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東海道 鶴見・生麦を歩く

2013-09-15 14:06:29 | 日記
京急線の沿線に長年住んでいながら、何時も通過していたことに気が付きました。
生麦事件についてもう少し知りたいと思って「神奈川歴遊クラブ」に参加することに。

東海道は徳川家康が、1601(慶長6)年に宿駅伝馬制度を敷き、江戸から京・大阪までの輸送体制を整えました。
街道筋は今も健在ですが、当時ほどの賑いは無いのかもしれません。道々歴史的な建物も多々ありましたが、割愛させていただきましょう。

生麦事件発祥の地
1862年9月14日(文久2年8月21日)薩摩藩島津久光一行の行列に英商人4人が馬で乗り入れてしまう。江戸から京都へ向かう途中で、勅使大原重徳を江戸へ送った帰りでした。
英商人リチャードソン、マーシャル、クラーク、女性のボローデルの4人が、警固にあたっていた奈良原喜左衛門らに斬リつけられる。リチャードソンが即死、マーシャル、クラークも重症を負い、ボロデールとともに青木町本覚寺にあるアメリカ領事館に逃げ込み、医師ヘボンらの手当を受けて一命を取り留めました。
ボローデルは居留地に逃げ帰り、話を聞いた英国人たちは激怒し、即刻報復を英国代理公使ニールに訴えるが、それを許さず幕府に犯人の検挙、謝罪、倍賞などを要求する。
幕府は翌年、44万ドルの賠償金を払うが、当事者である薩摩藩は頑として、賠償、謝罪、犯人の引き渡しに応じず、薩英戦争が勃発する。この結果外国に武力で勝てないことを悟った薩摩藩は攘夷から開国へと大きく舵を切り、倒幕へと突き進むことになります。
 リチャードソンは死ぬ前にイギリスの姉に手紙を書いており、日本の素晴らしさ、文明の進んだ国だと書き送っています。ボロデール以外の3人は今も山手の外人墓地に眠っています。

  
  
              生麦事件発生の現場繪


        


              鶴見橋関門 旧跡   


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして、初コメントです! (めぐみ)
2013-09-24 15:51:00
はじめまして!めぐみっていいます、他人のブログにいきなりコメントするの始めてで緊張していまっす☆^(o≧▽゜)oニパッ。ちょくちょく見にきてるのでまたコメントしにきますね(*´ェ`*)ポッ
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めぐみです! (めぐみ)
2013-10-02 16:22:32
このあいだコメントしためぐみです!覚えてますか?覚えていてくれた嬉しいですw( ̄ー ̄)ニヤリッせっかくなのでメールできませんか?私ブログとかやってないのでお話がしたいです、アドは makorakopuあっとyahoo.co.jpです、待ってますね!(*゜ー゜*)ポッ
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メールを有難うございました (yoshiko-ojp)
2013-10-08 03:39:12
mailを有難うございました。gooからコメントのお知らせを頂いて、お返事をしたと思うのでうが・・・ブログは長いのですが、こうゆうコメントの書き方がよくわかりません。
メールの交換は私のURLに頂くと書けると思います。
申し訳ございませんね!
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