Yuki Matsumotoのブログ

読んだ本、観た映画、行った場所、食べた物などの感想ブログ

8回目「髪結いの亭主」(パトリス・ルコント)

2019-10-24 01:58:33 | 映画

まず、タイトルが良い。なぜ、タイトルが良いかというと、映画の内容がまさに「髪結いの亭主」の話であるのと、これは、ネットで初めて知った知識なのだが、「髪結いの亭主」とは、日本の諺でもあり、その意味は「旦那が働かず、嫁の稼ぎで食っていること」或いは単に「ヒモ男」という意味があるらしく、まさに、この「髪結いの亭主」にの主人公が、諺の意味通りの男であるから、要するに、タイトルで映画の中身を二重の意味に掛けているわけだ。これは、なかなか巧いと思う。

で、肝心の映画の内容なのだが、この映画を論理を司る左脳で観ると面白くない。感性を司る右脳で観ると面白い。

左脳で観ると、論理的におかしなところが多すぎてついていけない。例えば、初めて来た客にいきなりプロポーズされて承諾したり、客の髪を切っている最中に客に気付かれないように性行為をしたり(これは、プレーとしてはあり得るからOKか)、急におっさんが奇怪なダンスをしたり、、と論理的に考えたら、どのような理由で登場人物たちがそのような行為をするのかが、理解できないのだ。

しかし、そんな理由を考えることなど放棄して「こういう映画なのだ」と割り切って観ると、とても良い映画だ。

というか、映画は考えるものではなく、感じるものなのだから、左脳で観るのは邪道かもしれない。

これは余談だが、最近観た映画と読んだ本、「グレートギャツビー(フィッツジェラルド)」「トリツカレ男(いしいしんじ)」「陰獣(江戸川乱歩)」そして「髪結いの亭主」同じ監督の「仕立て屋の恋」いずれも、ストーカー気質の男が出てくる。


7回目「おとなのけんか」(ロマン・ポランスキー)

2019-10-17 17:23:27 | 映画

11歳の少年が、同い年の少年と喧嘩して、棒で殴って怪我をさせてしまう。加害者の両親が被害者の両親の家に訪れ、お詫びをする。

で、事実確認が終わり、報告書(?)を書いて、無事、一件落着。もう一度、挨拶を交わして帰ろうとするところから、物語が始まる。

要するに、この映画は「一応、全て終わった」ところから始まるわけだ。

しかし、ここで本当に加害者夫婦が帰ってしまうと、映画そのものが終わってしまう。映画を続けるためには、話を引き伸ばさなければならない。この手のワンシチュエーション映画(そんな言葉があるのか定かでないが)は、いかにして登場人物を同じ場所に引き留めておくかがネックになる。脚本に工夫が必要なのだ。

「おとなのけんか」でいうと、加害者側の夫に頻繁に掛かってくる電話であったり、ハムスターであったり、被害者側の妻が作った焼き菓子(ゴブレだったかな?)であったりが「工夫」している部分だ。いずれも映画にちょっとしたスパイスを与えていて、また、さりがない伏線になっていたりする。

巧いな、と思った。

ただし、初見の観客に「ここ、工夫しているな」と気付かれるのは、あまり良くはないだろうとも思う。「工夫」などは裏を返せば映画自体の「都合のよさ」でもあるからだ。もちろん「都合のいい映画」を全否定しているわけではない。それを逆手にとって「都合のよさ」だらけの脚本も、面白いかもしれない。また、三谷幸喜の作品なども「都合のよさ」が沢山出てくるし、正直、食傷気味ではあるけれども、やはりあれだけ作品を量産できて老若男女誰が見ても、そこそこ面白い作品を作るのは、大したものだとも思う。自分如きが上から目線でごめんなさい。

それらと比べると本作は若干、見劣りするのも否めない。

個人的には、もう一つ見るべきポイントがあった。

中盤までは、当然「加害者の親VS被害者の親」という対立で進行していくのだが、その構図が次第に崩れ始め「男性VS女性」「夫VS妻」になったり、さらには、2対2ですらなくなり1対3になったり、、といった展開が面白く、ジョディ・フォスターがヒステリックに捲し立てる演技など、素晴らしかった。

以上


6回目「スリー・ビルボード」(マーティン・マクドナー)

2019-10-15 10:52:06 | 映画

アメリカの小さな町で、凄惨な事件が起きた。被害者は何者かにレイプされた挙句に殺害された。そして、7年が経過したが未だに犯人は分からず手掛かりさえ掴めない。業を煮やした被害者の母親は、道路沿いに立ててある3つの巨大看板に警察への抗議の広告を載せる。この看板がすなわちタイトルである「スリービルボード」 小さな町で、この看板の効果は絶大で、忘れ去られた過去の事件が瞬く間に町の人々の記憶を呼び戻し、関心が広がる。無能な警察を批判する者もいれば、警察を擁護する者もいる。広告を出した母親を応援する者もいれば批判する者もいる。ここから警察VS母親の構図でしばらく話が続くのだが。。。

被害者の母親が善で警察が悪、という単純な話ではない。それぞれの側に、それぞれの事情があり立場がある。登場人物たちの関係も、敵対・不信から友好・信頼になり、だけど、ほんの些細な誤解、行き違いによって再び、敵対・不信に変わる。その微妙さ、或いはバランスの危うさが、感動を誘う。

この映画の登場人物を大きく分ければ2つに括れる。一方は警察組織。もう一方は母親とその家族達。しかし、警察組織というチーム、家族というチームが同じ思いを共有しているかというとそうではない。母親と息子の間にも不穏なものがあるし、別れた旦那との関係も真っ当な目でみれば異常だ。最も、真っ当な目というのも主観でしかないし、価値観なんてものは人それぞれだが。警察の中でも、平気で権力を振りかざし、差別主義を前面にだして恥じないやつもいれば、勤勉に捜査をしているものもいる。味方、敵、味方の中の敵、敵の中の味方、味方が敵になる瞬間、敵が味方になる瞬間、そんな複雑な関係性を抱えた登場人物たちが、熱量の差はあれど「犯人の逮捕」という朧気な目標に、向かってゆっくりと進んでいく。

曖昧で微妙な関係性がこの映画の感動を誘うと上に記したが、象徴的なシーンがある。

町の歯医者に怪我をさせた母親が警察署で署長に取り調べを受けるシーン。警察VS母親を描くための典型的なシーンに思えたが。。

しかし、お互いを挑発し合い、罵り合っている最中、がんを患っている署長が急に吐血し苦しみだす。

相手の思わぬ弱点に触れた母親は、その弱点を攻撃の材料にするわけではなく、また顔に血を掛けられて激高するわけでもなく、むしろ狼狽し、不安になり、そして介抱し「大丈夫?」と声を掛ける。その表情には優しささえ表れていた。吐血をした署長も素直に「すまない」と謝罪し彼女に全てを委ねる。

先ほどまでの敵対関係が一瞬の内に相手を思いやり、信頼する気持ちに変貌する。

人間の感情の矛盾、それがもたらす悲哀を、この何気ないシーンに見て取れた。

以上


5回目「ボルベール<帰郷>」(ペドロ・アルモドバル)

2019-10-06 01:07:40 | 映画

ペドロ・アルモドバルの映画は、女性がものすごく逞しいのに、男が屑すぎる。

そこが面白い。

トーク・トゥ・ハーでは、全身麻痺で植物状態の女を犯して妊娠させる男が出てくる。

このボルベールでは、父から娘の近親相姦が2回ある(多分)。1回目は未遂だが、2回目はネタバレになるので詳しく書かないけれど、実際に妊娠して出産までする。こういうのは、苦手だ。

ただ、セリフで語られるだけで、実際のシーンはない。

性的にどきつい設定が多いが、アルモドバルの映画はスペインの陽気で情熱的な雰囲気を映像と音楽で緩和してくれるので、あまり気にならない。

また、脚本がとても緻密だ。

陰惨な話だけれど、妙に感動する。

この映画を見る前に、江戸川乱歩の「柘榴」という小説を読んでいて、なんかちょっと、変な気分だ。。。

 


4回目「透明な迷宮」(平野敬一郎:新潮文庫)

2019-09-30 23:27:09 | 読書

巻末に平野敬一郎のメールアドレスが載っていって「小説の感想などもお待ちしています」なんて書いてあったから感想を送ろうかなと思う。

6つの短編が収録されている。

初めて読んだ作者で、なんとなく文体が三島由紀夫ぽいと感じて後でネットで調べたら、確かに「三島由紀夫の再来」と言われたことがあるらしい。

ネットの情報と自分が感じた感覚が会っていて妙にほっとする。あながち、的外れなことを言っていないぞという安心感みたいな感じだ。

個人的に6つの短編の中で一番面白かったのは、最後に収録されていた「Re:依田氏からの依頼」

三島由紀夫の文体と似ているって書いたけど、まさにその三島由紀夫の戯曲が小説中に出てきます。

愛人とタクシー乗車中に交通事故に遭い、その事故で愛人は死に自分は生き残るのだが、事故の後遺症で時間の感覚がおかしくなってしまう劇作家のお話。

時間が過ぎるのが長いと感じる主人公の心理描写が巧かった。

自分も学生時代、飲食店でバイトしていたが、つまらないバイトでは時間が経つのが妙に長く、え、まだ出勤して2時間しか経ってないの!?みたいなことを考えたことがある。自分の場合は下らないたかがアルバイトの経験だけど、劇作家、演出家の主人公にとっては深刻で致命的。演出家なんて、舞台の時間をどう捌くかがかなり重要なのに。その葛藤と苦悩、それを乗り越えるための工夫、そして諦念が明晰な文章で説明されていて面白かった。筒井康隆の短編にも同じような題材の作品があったがように思うが、あっちはSFドタバタコメディで単純に笑った。こっちは、笑いはなくてシリアス。

また「時間」や「他人とのコミュニケーション」について深く考えさせられた。

ちなみに、この短編は構成が他に収録されている短編より若干複雑で、上記のエピソードは、ある小説家によって書かれた小説であり、その小説家と劇作家の出会いから再開までを含めて、一つの小説になっている。ああ、なんか意味が分からないかも。文章力下手ですみません。劇中劇みたいなものです。

その他、表題作は、読んでいてキューブリックのアイズワイドシャットという映画を連想した。

「火色の琥珀」炎に性的快楽を見出す少し変態な主人公のお話。内容はただの変態のお話なのに(性器に根性焼きしてエクスタシー感じたりする)、文体が高尚なので、なぜか内容も高尚に感じてしまう。同じテーマで別の作家が書けば、ギャグになったかもしてない。

family affair」これも面白かったけど、ラスト近くで主人公のオバサンがオナラしたのがよくわからなかった。