こんばんは
今日は細川ガラシャ夫人が38歳で最後を迎えた細川越中守忠興の屋敷跡に残る越中井戸に行ってきました。場所はJR森之宮駅の西約600mのところにあり、当事は大名の屋敷があった場所です。
本名玉子。明智光秀の娘で細川忠興のもとに嫁ぐが本能寺の変勃発。謀反人の娘ということで本来は離縁され自決しなければいけないが忠興は離縁せず但馬の豊岡市の味土野に幽閉。その間に侍女の清原マリアからキリスト教の感化を受けたと言われています。
後に豊臣秀吉の許しを得て大阪城近くの玉造(現在の森之宮中央)の屋敷で暮らす。聡明で絶世の美女だったと言われ、忠興は玉子が人目に触れないように部屋の四隅に火薬をぶら下げ監禁。キリスト教禁令下、清原マリアから受洗。洗礼名「ガラシャ」(グラチア、グレーシア)神の恩寵の意味。
「夫にはキリストのごとく仕えよ。」の御言葉を守り、玉子は石田方に取り囲まれても逃げようとはせず、幼い娘をマリアに託し、侍女達に殉死することを堅く禁じて「キリシタンゆえ、自害はできぬ。かと申して生きのびるわけにもいかぬ。」と屋敷に火を放ち、家老に胸を突かせて果てた。享年38歳。
大阪市東淀川区東中島の崇禅寺にある「ガラシャ夫人の墓。墓(五輪塔)の傍に「香林院細川玉子之墓」の石碑が建つ。
石田三成軍勢に攻められ、焼け落ちた細川屋敷の焼け跡から、のザビエルの弟子オルガンチノがガラシア夫人とその殉死者の遺骨を拾い、細川家ゆかりの崇禅寺に埋葬したと伝わる。
今日は細川ガラシャが最後を迎えた屋敷跡の井戸、越中井戸の写真をつけました。
私は大の明智光秀ファンです。作家三浦綾子さんの「細川ガラシャ」を読んで頂ければ明智光秀の見方も変わると思います。新潮文庫で上下が出ています。是、機会が有ればお読み下さい。
次は阪急崇禅寺駅近くにあるガラシャのお墓にいってきます。
今日も昼休みに中の島バラ公園で昼ごはんを食べました。
今日はフランスのチャールストンと言うバラの前で弁当を食べました。
綺麗なバラでしょう。
最後の場面は他の本で読んで結末がわかっていたので読みたくなかったです。
彼女が神様に是認されて、神様の御加護を賜わり、永遠の命を得て、幸せな時間を過ごすことを願っています。