制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

曳山回顧(平成2年土崎港幕洗川三区)

2012年07月15日 06時51分38秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は平成2年の幕洗川三区さんです。

しおりには「土崎港幕洗川三区」と書いてますね。
初陣だったので「土崎港」を付けたんですかね。

「奇襲義経 怒涛の鵯越」


有名な鵯越の逆落とし。

まさに祭りの朝って感じの好天!
札、人形、つげ、良い感じに発色してます。(この写真見るとワクワクするんですよね)


弁慶の顔、この当時の方が良かったかと。まあ人それぞれ意見は違いましょうが。
義経、背中に背負ったはずの矢が前にひっくり返ってきてます。
これ、鵯越の激しさを演出したんでしょうか?(そうだったら脱帽モノです)


協賛の札が新町内を思わせます。
新柳には何度かお世話になりましたが幕三の方もやはりたくさんいらしてました。
それが今では2町内同時に山車出しても平気な感じになってますからね。

ジャスコの駐車場で2台山車並べて演芸やるんだもんなー
あれはジャスコ町内の特権ですかね?
今年は幕三さんだけでやるんでしょうか・・



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(昭和62年港北町)

2012年07月14日 20時10分20秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は昭和62年の港北町さんです。

「狂う神風 雷雨呼ぶ 蒙古の軍船、玄海灘に消ゆ」


有名な蒙古襲来ですね。

この前テレビでやってましたが、
モンゴル軍は台風の多い時期に3カ月も沖に居たらしいですね。
神風というか、当然の結果だったということです。


この北条時宗、今は裸ですよね??

バランスが良くていい山車かと。
小学生の私はこの山車で「フビライ」を覚えました。


真ん中にある竹の棒みたいなやつ、なんだろう・・



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)
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曳山回顧(平成5年旭町二区)

2012年07月13日 19時50分31秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回はリクエストに応え、平成5年の旭町二区さんです。


「粋花闇に散る 染紅乃勇肌」


外題は1860年頃の話。
以下、しおりの概要。

清水次郎長の代参として金比羅権現に納刀した森の石松は
帰途、都鳥吉兵衛に二十五両を詐取される。
返済を求める石松に対し、
次郎長一家を仇と狙う布橋兼吉を都鳥吉兵衛がけしかけ闇討ちを謀る。
これに激怒した石松が都鳥に迫るが、多勢に十数か所切られ凄絶な最期を遂げる。
(その翌年、次郎長によって吉兵衛は討ち果たされた)


まあ昔はよくあっただろうけどなんともひどい話。
無念さが顔に良く表れていますよね。
右目がなんとも痛々しい。(元からっていう設定ですかね?)

個人的にこのヤラレはあまり好きじゃないので少し勿体ないという感じが・・

見返しもついでに。
「羽田迷惑なこの選挙 宮沢さんは喜一一憂」




当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(平成2年幕洗川二区)

2012年07月12日 19時36分31秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は少し新しく、平成2年の幕洗川二区さんです。


「金幣一閃 夷賊立切る出羽乃路」


秋田で猛威を振るっていた大滝丸、大石丸が
征夷大将軍坂上田村麻呂に退治されるという外題。

土崎ではよくよく使われる外題ですね。

幕二さん、今とこの時と台は一緒でしょうか?
高さはさすがに今程ではないですが、ザルに奥行きの広さを感じます。


この山車を見た小学生の私は、
「田村麻呂の顔は戦いで腫れてしまったのだろう」と自分を納得させました・・
子供に免じてお許しを。



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)