ぼちぼちと仕上げたい。
でも内心は、今秋に応募した小説が第一次を越えたかどうかが気になっているのだろうと思う。
ストーリーが単純過ぎて作品の出来はよくないが、それでも、一生懸命に書いた思い入れのある作品だから。
明け方、夢に見た。
円卓テーブルみたいなものに座り、選考委員が読み、そのあとの感想を述べ合っていた。
それを上から眺めている自分がいた。
10月10日締め切りだったから、まだ選考委員が原稿を読み回している時期で、選考委員会が開かれているはずはない。
気にし過ぎ。
夏に、一度、師に読んでもらって言われた。
「この小説の主人公が純粋すぎるよ」と。
「いまどきの40代後半女性が、もし相手の男に別の女がいることが分かったとしても、別れるか、続けるか悩んだとき、別れないですよ。人生長く生きてきたのだから、したたかさを持ってます」と師は言うのだ。
「計算しますよ。別れる淋しさをとるよりは、堪えて別れない方を取りますよ、別れないで、まだまだ利用してやろう…」と。
「利用ですか?」と、不思議になって師に聞き直してみると。
「例えば、飲みに行ってお金を出させるとか、プレゼントを買わせるとか。
女だって淋しくないうえに、男に別の女がいると知れば、計算し始めるでしょ?
尽くさせて、ある時期がきたら(新しく別の男が見つかったら)、さっと離れるんじゃないですか?
一石二鳥、あっけらかんとしてますよ。事実を知って付き合いを続けるのですから、それしかないですよ。
それが現代女性の計算した、言葉は悪いけど、したたかさ、嫌らしさですよ」と…。
それからつけ加えられた。
「筆者がすごく純粋過ぎるわ。一生懸命ストレートに熱く愛するタイプだから、それが主人公に投影されているのかな? いまどき、こんな人はいないよ」と。
〝ひどーい。凹むやん〟
心の中で、〝そんなん、別れないでいたらそりゃ淋しくはないだろうけど、まだまだこの人の身体とお金を利用してなんて…。そんな嫌らしいのは大嫌い。もっと性悪女やん。苦しくても別れる方を選ぶやろ?〟と反論してしまった。
師が言うように、
〝心で計算して、別れない、いやらしい女の方が正論か…。そう描くべきだったか〟
〝純粋過ぎるのは、もう現代では受け入れられないのか。だから、小説では嘘っぽくなるのか…〟
その辺のことが、読んでくれている選考委員の目にどう映るのか…とても気になって仕方ないのだ。
やっぱり「40代後半の主人公が、こんな純粋に一生懸命にはならないでしょう。嘘っぽいですね」と言われてしまうのかぁ。
作品で、別れない方向のいやらしさを出すことも出来たが、私はあえて変えなかった。
自分の意に反するから。
香川大学工学部付近にお住まいの、「私の小説ファン」というSさんがいる。
時々、手紙をいただいていたが、もう10年近くお会いしていない。
「小説を書いたら、必ず、小生に読ませてください」と書かれた手紙をいただいたが、小説が書けないのでそのままになっている。
「私の小説ファン」とご本人は謙遜でおっしゃるが、小説は私など、足元にも及ばない。
本も中央大手の角川出版社から何冊も出され、私も「Sさんのファンなのでサインしてください」と購入後に3冊ほどサインしていただいている。
Sさんが書かれる小説は純文学の正統派。
時々、色っぽい部分の描写もあるが。
お会いしたご本人は、60歳後半になると思えたが、中肉中背で背筋がぴんと伸び、昔はモテただろうなぁと思わせる整った顔立ちをされ、何よりも色気が全身から漂う、そんな方だ。
私以外にも「自称・Sさんのファン」と言われる方はたくさんいた「同人誌」をお贈りしたあとの手紙には、本当に、私の小説の欠点とかを長く書いてくださっていた。
書けるし、読める人だ。
あれから10年近く。どうされているのか存じないが、一度、書いた小説を送って読んでもらい、勉強させてもらえるなら、厚かましく押しかけさせてもらいたいな、と思う。
香川菊池寛賞の応募作品は、インターネットで第一次を越えた作品はこれです、と12月頃に掲載していた年がある。
数年間の応募してなかったブランクがあったにせよ、せめて最終には残りたい。
今まで7回応募で、今年が8回目だと思う。
今まで第一次予選を越えられなかった年はない。
最終選考の7本くらいに残った年は3回くらいしかないけど。
書きはじめた頃の目標は、10年応募してみようだった。
この調子だと10回どころか、20回、30回くらい応募しても難しいかな?という気になる。
文章修業も…なかなかしんどい。
作品の良し悪しではなく、とにかく自分の中でものすごく重い、想いの詰まった作品なので、気になって仕方がない。
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