難有ればこそ有り難し

解答編

さて解答編をば٩(ˊᗜˋ*)و

胸のチクチクとした痛みに気づかない振りをし、いつも通りの朝を迎えた。

何時まで寝てるの!!
昨日、風呂入ってないでしょ!
シャワーしてきなさい!

と娘との朝からのドタバタ劇も相変わらず(笑)

この春から支援学校へ転校し、娘の学校までの距離は朝のラッシュ時には片道1時間かかる。
チンタラと流れる高速道路を走る朝も変わらない。

そのまま娘を学校へと送り届け
来た道をUターンし
自身の学校へ向かう。

そんな1日の流れも随分と当たり前になりつつある。

娘を送り届けた後に自身の学校へ直行するため朝は皆より早くに到着してしまう。

そんな訳だから近くのコンビニでコーヒーを買い朝の一息をつく数十分が少しだけ楽しみだ。

今朝もいつも通り。
早く着きすぎたからコンビニへと向かった。

一足前にご老人が歩いていた。

ゆっくりとした歩幅で危なかしい足取りだ。

追い越そうにも出来ず……。

ま、まだまだ時間はたっぷりあるしな(ˊᵕˋ)
と後ろにのんびり続いた。

同じコンビニに入店し、いつも通りコーヒーを手に取る。

休憩が取れるかは日によってマチマチなため
昼ごはんを買うか?
おやつ程度に留めるか?
悩みながらも惹かれるおやつもなくコーヒーだけを手にしてレジに向かった。

前には先程のおじいちゃんだ。


順番待ちをしながら何となく様子を眺めていた。

何やら困った顔の店員さん。
学生さんだろうか?
若いお兄さんだった。

おじいちゃんが選んだのはおにぎり1つ。

•́ω•̀)?ハテ
と更に様子を眺めていた。

おじいちゃんは罰が悪そうに、
小銭入れをガサゴソしながら

お金が足りないかな?
これは買えないかな?
何なら買えるかな?
と呟きおにぎりを棚に戻しに行ってしまった。

お待ちの方どうぞ。
と店員さんに促され私の番になったが……
良いのか?
と悩んでいるとおじいちゃんはまた店内の商品を選び直し始めた様だったので先にレジを済まさせていただいた。

精算を終え、外で一息ついていると数分と経たない内におじいちゃんが出てきたが、その手には何もなかった。

何だか罰の悪そうな笑顔と相反するたどたどしい足取りで歩いていく背中に哀愁を感じ今朝閉まったはずの胸の痛みにまた気付く。

更に胸が締め付けられた。

認知症の手前だろうか?
初期の認知症かも知れない。

昔、百貨店で販売員をしていた時にも似たような経験をした。
品の良い初老のご婦人が淡いピンクのセーターを手にしていた。

キレイな色ですね。
とお声を掛けた。
品のある笑顔で
好きな色です。
と教えて下さった。

きっと似合うだろうと想像がつくほど素敵なご婦人だったので、その通りにお声かけをした。

気に入ってくれた様子で試着もせずに会計を決めて下さった。

会計時。
沢山の小銭をカウンターに出し

必要な分を取って下さい。
と仰られた顔は穏やかな笑顔だった。

勿論、金額は全く足りなかった。

その瞬間にご婦人が認知症を患っていることに気がついた。

足りないことを伝えなくては行けない。
非常に胸が痛かった。
代わりに払ってしまおうか?
とも考えたが、きっとそれは正解ではない。

近くに介護のご家族が居ないか探したが見当たらなかった。

言葉を選びながら

お手持ちが少し足りない様です。
まだ商品の在庫はありますので、一度帰宅されても気に入っていただけた気持ちが変わらなければ…良ければまた後日居らして欲しい。
と商品の品番と金額。
自分の名前を書いたメモをお渡しした。

ごめんなさいね。
とご婦人の笑顔は消え、申し訳なさそうに店を後にされた。

1枚のセーターをしばらく取り置きしていたが後日ご婦人が現れることはなかったし、この対応が正しかったのかは未だに分からないままだ。

そんな10年以上も前の記憶すら引っ張り出してしまう程に胸に痛みを感じたのだ。

何故?
と考えながら自身の教室に向かったが、実習が始まる寸前までその何故が消えることはなかった。

いつもなら仲良しメンバーとワイワイ話しながら準備に取り掛かるが今朝はそんな気にもなれず一人モクモクと実習準備をした。

そしてふと気付く。

昔の私は
認知症を患ったご婦人の気の毒に胸を痛めていた。

今の私は
自身の意識や記憶が曖昧になるのが分かりながらも病を止められない老人に胸を痛めているのだ。

自身がこの先に不自由を背負うこと。
家族に不自由を背負わせてしまうこと。
それが分かりながらも病は進む。

まるで私たち親子を見ている様だった。

きっとまだ記憶がしっかりしていた頃のことも完全には消えていない様な段階だと感じた。

私は娘の介助を不自由だとは思わない。
それでも娘は、
いつもありがとう。
心配かけたり迷惑かけてごめんね。
という手紙をくれる。

歩けなくなる前は、女の子なのに毎日男の子とサッカーをし真っ黒に日に焼け門限を平気に破るような娘だった。

足の届かない自転車に跨り踏切を超え探索へ出かける。

真夏には公園に水着で向かい(笑)水鉄砲の掛け合いをし全身水浸しになるまで遊ぶ。

風邪引くでしょ!
危ないでしょ!
公園の外を走り回るな!!
門限を守りなさい!!

何度も何度も叱った(笑)

まだ5月だと言うのに

ママ、水着どこ?
と問う娘。
何するの?
と答えは分かりながらも、わざと問い返す。
水ヶ原の戦い( •̀ᴗ•́ )و
意気揚々と返ってくる。
その遊びのネーミングセンスが笑えたのだ。

まだ水遊びの季節じゃない!
と一刀両断する。
何月なら良いの?
に対し
そもそも水着で公園へ行く行為そのものを辞めて欲しいわけだが(笑)
7月かな?
と仕方なく譲歩する。

その日以来、指折り数え初夏を楽しみに待つ姿を夏になる度に思い返す。

危ないから、ママがいない時は乗らないでね!
と念を押した自転車は指折り数える程も乗れないまま錆びてしまった。

何で背が足りないような大きな自転車なんか買い与えるかな?!
と叱るとしょんぼりジイジになってしまった父の背中も忘れられない。

錆びていく自転車をみる度に何故もっと自由に遊ばせてあげられなかったんだろうと後悔し隠れて泣いた。

そんな私に気付いていたかは分からないが
自転車を処分しようか?
と娘が退院して暫くした時に、父からの提案があった。

いつか乗るかも知れないから。
と笑いながら父の提案を断る私に父は目を赤め
トイレ。
とだけ言い席を立った。

そんな大切な過去を私は忘れられないのだ。

娘もまた活発すぎる程に走り回っていた以前の自分に苦しみ泣いてきた。

皆が苦しい中でも明日を信じ生きていかなくてはいけない。

時々メンテナンスする様に自転車の空気入れをする父の背中は年々丸くなっていく。


痛い……。


胸の痛みはこれが理由だったのだと気づいた。

娘の支援学校には同じく肢体不自由の生徒さんが数名いる。

入学早々、入院してしまい未だ登校出来ていない男の子がいる。

昨日の病院へ向かう道中。

あの子まだ入院中?
と何気なく娘に聞いてみた。
というのも、たまたま娘と病院が同じだという事を知り勝手に私が気にかかってしまったから。

分からないけど…退院したけど来たくないから休んでるのかな?
と娘が答えた。

入学当初から一人だけ。
なんとなく、つまらなそうにしていた生徒さんだった。
先生が自己紹介を促しても頑なに無言を貫く姿に娘を重ねた。

大人でも変わってしまった我が子の姿を受け入れるのに数年かかるのだ。

娘は
彼は
まだ幼い。

そんな幼い子供たちが誰にも胸の内を語らず、ただ現実を受け入れるしかないと分かりながらも苦しむ姿はやはり苦しい。

そんな我が子を見守る親御さん達の気持ちを想像するのも苦しい。

その苦しみは身体の不自由も認知症による不自由も両者を見守る介護者も皆が一緒なのかも知れない。

それぞれが不自由を受け入れて行く過程は年齢や立場なんて関係なく等しく同じで苦しみも等しく同じなのだ。

今を大切に生きる。

非常に難しいが最も大切なこと。

改めて気付かされた出来事となった。




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