父が旅立ちました。
昨年の1月に余命数週間と言われてから15か月、
今年3月末に入院して、余命数日と言われました。
いわば「死ぬ死ぬ詐欺」状態だった私は
やはり復活するんじゃないかと
半ば信じていたところがありました。
最期まで
父の、「延命措置はせず、痛みは取る」
という信念に、医師も協力をしてくれて、
最期まで、
朦朧としたり、チューブだらけになることもなく、
眠るように亡くなりました。
強い信念と厚い気持ちを持った父の子供として生まれたことを誇りに
私はこれから生きていきたいと思います。
3月20日
思えば今年の桜は遅くて、
多分今年が最後の桜だなぁという思いもあったので、
散らないうちにと思って春分前後に
父のところに訪問。
蕾が膨らみ始めていたものの
まったく咲いていない桜を確認しに行くこととなってしまいましたが
「もうすぐやな。」とつぶやく父との散歩が
最後のものとなりました。
3月28日~4月2日 神戸
3月26日に老人ホームで嘔吐をし、病院から入院するようにと連絡。
土日のため3月28日に入院。
その時に余命数日かもしれないと告げられました。
透析を拒否していたので、その覚悟はしていたし、
父は確かに自力で起き上がれなくなっていましたが、
意識ははっきりしていたし、ベッドを起こして
いろいろ食べたり、話したり、元気そうに見えました。
しかしこの1週間、すぐに亡くなりますよと言われていたので
そのまま神戸にとどまってました。
4月3日~4月7日 東京
4月1週目に仕事もあるし、元気そうにも見えたので、一旦帰京。
看護師さんにただし覚悟はしてくださいね、でもね、
一生懸命やったって車に荷物を取りに行っている間に亡くなるとか、
死に目に会えないことはたくさんあるからと言われながら…。
仕事をしたり、猫シッターをお願いしたり、
仕事のお休みをいただいたりバタバタと過ごしましたが、
正直あまり実感はありませんでしたが、
電話がいつなるかびくびくしていたかもしれません。
4月8日~4月16日 神戸
だんだんとゴハンが食べられなくなり、
ヤクルトやヨーグルトドリンクが飲みたいというので、
あれやこれや買って飲んでもらっていました。
体が重くてだるいと訴えておりましたが、
それでもまだ意欲を感じる父でした。
いろんな話をしようと思い、
一番好きなお寺は?とか聞いていたのですが、
最後の最後まで父らしくきちんと正しく
教えてくれました。
4月17日~4月19日 東京
仕事で一旦帰京。
4月19日夜 神戸
父はかなりだるくて話をするのも嫌がり、
水も吸い口で飲むようになっていました。
集中して眠るのもしんどい感じ。
睡眠導入剤はどうだろうかと医師と相談したところ、
意識レベルが下がったままになる危険があるので、
避けたいとの診断。了解して見守ることにしました。
それでも父は朦朧としているわけではなく、話は明瞭でした。
写真は夜帰る病院前のバス停。
心象風景と重なって荒涼感がでています。
4月20~4月21日 神戸
寝ていることが多くなってきました。
かなり重くてだるいと言っていました。
医師からは心臓の音も飛び始めていますと。
ただ、看護師さんは昼夜逆転しているので、
昼間寝ているのはその影響かもしれないともありました。
入院している父の病室からは竹林の葉が風で揺れる音と鳥たちの声が
春をつげていました。
4月21日の夜は、私も緊張が続いていましたので、
誰かに話したいという気分から
大阪の友人を誘って一緒にご飯を食べてもらいました。
その夜は疲れていましたが、なぜか眠れず、文庫本を2冊も読み、
これじゃあ父の看病ができないなと思って焦っていました。
明日明後日の様子を看護師さんと相談して、
東京に帰るかどうかを考えましょうと
看護師さんと約束していたので、
眠いけど頑張って父の所へ行かなければ、
それ次第だなぁ、でもいつも後ろ髪ひかれて辛い。
それで眠れないのかなぁと思っていました。
4月22日
0400 私は抗不安薬を飲んで、一瞬睡眠へ。
0430 病院から電話。
「心臓の音がどんどんと小さくなっていますので、急いできてください」
0500 タクシーで病院到着。
すでに父は旅立ってしまったようでした。
0505 医師立ち合いで死亡確認。
父はだるさから解放されて
ふわふわと軽い身体であちこち行っているのかもと思いました。
0530~0600
看護師さんが父の身体を整えてくれて、何か服を着せてあげますか?
と言われたので、タクシーで家に戻り、スーツを持ってくる。
タクシーが20分くらい来なくてとても切なかったな。
事前に見積もりを取っていた葬儀社に電話。
0600~0730
病室の整理をしながら葬儀社を待つ。
0730~
実家のマンションに父を連れ帰ってもらいました。
父を寝かしてもらって、さまざまな仏教のツールの配置。
0800~0900
葬儀打合せ。見積もり通り、4月23日(日)「一日葬」でお願いしました。
お通夜はセレモニー感よりも、うちに帰ってこれたことが
重要なのではないかなと思い、父も満足してると思いました。
0900~1200
数少ない親戚と父の教え子と私の友人に連絡。
私の友人には猫シッター継続依頼。
ここでやっと父と向き合えた気がしました。
わかっていたけど、死んじゃうんだもの。おとうさん。
でも今頃、母や兄弟に会えて楽しんでるんじゃないの?
みんなによろしく言っておいてね。全力でこれからの私を守ってね。
そんなこと、あんなこと、思いながら。
時計も一緒に止っていました。
ありがとう、時計さん。
気に入って最期まで身につけていました。
その日の美しい夕日。最後の父との一日かもしれません。
でもきっと父はこの空を自由に行き来していたような気がします。
退職もしていましたし、
父の知り合いもご高齢のため特に連絡をしませんでした。
私は東京だし、会社員ではないし。
そんな少ない連絡の中でも教え子さんたちが来てくれたり、
色々と連絡をしてくれてありがたかったです。
親戚も「なんでも言うてや」と言ってくれとても助かりました。
これはすべて父の人徳だなとつくづく感謝。
でも一緒に桜見たかったな。今年に限ってはあと半月入院が遅かったら
見れたんだけど。でもいつもだったら見れた桜なのにね。
こんなにきれいだったんだよ。
4月23日
1000~
棺に入れて頂きました。
1130
葬儀会場。
とても綺麗なお花であふれていました。
簡素ながらも充分です。
1330
僧侶の方と戒名などの話を伺い、
「教」という字をいただきました。
父は儲かるとか、要領よい方法ではなく、
いつも正しい道を教えてくれたと思っていたので、
「教」という字を見て、
父の気持ちが通じたようで本当に驚きました。
友人も来てくれて本当に父のための温かい葬儀となりました。感謝。
1345
葬儀スタート
1530
火葬場
1700に集合とのことだったので、車で来ていた親戚と
一緒に近所のカフェへ。
のどかな風景にすこしほっこり。
1700
火葬場へ戻りしばし待機。
1730
お骨入れ
のど仏が本当に仏様の形をしていて父のしたり顔を想像したりして。
1800
みんなに御礼申し上げて、解散。父はお骨になって再び家に着きました。
4月24日
父のいない初めての日だと感じました。
本当に疲れました。やっと我に返ったのかもしれません。
葬儀の清算や役所や老人ホーム、銀行等へ手配関係と
必要書類を確認に行き、夕方東京へ。
疲れ切っていたので、ほんとうに帰るがつらかったのだけど…。
でも、呼び戻した友人兼仕事仲間を「鬼!鬼!」と
言って毒づいてるうちに元気をもらった
気がします。
4月25・26日
朝から仕事、仕事だよ(涙)と毒づいていたら動悸も治まっていました。
ガクセー君たちはそんなこと知らないので、まさに日常へ。
その後年金関係のオフィスへ電話して必要書類を確認。
だいたいの必要書類が見えてきました。
4月27日
もうひとつの仕事先の歯医者さんにあいさつに行きました。
今回はもう一つの仕事先である歯科医院が
こころよく1か月休みをくれたので、
本当にありがたかったです。感謝です。
夜はヨガに久しぶりに行きました。リフレッシュ。
こうやってだんだんと日常に戻っていく感覚。
GW明けにはまた神戸です。まだまだ手配処理関係がたんまりあります。
がんばらねば。
そんなこんなで4月の記憶がほぼなかったので、記録しています。
父のいる世界がここから空の向こうに変わっていく過程で、
こちらの世界の遅い桜は咲き、そして
散り、若葉となり、
気が付いたら、冬から春になっていました。
父は春になるのを見届けたんですね。
ほんとうにありがとう、おとうさん。
がんばるよ、わたし。
ちゃんと見守って、
いいアドバイスを頂戴ね。
約15年弱。月一度行っていた神戸。
確かにイヤイヤ行く時もあったし、
何しに帰っているのかわからなくなって
いた時もありましたが、
父がいなくなったことで、
この年月が作った習慣と神戸の地縁も
失うことに気がつきました。
父のお陰だったんだと今更愕然とします。
色々1つ1つ考えていかなければ
なりません。
おとうさん、いい答えが出ますように助けてね。
一文字一文字読ませて頂きました。
お父様、最期までよく頑張られましたね。
トラネコさんがお傍にいらして、心強かったと思います。
自分の親の時のことを思い出すと、何とも親不孝な私でした。
してあげることがもっともっとあったのに・・・と
いつも最善を尽くされてるトラネコさんを見ていて
感じておりました。
トラネコさん、おひとりで何もかもなさって
偉いと思います。
それぞれのお写真が、トラネコさんとお父様の関係を表しているようで、
胸がキュッとなりました。
『温かい葬儀』 そのようなご葬儀がきっとお父様には嬉しいものだったでしょうね。
すべきことがたくさんあって、トラネコさんもお疲れでしょう。
どうぞ、無理なさらずお身体お厭い下さい。
お父様のご冥福をお祈りしております。
ひとまずのお疲れ様でした・・・と申し上げては情の無い言い方になるのかもしれないけど・・・
ワタシもいつか来る道でして・・・自分に少し重ねてしまったかな・・・ごめんね。
意識が最期までちゃんとある状態でアナタへの思いを貫かれたのですね・・・立派だよねぇ・・・親としても尊敬を得る様な生き方であられたと。。。。
トラネコさん、本当にお父さんが大好きだったのね。
羨ましい親子関係だと思います。
でもね、あまりしっかりしなきゃと思い詰めないでね。
思えばいつだってお父上はあなたの胸にあるのだし、あなたの隣でいつでも見守ってくれてるのだろうし。
時間が経つと益々お父上の思い出が蘇るでしょうが、出来る限りのことを精一杯したのだから自分の後悔など微塵も思うことは無いと思いますよ。
本当によく頑張られましたね・・・ワタシ・・・ウルウルして拝読させて頂きました。
親と子はこうありたいね・・・
さて、ワタシには出来そうもない気がしてるのですけどね・・・(苦笑)だから、尚更に濃い時間を羨ましいとさえ思うのです。
桜を待って逝かれたのは幸福な方だったと思うなぁ・・・
きっと、これからはいいこと・・・一杯待ってるね・・・
後始末は大変だろうけど、ガンバ・・・。
kyonさん
さっそく読んでいただき、
ありがとうございます。
父とは若いころは大嫌いで口も利かない関係でした。
母がいつもあいだに入り…(笑)
母が急死したときは、ヤバいと思いましたもん。
でも一人暮らしを続けていると心配ばかりで。
でも一緒に住むと衝突するのは目に見えて。
介護に仕事をやめて戻るのは
犠牲になるような気もしていましたし、
そういう意味では暖かなほほえましい親子関係で
あったとは言えないかもしれません。
結果的には老人ホームで楽しく暮らしておりましたし、
とはいえ私自身も心配で月1戻っていたという感じです。
なので、毎日の介護というものはしたことがなく、
そういう意味では尽くしたというものでもないかもしれません。
しかし、父の意思を最優先して周りと折衝してきたつもりです。これが母の遺言だったのかなと思ったりします。
なので、プラスマイナスゼロ。
若いころ大嫌いだった分、
年老いた父に向き合えたと思っています。
こんなおばさんになっても
たった一人になってしまって不安だったり。
今からどんどん寂しくなるのかもしれません。
親は永遠に親ですね!!
でも、お父様も最期までしっかりなさっていたとのことですし、
きっと穏やかに旅立たれたと思います。
トラネコさんが傍にいたことで、
最高の親孝行ができたのではないでしょうか。
東京と神戸の往復や、諸手続き等、トラネコさんもずっと頑張ってきたし、
今はまだ気が張っていると思いますが、
ふとした時に体調を大きく崩したりしないよう、
無理はしないでくださいね。
こういう時に、はっちゃんやレオ君がいて本当に良かったと思います。
辛い時にはネコ!ですからね。
まだまだ忙しい日々を送られるでしょうが、どうぞご自愛ください。
ご無沙汰しております。
そしてありがとうございます。
父は安心して旅立ってくれていれば
いいのですが。
四十九日を兼ねた納骨法要の日取りも決まり、あとは一人相続を
淡々と進めるのですが、
家の片付けという一大作業が…(泣)
マンション、売れてくれたら残すはお墓のみ。
そんなことを考えると、
お墓以外のルーツ完全消滅で、
関西ロスというかアイデンティティロス
直面ちう。
おばさんになっても一人というのは
ぞっとするもんですねぇ。
ねこ兄弟よ、頼むよ!!
なんといっていいのかわかりませんが、
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
最後まで、お父様、ご立派だったというほかありません。
また、お一人での看取り大変だったと思います。
気になりながら、連絡も入れず、ブログも今日になって初めて見て驚くと当時に申し訳なく思います。
きっと、お父様はトラネコさんのおそばで見守っていてくださると思います。
いろんな手続きが大変だと思いますが、ゆっくりなさってくださいね。
あわててやらず、ゆっくりされるのがよいと思います。
(自分の経験から)
猫兄弟、トラネコさんと一緒に頼みます。
申し訳ないなんて!
こちらこそご無沙汰しております。
こんな歳になって
当たり前といえば当たり前なのに、
この受け入れがたい現実。
寂しいもんですねぇ。
じんわりひしひしと孤独が
忍び寄ってきます。
ゆっくりやる
そんとにそうですね。
そうします。
ありがとうございます。
6月上旬に四十九日と納骨法要。
その時に諸手続きが終わればと思いつつ
終わらないかなぁ。
でもアドバイスいただいた通り、
ゆっくりやります!
いつもあなたのブログを楽しみにした居た者です。
久しくご無沙汰していますが、お元気でお過ごしでしょうか?
本当にたまにでもいいですから、お声を聞かせてくださいませ。その日を楽しみにしています。
どうぞ、お体に気を付けて、日々お過ごしくださいね。