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yoshikazu blog

もえるあじあ迄上畠寛弘(自民党だけど神戸市議会日本維新の会派所属)に騙されています。

此れは、自由民主党神戸市市会議員東灘区選出所属会派日本維新の会の上畠寛弘の言っている事が元ネタですがそもそも神戸市だけで外国人生活保護が58億7000万円だと嘘を付いています。

令和3年度の健康局予算を外国人生活保護予算だと嘘を付いていますと何度も言っていますが神戸市の予算編成と実際に使ったお金は、直ぐに検索出来ます。

健康局の主な仕事は、老人介護障害者介護ですが敬老パス障害者パス等も健康局が管理しています。

健康局の仕事に厚労省委託業務の国民健康保険支払も在りますのでね。

更に生活保護は、福祉局ですが区役所では、福祉健康局一緒の窓口(国民健康保険国民年金窓口は、別)ですのでね。

で健康局予算ですが転出や死亡での国民健康保険払い戻し金も入っていますのでね。

更に生活保護予算の福祉局ですが生活保護予算に孤児の保護予算児童福祉予算を17億円で賄っています。

健康局予算には、バリアフリー化予算も入っていますのでね。

外国人生活保護と言っても日本人の配偶者が夫失踪死亡重病で一時的に出ているのも在りますので全てが働いていない外国人に出ている訳ではありません。

フィリピン人の奥さんが日本国籍の夫失踪死亡で日本国籍の子供養育し無ければいけない等でも出ていますのでね。
他にも無国籍扱いの中国籍(中華人民共和国籍ではありません暫定国籍です)中華民国籍(台灣籍ではありません)台灣籍の特別永住者本来台灣籍だけど何故か中華人民共和国籍に変えられた特別永住者に脱北者に本来は、難民だけど政治的に難民に出来無い民主化運動した中華人民共和国籍の人中華人民共和国籍の少数民族にて居ますのでね。

だから上畠寛弘の言う事等信じては、いけません。
【神戸市だけで59億円】自民党神戸市議団、外国人生活保護の見直しを言及・廃止に向け要望書

【神戸市だけで59億円】自民党神戸市議団、外国人生活保護の見直しを言及・廃止に向け要望書

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もえるあじあ(・∀・)



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櫻井ジャーナル読者
米国支配層に対して最もクリティカルな本命が登場

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304210000/

ロバート・ケネディ・ジュニアが次期大統領選挙に立候補すると表明
2023.04.21

​ロバート・F・ケネディ・ジュニアが正式に次の大統領選挙へ出馬すると表明した​。言うまでもなく、この人物は1968年6月6日に暗殺されたロバート・ケネディの息子であり、63年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の甥であり、99年7月16日に「飛行機事故」で死亡したジョン・F・ケネディ・ジュニアの従兄弟にあたる。

 アメリカの大統領選挙は4年に1度であり、1964年、68年、2000年にも実施されている。ジョン・F・ケネディとロバート・ケネディは大統領選挙の有力候補。ジョン・F・ケネディ・ジュニア本人は大統領選への出馬を否定していたが、1999年当時、共和党のジョージ・W・ブッシュや民主党のアル・ゴアより人気があった。立候補すれば当選した可能性が高い。

 RFKと親しかったマーチン・ルーサー・キング牧師は1968年4月4日に暗殺されたが、その丁度1年前、ニューヨークのリバーサイド教会で開かれた「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」で、「沈黙が背信である時が来ている」という主催者の訴えに賛意を示し、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」という話をしている。

 ロン・ポール元下院議員によると、​キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していた​というが、牧師はそれを無視したわけだ。

 アメリカでは第2次世界大戦後、ソ連を先制核攻撃する作戦が立てられていた。1957年に作成されたドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、​統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどの好戦派は1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だった​という。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。この攻撃を成功させるためにもアメリカ軍はキューバを制圧する必要があったのだ。キューバからなら中距離ミサイルでアメリカに反撃できる。ソ連もそう考えたようで、キューバへミサイルを運び込んだ。

 その事実を知ったレムニッツァーやルメイたちはソ連と戦争を始めるように求めたが、ケネディ政権は海上封鎖を宣言するの止める。これでも現在、ロシアのウラジミル・プーチン政権が行なっていることより強硬だが。

 この危機をケネディ大統領は外交的に解決、1963年6月10日にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行う。ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言したのだ。

 その演説で彼は軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」をまず否定、アメリカ市民は「内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)

 ケネディは「互いに寛容な心をもって共存し、その紛争を公正で平和的な解決方法」に委ねるように求めた。ソ連とアメリカとの間で全面戦争が起これば、いずれの国も破壊されるとも主張、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らした。「自信を持ち、恐れることなく、われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」ともしているのだが、軍事強硬派は怒る。大統領が暗殺されたのは、その演説から5カ月後のことだった。

 キング牧師と親しいRFKも兄と基本的に同じ考え方だったろう。それだけでもCIAや軍の強硬派にとって危険なことだったろうが、それ以上の恐怖もあったはずだ。つまり、兄の暗殺を大統領として調べ始めることも予想された。

 2001年9月11日はアメリカ、そして世界の歴史における大きな転換点になった。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。それを口実としてジョージ・W・ブッシュ政権は侵略戦争を本格化させた。もしJFKジュニアが大統領だったなら、こうした展開にはならなかっただろう。

 そして現在、世界は2001年以上の大きな歴史の転換点にある。ヨーロッパ諸国や日本は依然としてアメリカの属国だが、世界的にアメリカ離れが起こっている。そうした国中にはドル体制やエネルギー政策を支えてきたサウジアラビアも含まれている。そうした時期に実施される大統領選挙でネオコンは負けるわけにはいかない。すでにドナルド・トランプを潰す手を打ちつつあるが、RFKジュニアの登場は彼らにとって厄介だろう。あらゆる手段を使い、RFKジュニア潰しを行うだろう。
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