八咫烏 蒼天の旅人

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「グスコーブドリの伝記」にみる、宮沢賢治の世界観は・・・

2012年07月18日 22時08分31秒 | 日記
 どもです!!

 宮沢賢治・・・この名前を聞いたことがない方は、おそらくあまり無いのではないでしょうか。




 我が郷土の偉人・・・「誇り」と言っていいでしょう。

 私ごときが論ずる資格はありません。彼の足元にも及びませんから・・・。

 ただ一言、皆さんに言いたいのです。

「今だから、彼の作品を読んで、感じて欲しい。人とは、こう在るべきだと」


 かつての日本には、こうゆう「美学」がありました。現在は、失われてしまったと言わざるを得ません。

『多くの人のために、自分ができることはなんだろう』


 素朴でありながら、かつ現状を見極めた・・・素晴らしい思いなのです。

 彼が今の日本を見たら何と思うでしょうか・・・。切ない「慟哭」をあげるのではないでしょうか。

 どう思いますか?皆さん。

 今の日本社会に、このような思いを持つ人がいるでしょうか??

 政治家・権力者・教師、親にいたるまで今の日本は腐りきっています。我欲に支配され、人と社会の事を考えない。考えないから、人の言葉にも耳を貸さない。耳を貸さないから、自分勝手な事ばかりを論じ、かりそめの社会を構築しようとする。

 悲しく、惨い事件が起きてもなおです。

 人の事を、社会の事を考えないから残酷な世の中になるのです。

 彼は、100年も前にその事に気がついていたのです。

 気がついたからこそ、彼の作品に「思いを込めた」のでしょう。

 いつか読み解かれると信じて・・・。

 「銀河鉄道の夜」には次の様な言葉があります。
「なにがしあはせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」
 燈臺守がなぐさめてゐました。
「ああさうです。ただいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんな、おぼしめしです。」
 青年が祈るやうにさう答へました。

中略

 「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう。けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももし、おまへがほんたうに勉強して、實驗でちやんとほんたうの考へと、うその考へとを分けてしまへば、その實驗の方法さへきまれば、もう信仰も化學と同じやうになる。」

 「人が社会の中で、正しく進むのであればその社会は良くなるのです」

 彼はそう、言っていると思います。

 今、我々は彼の思いを認識していかなければならないと思います。


 ここで、とある言葉が、私の心を過ぎります。

 「人の言葉の通じぬ人がいた。だから悲劇を招いた。」

 「『たった一人の賢人』は存在した。すべてを話した。だが、それは獣の声にしか響かなかった。」

 「『賢人』は、それでもある人々にとっては恐怖をもたらした。なぜなら、彼の語るように世界が動いていったからだ。」

 「もはや『無作為』と『作為』を区別できる者は存在しない。たとえ、どちらであろうと『事実』にしてしまうものが存在するからだ。」

 「『生存する力』より『破壊する力』が絶対的に大きい。しかしそんな時でも世界は常に前へ一歩ふみ出そうとする。--知った事ではないのだ。--

 我々は、いったい何処に進んでいるのでしょうか?

 誰か、答えられるでしょうか??


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