学生生活で学んできたことは化学中心でしたが、
職場ではいつの間にか英語の世界を中心に機械の世界に入りこむことになった私。
会いたかった父側の祖母の死がとてもショックで高校時代は英語を忘れたく、より理系の進路を強く希望し、大学入学時には研究職に就きたかった私でしたが、在籍中に教授と友人、後輩、間接的に親からボロボロにされ大学院を諦めざるを得なくなり
今は過去の私が一番恐れていた英語に触れる業務に携わることになっています。
機械関連は私がいくら勉強をしてもベテランさんがいるので、短い時間勉強しただけでえばる必要はないと思っていますし、派遣で来た私が数年間で根本的なことを理解できる簡単な内容ではないと個人的に感じています。
周囲の方々は父の年齢層ばかり…。私の年齢層は私だけです。
大学生活のなかで実験の細かいデータや計算、考察などがありましたが、
職場ではアメリカ英語を中心に様々な方々の言い回しを常に理解していないと中々追いついていけません。
かと言っても、
特徴的な言い回しばかりもなく、様々な国から移民や難民が沢山いるので英語の表現方法も本当にばらばらです。
文章が非常に上手な方から文章が全く成立してないケースもありますし、スペイン語で書いてくる方もいます。英語とスペイン語を混ぜてくる方も…。
英語で書いていても、どこから来たのか何となくわかるケースもあります。
同じ英語でも、文法は合っていても表現の仕方で外国から来た方かわかります(その方の生きてきた証なので表現を変える必要はないと思っています)
外国語で英語を勉強したい方には、イギリス英語がいいのかな…と思いますが、私は意地で今でもアメリカ英語を勉強しています。
私は小さい頃からアメリカを勉強していたので何となく想像できていましたが、周囲の方は私の父が幼い頃のアメリカを想像しているので少々大変です。
ブログのなかで紹介したかも知れませんが、
父がアメリカ出身なことと私も国籍と日本国籍の名前とは違う名前がありますし、幼い頃は父の職業の都合でいつアメリカにいつ引っ越すかわからないこともありましたので、幼いころから自分ができる分だけストイックに独学してきたと思っています。
(父も含めて祖父、曾祖父と家族代々が軍人でしたので、私は日本にいながらも愛国心というものが強いのかも知れません…)
引っ越すとしたらカルフォルニアのサンディエゴだったようです。結局住むことはありませんでしたが…。
私が長く住んでいたら日本語ではなくスペイン語に詳しくなっていたかも知れません😊自分の日本名を書くこともできず、もしかしたら家族がばらばらだったり、母が日本に帰っていたのかも知れません。
日本の学校にいながら父がアメリカ出身なこともあって、その分日本のことを触れる機会も周囲と比べたら少なかったので、母側の日本のこともなるべく多く触れるように意識してきました。
和太鼓に挑戦したり、体験ができる神社で体験をしてから巫女さんをしたり…(同じ県で隣接した市でしたが地元ではなかったので巫女さんたちからブーイングがひどかったです😊汗)
私自身で違いを実感してしまうのが、日本語で話すときの話し方は日本語を母国語とする方の話し方ではありませんし、英語では話し方は大丈夫ですが、アメリカの学校に行っていない分、自信が身についていなく幼い頃のトラウマが強く支配して苦笑いしかできないことです。
父親のことや母親のことで幼いころからいつもいじめが多かったので、言語問わず話すときにいつも人を疑ってしまい相手に違和感を感じさせてしまったりと、友人がいないのが私の特徴ですが😊課題が多いのも現状です。
日本で生活をしていても知らないことがあるように、まだまだ足りないところもあるので、新しいものを見ていったらその場で覚えるようにしていますが、頭の中はいつもごちゃごちゃしていて休む時間はありません。
日本にいるともちろん日本語を聞くのが多いですが、日本語や日本名だけを聞いていてもつらい。英語だけを聞いていてもアメリカの名前だけを聞いていてもつらい…。和食だけをではなく、アメリカの食も食べたい…(私の旦那さんになる人は大変ですね…(人ごと))
極度にストレスに感じないように毎日両方の言語を聞き、独り言でも必ず両方の言語を口にするようにしていますし、自分がわからなくなるので両方のパスポートの名前を見て安心するようにしています。
るなちゃんは…るなちゃんだね。
るなちゃんは ルナ生(犬生…人生)。
今日の残りの時間がよい時になることを願って🐶✨