yuzuの記

優しい風に誘われて

忍ぶ恋対決 百人一首より

2020-01-28 13:43:00 | つれづれ

 

子供のころからお正月になると

我が家では百人一首がカルタでした。

両親の故郷の風習でしょうか

幼いころからずっと親しんでいると

門前の小僧よろしく覚えるものですね。

百人一首もいろんな背景を知るとさらに興味深いです。

さて、そんな中よく取り上げられる 「 忍ぶ恋対決 」 は

授業の資料にもなっているのですね。

左右に分かれて「お題」の歌を詠み合うのですが

平安時代~ 鎌倉時代の初め頃まで行われた歌人の一大イベントでした。

村上天皇の御代、お題は「忍ぶ恋」

この時しのぎを削ったのは

平兼盛と壬生忠見です。

 

「 平兼盛 」

 

誰にも知られないように隠していたのに

私の恋は顔に出てしまったようだ・・・

 

平兼盛は10世紀ころの歌人で36歌仙のひとりです。

 

「 壬生忠見 」

 

恋をしているという私の噂が世間に知られてしまった。

誰にも知られぬよう秘かに思い始めたばかりというのに・・・

 

この2首は審査員も甲乙つけがたく困ってしまい

主催者である村上天皇の方を見た。

天皇は「しのぶれど・・・」 と小さく呟かれ

それを聞いた平兼盛は 「勝った!!」とばかり

まだ途中でもあるのにさっさと帰ってしまい

しのぶれど の勝利となったのですね。

もともと天皇は「しのぶれど」が勝ちとは一言も言っておらず

その2首を1首ずつ口ずさもうとされたのかも知れないのです。

この論争は後世まで続くこととなります。

失意の壬生忠見はこれ以後食事もとれず

病に伏し亡くなったという逸話がありますが

もともと身分も低く絶対的な自信を持っていただけに

計り知れないショックだったのでしょう。

ちなみに彼の父は

 

有明のつれなく見えし別れより

暁ばかり憂きものはなし

 

と 詠んだ壬生忠岑であり、藤原定家も絶賛する歌人です。

身分は低くとも親子して優れた才能だったといえます。

 

今日まで続くこの論争は優れた2首によるものですが

あなたはどちらが好きでしょう ^-^

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木曽路の宿場町巡り ( 馬... | トップ | 願いごと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

つれづれ」カテゴリの最新記事