子供のころからお正月になると
我が家では百人一首がカルタでした。
両親の故郷の風習でしょうか
幼いころからずっと親しんでいると
門前の小僧よろしく覚えるものですね。
百人一首もいろんな背景を知るとさらに興味深いです。
さて、そんな中よく取り上げられる 「 忍ぶ恋対決 」 は
授業の資料にもなっているのですね。
左右に分かれて「お題」の歌を詠み合うのですが
平安時代~ 鎌倉時代の初め頃まで行われた歌人の一大イベントでした。
村上天皇の御代、お題は「忍ぶ恋」
この時しのぎを削ったのは
平兼盛と壬生忠見です。
「 平兼盛 」
誰にも知られないように隠していたのに
私の恋は顔に出てしまったようだ・・・
平兼盛は10世紀ころの歌人で36歌仙のひとりです。
「 壬生忠見 」
恋をしているという私の噂が世間に知られてしまった。
誰にも知られぬよう秘かに思い始めたばかりというのに・・・
この2首は審査員も甲乙つけがたく困ってしまい
主催者である村上天皇の方を見た。
天皇は「しのぶれど・・・」 と小さく呟かれ
それを聞いた平兼盛は 「勝った!!」とばかり
まだ途中でもあるのにさっさと帰ってしまい
しのぶれど の勝利となったのですね。
もともと天皇は「しのぶれど」が勝ちとは一言も言っておらず
その2首を1首ずつ口ずさもうとされたのかも知れないのです。
この論争は後世まで続くこととなります。
失意の壬生忠見はこれ以後食事もとれず
病に伏し亡くなったという逸話がありますが
もともと身分も低く絶対的な自信を持っていただけに
計り知れないショックだったのでしょう。
ちなみに彼の父は
有明のつれなく見えし別れより
暁ばかり憂きものはなし
と 詠んだ壬生忠岑であり、藤原定家も絶賛する歌人です。
身分は低くとも親子して優れた才能だったといえます。
今日まで続くこの論争は優れた2首によるものですが
あなたはどちらが好きでしょう ^-^