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夕張JAZZ喫茶店FIVEPENNIES

夕張JAZZ喫茶店FIVEPENNIESのジャズコレクション

Jim Hall and Petrucciani live "Beautiful Love"

2011-05-09 22:20:11 | 夕張ジャズ喫茶店お気に入り音楽集
Jim Hall and Petrucciani live "Beautiful Love"


Jim Hallです。
ジム・ホール(Jim Hall、本名ジェームズ・スタンリー・ホール (James Stanley Hall) 、1930年12月4日-)は、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン、ギタリスト。現代ジャズ・ギター界の巨匠で、パット・メセニーなど多くのギタリストが、ジムからの影響を公言している。
ニューヨーク州バッファロー生まれ。幼い頃クリーブランドに引っ越す。1955年よりチコ・ハミルトン楽団で活動。1957年、初のリーダー・アルバム『ジャズ・ギター』発表。
1960年代は、サイドマンとしての活動が中心となる。1960年から1961年にかけてエラ・フィッツジェラルドのバックを務め、傑作ライブ・アルバムとして名高い『マック・ザ・ナイフ-エラ・イン・ベルリン』にも参加。また、エラのツアーに帯同して南米を訪れた際、ボサノヴァを知り、自分の演奏スタイルに取り入れる。1962年にはビル・エヴァンスとの連名で『アンダーカレント』を録音し、また、ソニー・ロリンズやアート・ファーマーのリーダー・アルバムにも参加。1969年、12年ぶりのリーダー・アルバム『ジム・ホール・イン・ベルリン』発表。
1972年、ロン・カーターと連名で制作したベースとギターのデュオ作品『アローン・トゥゲザー』が話題となる。ロンとは以後も度々共演。1975年には、チェット・ベイカーなどを迎えて録音したリーダー・アルバム『アランフェス協奏曲』が大ヒット。1976年、バンド・リーダーとしては初の日本公演を行う(サイドマンとしての初来日は1967年)。
1992年、ゲイリー・バートンのアルバム『シックス・パック』に参加。1993年にはギター独奏による『デディケイションズ&インスピレイションズ』発表。1999年にパット・メセニーとの共演盤『ジム・ホール&パット・メセニー』発表。
2003年、レーベルをArtistShareに移り、『マジック・ミーティング』というトリオ・アルバムの作成を発表。まだプロダクションが始まる前に先行販売しファンがアルバムに投資するという前代未聞のプロジェクトであった。2005年、ピアニストのGeoffrey Keezer(ジェフリー・キーザー)と共に『フリー・アソーシエィション』というデュオ・アルバムをArtistShareから発表。このアルバムは、ジムが教師をしていたThe New School for Jazz and Contemporary Musicで録音された。2008年、元教え子のビル・フリゼルと共にダブル・ディスクの『ヘミスフィア』を発表した。ArtistShareでリリースされたアルバムはファンの投資によって作成されている。

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Herb Ellis and Dave Maslow - Sweet Georgia Brown (1986)

2011-05-09 02:54:07 | 夕張ジャズ喫茶店お気に入り音楽集
Herb Ellis and Dave Maslow - Sweet Georgia Brown (1986)


Herb Ellis
1921年8月8日テキサス州生まれのギタリスト。44年カサロマ楽団に参加しジミー・ドーシー、ソフト・ウインズを経て53年にバーニー・ケッセルに代わりオスカー・ピーターソン・トリオに加入し大きな名声と評価を得る。58年までトリオを不動の地位として確立し成功を収めた。主にブルース演奏を得意とする。69年にはピーターソンとの再会セッションを録音し71年からはジョー・パスとのツイン・ギターによる精力的な演奏活動により70年代のギター・ブームの一員として大きな人気を集める。近年もコンコルド・レ-ベルに新作を吹き込むのと平行して各地のジャズ・フェスティヴァルなどに出演して健在ぶりを発揮している。

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Barney Kessel blues

2011-05-09 02:34:56 | 夕張ジャズ喫茶店お気に入り音楽集
Barney Kessel blues


Barney Kessel
1923年10月17日オクラホマ州生まれのギタリスト。ギターは独学でマスターし43年にチコ・マルクスのバンドのメンバーとなり、45年以降チャーリー・バネット、アーティー・ショウなどのバンドで活動。52年から53年にJATPに加わり、オスカー・ピーターソン・トリオの一員として各国でコンサート・ツアーを行い大きな評価と名声を得る。その後はフリーとしてハリウッドを中心にテレビ、映画の録音活動など多くの仕事をこなした。60年代後半にジャズの第一線に復帰しトリオでロサンゼルスのクラブに出演した。70年代以降の活動は地道ながらも衰えのないテクニックと高い音楽性で健在ぶりを示した。2004年5月6日、脳腫瘍のため米カリフォルニア州サンディエゴの自宅で死去。なおBarney Kessel (バーニー・ケッセル)が油井正一氏から高く評価されていた事は有名。

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