ERROLL GARNER TRIO - THANKS for the MEMORIES/ERROLL´S THEME
思い出をありがとう!
ERROLL GARNER TRIO - THANKS for the MEMORIES/ERROLL´S THEME
思い出をありがとう!
Erroll Garner plays Misty
Erroll Garner 以前にも紹介しましたが「ピアノの演奏を独学で習得」し、音楽的に恵まれた環境で育ったにもかかわらず「楽譜が読めず」、「左利き」であった。しかしこのことが独創性のある表現につながっていく。独学であったこと、そして楽譜が読めなかったことでどのピアニストとも似ていない彼固有のサウンドが生み出され、演奏は自由で表現力豊かなものになった。また、左利きであったことで演奏においては左手が強烈なビート(リズム)を刻むことができたが、右手のメロディーが若干遅れて出ていた。しかし、そのことが彼独自の雰囲気やスウィング感を醸し出すことに繋がった。次第にその演出は 「ビハインド・ザ・ビート」と呼ばれることとなり、彼のトリッキーなサウンドの代名詞ともいえるようになった。
1954年にMisty)を発表。
彼は大人数での演奏を頑なに嫌っており、ソロか少人数での演奏(コンボ、主にトリオ)に徹していた。
演奏中はそれ自体を楽しむようにユーモラスな表情を見せ、時折ピアノを弾きながらも観客に笑顔を振りまいて喜ばせていた。
演奏中にぶつぶつと何か言っているが、これは楽譜の読めない彼が音階の記憶の一部を口に出してそれを自身で聞いて確認したり思い出していたためである。とか彼は小柄で約158cmしかなく、よく電話帳の束の上に座ってピアノを弾いていた。とか?
George Shearing - I'll Never Let A Day Pass By (1942)(+ 再生リスト)
去年のジャズ・ピアニストの続きをば・・・・
ロンドンの石炭商の家庭に全盲で生まれる。3歳までに音楽に関心を示し、中古ピアノを買いあたえられた。盲学校で厳格な音楽教育をうけ、一度聴いたものは決して忘れないという異才を発揮する。10代でプロ活動を始め、クラブやパブのほか、リーダー以外は盲人の楽団で演奏し、ロンドン中に評判が広まった。本場流のジャズが存在しないも同然の不毛の地で、シアリングはわずかに輸入されていたミード・ルクス・ルイス、ハインズ、テイタム、テディ・ウィルソンなどの、聴けるかぎりのレコードを手本にしたとされる。