ヤマギワ電気の存在が音楽にどっぷりつかるきっかけだったわけだ。
TOWER RECORDSができるまでここでLPを買い、カセットテープを買い
と電気用品は随分ここで買ったし、新製品はいち早くここで情報を
仕入れ、ガキの分際で視聴室で音を聴いたりとお世話になっていた。
そしてなんといっても伊勢佐木町界隈では随一の楽器売場があった。
ものすごく狭い練習スタジオもレジの裏にあったし、いつもはバーゲン
品を売っている別会場はライブ会場にしてライブを時々やっていた。
竹田和夫さんがギタークリニックを開いて(当然バンドのライブあり)目
の前で解説してくれたり。丁度ムー一族の主題歌をやっていたころだ。
横浜の伝説のバンドTENSAWもここで見た。凄かった。
そして、寺内タケシとブルージーンズ。一時期、毎月1回無料コンサー
トを開いていたのだ。勿論、毎回見に行きました。
この方、寺内大明神は日本の音楽界で過小評価されている偉人の一
人です。詳細は調べてもらうとして実はとんでもないギターテクニックの
持ち主なのだ。みんな知らないだろう。一度でいいから見て欲しい。
売場はその当時出始めたMUSICMANのギター・ベース・アンプが占領
していた。その当時でほぼ30万円前後。大人になったら買えることが
できるのだろうかと悩んだもんだ。当時の宣伝ポスターはひげもじゃの
ERIC CLAPTONが先っぽのかけた例のGibson EXPROLERを持って
MUSICMANの壁みたいなアンプの前にたっているというもの。
かっこよかった。今、あんまりMUSICMANのアンプって見ないような。
GibsonやFenderもショーケースの中に並んでいたがこれも夢の存在。
でも、この時期のGibsonとFenderって一番質の悪い時期だったのだな。
ちなみに現在1本持っているFenderのプレベは調べてみたら1978年製。
あの頃指をくわえて見ていたあのショーケースの中の1本だったのか。
因果応報。因縁か?
そんな楽器売場であたしは新聞配達(聞くも涙、語るも涙)や小遣いを貯
めて、初めてのエレキギターを買ったのである。アンプと一緒に。
それが、「Greco SE700 ERALY SIXTEES」だ。
このカタログ写真(グレコの写真館より)の白いギターが俺のだ。
1977年製かぁ。今年で30歳でやんの。結構ひどい扱いをしても壊れず
いまだに現役。てか、只今入院中であるが。入院といっても軽いメンテ。
錆びたブリッジの交換とナットの交換、電気系統とネックのメンテだ。
しかし、とある工房にだして1年過ぎた。
どうなっとんねん(怒
たぶん、いい状態では帰ってくるのだろうが。
その後、ここヤマギワ電気ではGrecoのプレベ、Fernandesのプレベを
高校時代に購入。弦もここで買っていたな。
しかし、大人になって横浜駅方面にISHIBASHIができたりとあまり行か
なくしまいふと気づいたときに寄ってみたら楽器売場がなくなり、また
その後何年かして行ってみたら石丸電気になっていた。(哀
PC、IT関係に乗り遅れたらしい。
今は、何店舗化は残っており元々強かった照明専門の電気屋さんにな
ってしまった。
俺の青春の1ページ(照)だったのだけどね。
栄枯盛衰、諸行無常の響きあり、驕れる平家は~、色即是空。
あの楽器売場のお兄さんは今何してんだろうな。
そういや、横浜駅にあった「帝都無線」もクロサワ楽器になっちゃったし。
俺は、東口にあった帝都無線で初めてモーリスのフォークギターを買っ
たのだ。スーパースターは夢だったわけだが。
TOWER RECORDSができるまでここでLPを買い、カセットテープを買い
と電気用品は随分ここで買ったし、新製品はいち早くここで情報を
仕入れ、ガキの分際で視聴室で音を聴いたりとお世話になっていた。
そしてなんといっても伊勢佐木町界隈では随一の楽器売場があった。
ものすごく狭い練習スタジオもレジの裏にあったし、いつもはバーゲン
品を売っている別会場はライブ会場にしてライブを時々やっていた。
竹田和夫さんがギタークリニックを開いて(当然バンドのライブあり)目
の前で解説してくれたり。丁度ムー一族の主題歌をやっていたころだ。
横浜の伝説のバンドTENSAWもここで見た。凄かった。
そして、寺内タケシとブルージーンズ。一時期、毎月1回無料コンサー
トを開いていたのだ。勿論、毎回見に行きました。
この方、寺内大明神は日本の音楽界で過小評価されている偉人の一
人です。詳細は調べてもらうとして実はとんでもないギターテクニックの
持ち主なのだ。みんな知らないだろう。一度でいいから見て欲しい。
売場はその当時出始めたMUSICMANのギター・ベース・アンプが占領
していた。その当時でほぼ30万円前後。大人になったら買えることが
できるのだろうかと悩んだもんだ。当時の宣伝ポスターはひげもじゃの
ERIC CLAPTONが先っぽのかけた例のGibson EXPROLERを持って
MUSICMANの壁みたいなアンプの前にたっているというもの。
かっこよかった。今、あんまりMUSICMANのアンプって見ないような。
GibsonやFenderもショーケースの中に並んでいたがこれも夢の存在。
でも、この時期のGibsonとFenderって一番質の悪い時期だったのだな。
ちなみに現在1本持っているFenderのプレベは調べてみたら1978年製。
あの頃指をくわえて見ていたあのショーケースの中の1本だったのか。
因果応報。因縁か?
そんな楽器売場であたしは新聞配達(聞くも涙、語るも涙)や小遣いを貯
めて、初めてのエレキギターを買ったのである。アンプと一緒に。
それが、「Greco SE700 ERALY SIXTEES」だ。
このカタログ写真(グレコの写真館より)の白いギターが俺のだ。
1977年製かぁ。今年で30歳でやんの。結構ひどい扱いをしても壊れず
いまだに現役。てか、只今入院中であるが。入院といっても軽いメンテ。
錆びたブリッジの交換とナットの交換、電気系統とネックのメンテだ。
しかし、とある工房にだして1年過ぎた。
どうなっとんねん(怒
たぶん、いい状態では帰ってくるのだろうが。
その後、ここヤマギワ電気ではGrecoのプレベ、Fernandesのプレベを
高校時代に購入。弦もここで買っていたな。
しかし、大人になって横浜駅方面にISHIBASHIができたりとあまり行か
なくしまいふと気づいたときに寄ってみたら楽器売場がなくなり、また
その後何年かして行ってみたら石丸電気になっていた。(哀
PC、IT関係に乗り遅れたらしい。
今は、何店舗化は残っており元々強かった照明専門の電気屋さんにな
ってしまった。
俺の青春の1ページ(照)だったのだけどね。
栄枯盛衰、諸行無常の響きあり、驕れる平家は~、色即是空。
あの楽器売場のお兄さんは今何してんだろうな。
そういや、横浜駅にあった「帝都無線」もクロサワ楽器になっちゃったし。
俺は、東口にあった帝都無線で初めてモーリスのフォークギターを買っ
たのだ。スーパースターは夢だったわけだが。
ごぉシリーズ、今でこそ弾きたいよな。
6年ぐらい前、新宿の中古楽器屋で見かけたのだが、各部分が欠損し、代部品になり、コンディションとしては最悪なので、購入するのは止めておいたよ。
外国製のローコストといっても厨房には買えません。
外から丸見えなんだよね。
薄くて、ドラムの前で人が擦れ違うのが不可能。
楽器売り場にはアイバニーズ(当時はイバニーズと呼んだ)が沢山あったのを覚えている。
でも、たしか外国製のローコスト品ばかりだったようだが・・・
テイトムセン無くなったのか。
私の初めてのマトモな電気ギターはあそこで買ったのだよ。
プロジェクトのSE-700。柳ジョージが使ってた奴。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=226014969&owner_id=6438659
当然有燐ファボリにもいってましたぜ。
弦がすご~く高かったのを覚えてます。
当時、マーチンがビニールかかってうってました。
ヤマギワでは、買わなかったな。
私は、グレコのEG-800Cを昔のラオックスの前にあった楽器屋で買ったかな。
当時グヤトーンのロリーギャラガーモデルあったぞ!
あとは、ユーリンファボリの楽器屋に良くいってかな?カナダ製のレスポールケース(皮のつぎはぎ)が欲しかった。高かった。
ヤマギワには、フェンダーのストラト、プレベ、ジャズベの記憶が凄くありますね。(サンバーストの)
寺内たけしは、ヤマギワで確かにみましたね。
いけないもの吸った息子は同い年だし。
テクニック的なものはある意味ノーキーさん以上だと。
数少ないオリジナリネイターだし。人と違うことをやっている意味においてね。
といってもちゃんとベンチャーズナンバーは勿論、押さえて
おくべきところは押さえているし。
SANTANAの「EUROPA」をカバーしたのを生で聴いたとき
この人はただもんじゃないとオモタヨ。
カントリーやブルグラって、すんげぇテクニカルなんだじょー。
きっとギターを弾かない人か、あるいはあの「テケテケ」を横移動だと思ってる人が過小評価しているのだと思いますな。