夕飯時、ゴールデンタイム枠のお笑い番組を見ていて、ひょっと自分の唾を飲み込んでしまって、さぁ大変😱😱😱
むせてむせて、咳き込んでもなかなか息が吸えず、万事休す…😫
死を覚悟しました…😢
でも、まだ嚥下障害の年齢でもないと、何とか腹筋を使っていっぱい咳を出しながら、オェッオェッとゲボゲボしながら何とか呼吸が出来るくらいに戻りました。
今回が初めてではなかったことと、幸い大ヒット中の『鬼滅の刃』(きめつのやいば)の「全集中の呼吸」‼️
が頭のなかでローテーションしていたので、とにかくパニクらないように、一ミリの隙間からでも息が入るように、落ち着いてはいて~吸って~を意識しながら持ち直したところ、隣の夫はこちらが死を感じてるにもかかわらず「大丈夫でしょ😰」ぐらいにしか思っていなかったようで、平和なもんです…😅
去年から今年の初め頃までTV朝日でやっていた「やすらぎの刻~道」
そのドラマで昭和の戦前くらいから現代までの劇中劇が有りました。風間俊介さんが山村の4男を演じられて居ましたが、その昭和初期、男尊女卑の名残がまだまだ根強い時代の食事風景は、皆が黙って黙々と食べる…又は必要なことだけ喋る。
どこでもそう言うものだったのか、私も微かにお祖父さんお祖母さんの家はそんな感じだったと思い出しました。
今は、食事の場は『一家団欒』の証のように、食事は楽しくお話ししながら過ごすと言うのが「普通」のようになっていますけど…
子供の時は、それは憧れの風景でした…
でも、こう何度も、お笑いを見たり、話しながら笑ったりした瞬間に、喉にものをつまらせ生きるか死ぬかのの切羽詰まった体験を味わってしまうと、
昔の人は、ただ、真面目に食べていた。行儀作法としての躾だから…
だけではなくて、命を守ろうとする教えとして、「黙々と食べる」事を伝えて来たのかなぁ?と思うようになりました。
毎年、何かを喉につまらせ、それが原因で誤嚥性肺炎での死亡者は4万人近かったり、死因の上位に入っていたりとのことです。
そうするとある意味、家にいながらにして『事故』とも言えるような悲しい事実を迎えないように、長い長い歴史のなかで作り上げてきた教えなのかも…とも思えます。
でも、お笑い好きの私は今さらむっつり食事をする気はありませんが😅
ただ、食事も呼吸も、当たり前すぎて自然に一瞬一瞬流してしまいますが、その一瞬で、あの世とこの世を分けられる扉になっていることを忘れないで日々油断禁物で暮らしていこうと思います🙆
応援してくださる皆様、いつもありがとうございます🙇
すべての出会いと出来事と、共に息を吸えてる皆様の未来に感謝します~🍀
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