってきたから、私がいる、と運命に感謝しています。
トラネコさんの仰るように「あたりまえ」と思ってしまうことのない日々を送りたいと肝に命じました。
返信する
明日から神戸。お花が心配 (トラネコ )
2009-08-21 23:01:44
戦争が永遠にありませんように。
憲法9条死守は、社民党と共産党。
うーん、政治やサンって、理念も重要、
でも景気対策もライフラインの充実も大切。
悩みますねえ。信用できなくて(笑)

晴美さん
みんなうちらの親世代は、大変な苦労を
していますよね。それなのに、
何もなかったかのように、生きている。
強い世代です。だからこそ、復興できた。
私たちも頑張らねば!ですね。

ココの母さん
南方は激戦だったと聞きます。
本当に、奇跡的だったのでしょうね。
運命ってすごいですよね。
だから、だから戦争なんてあってはいけない。
本当にそう思います。
ココの母さんの命に、お父様に感謝。
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