まだ私が大阪で、新病院の検査室立ち上げ禍中だった頃
朝起きた時から寝るまで、分秒単位でのスケジュールに追われて
仕事漬けの日々を過ごしていました。
田舎では母が何度かの膝の手術を受けて正座が出来なくなり
長年続けていたお茶とお花の出稽古も家の稽古も
自分でもう限界と判断して退いていました。
父が亡くなって以来兄一家は近くにいるものの
昔ながらの古くてだだっ広い家にひとりいることが心配で
月に1度は実家に帰っていたものです。
「 大阪で一緒に住もうよ。私も安心だし 」
どう見ても兄夫婦との同居はなさそうにみえて
娘と暮らす方が気楽でいいはずです。
何度そう話してみても
「 ひとりでやれるうちはここにいるわ。親しい人はみんなこのまわりにいるのだし 」
と、頑固に首を縦にふりません。その気持ちもわかるのです。
ある日、システムの都合で土曜日の作業が急に中止になりました。
連絡はしていないけど帰ってみようか・・・
思い立って実家に帰ってみると母は留守でした。
どこに行ったのだろう・・あの足では遠くへは行けないはずだし・・・
買い物は一人では行けないし、午後に病院ということはないだろう。
玄関の鍵も開いてたからすぐ戻るつもりだったのだろう。
取りあえず隣近所を探しても見当たらなくて
私は車で近くを走ってみることにしました。
母は携帯などは持たない人です。
お天気も良く日差しも暖かい午後です。
もしかしてゆっくりと散歩にでも出たのでしょうか。
家から700mほどの市役所の近くが公園になっていて
すぐそばの土手沿いは桜並木の美しい所です。
まさかとは思いつつゆっくり探していると
少年野球をやっているグランドでは家族も含めて
賑やかに応援していました。
ふとみると、すこし離れたベンチに座っている人の後姿が・・・
母だ・・・こんなところで何を・・
ひとりベンチに腰掛けて
白球や少年たちを目で追っているのかと思うと
目の前の少年野球を見ると言うより
ただ視線をそこに置いていると言った感じで
心はどこかへ飛んで行ってるようにみえ
その空間だけがやけに寂しそうでやるせなくなくなりました。
こんなところまで杖を頼りに休み休み歩いてきたんですね。
「 こんなところにいたの? あちこち探したよ 」
そっと声をかけると驚いて、それからぱあ~ と明るく笑いました。
「 どうしたの ? 急に 休みが取れたの ? 」
ふたりで腰かけて
「 少年野球もいいねえ 」 としばらく見ていました。
いつも家で習字の稽古やパズルなどしている姿に慣れていましたが
人には極力頼らない気丈な母の一面にうろたえて言葉も続かなくて
あなたはこんな午後を過ごすこともあったのですね。・・・
それから実家に帰るのは月に2度になりました。
もう遠い昔のひとコマのようになってしまいましたね。
こちらこそご無沙汰しておりますm(__)m
当地は朝から雨、夕方になってやんでいます。
母のことはたくさん思い出があって
亡くなった当初はその整理が付かなかったものですが
年月が悲しさや寂しさを徐々にろ過して行ってくれて
月日はほんとに人に優しいのだ思ったものです。
くーばあちゃんはお母様を越えられたのですね。
孝行なことですね。
わたしはもうしばらく頑張らないと ^-^
いつになっても母は母。
ずっと拠り所でいてくれますね。
コメントありがとうございました。m(__)m
ご無沙汰しています。
名古屋は朝から雨の鬱陶しい日になっています。
秋桜がきれいですね。
お母さま..昔の人は弱音を絶対見せなくて..
流れるような文に..やっぱり涙しています。
亡くなった母の年齢は64歳.私はとっくに越し
ました。東京にいる息子が週末に必ず☎を
してくれて..出来る限り元気な声で..
yuzuさんの温かい文を読みながら久しぶりに
母を想いだしました..多謝!!