東京絵の具

日本国内の旅行地を掲載しています。

2010年10月09日 | 東北
青森県・岩手県の「戸」(へ)のつく現存地名

岩手県二戸郡一戸町(いちのへ)
岩手県二戸市(にのへ)
青森県三戸郡三戸町(さんのへ)

青森県三戸郡五戸町(ごのへ)
青森県上北郡六戸町(ろくのへ)
青森県上北郡七戸町(しちのへ)
青森県八戸市(はちのへ)
岩手県九戸郡九戸村(くのへ)

四戸町は存在しないが、現在の青森県三戸郡五戸町豊間内志戸岸が
四戸ではないかと考えられている。四戸が志戸岸に訛った説。

十戸は、岩手県遠野市(拾戸)(とおのへが訛り遠野になったと言われる)
十和田説、青森県下北郡大間町奥戸(おこっぺ)説もあり。
北海道にも、紋別郡興部(おこっぺ)町という地名がある。


中世この一帯は糠部(ぬかのぶ)郡と呼ばれており、12世紀中ころ藤原政権によって
郡の設置が行われたとされ、四門九戸(しもんくのへ)の制度が敷かれ、奥州馬が飼育され
年貢に出されていた。「戸」は貢馬のための官営の牧場を管理する9つの行政組織であった。

①三省堂 大辞林によると『戸』は、律令制で、地方行政における社会組織の最小単位。
戸籍記載・賦課の単位でもあり、里や郷を構成する。→郷戸(ごうこ)

②律令制で、戸籍編成上の戸。五〇戸で一里(郷)を構成し、班田や租税賦課の
基礎単位とされた。一郷戸の規模は大小さまざまであるが、普通二~三の
小家族(房戸)から成る。→房戸(ぼうこ)

③715年、郷里制の施行とともに、それまでの郷戸(ごうこ)のもとに設定された、
さらに小規模な戸。740年頃、郷里制とともに廃止され旧に復した。


都道府県市区町村の「四戸」はどこにあるの? -「~戸」地名について-で、
『戸』について面白い記述が多くあります。「の戸さん」の分布として都道府県別に
調査されている方がいらっしゃいますので、私は脱線して数字での総合件数で調べてみました。

一戸 2752世帯
二戸 280世帯
三戸 1935世帯
四戸 703世帯
五戸 223世帯
六戸 18世帯
七戸 589世帯
八戸 507世帯
九戸 9世帯
十戸 -
百戸 19世帯
千戸 -
万戸 51世帯
萬戸 3世帯
数戸 3世帯
戸 6世帯


話しは変わり、二戸市浄法寺町(旧:二戸郡)・一戸町、二戸市、九戸郡九戸村・軽米町は
カシオペア連邦というミニ独立国家である。1981年に刊行された井上ひさしの小説
『吉里吉里人(きりきりじん)』が評判になり、町興しの一環として建国ラッシュが
相次いだミニ独立国のひとつである。現在ではブームが去り、全国各地独立国の言葉を
聞かなくなった。都道府県規模では、都道府県独立国家論というのもあり、町おこし、
地域おこし(地域振興)あるいは政策を再構築する目的での議論が主にされているらしい。

この記事についてブログを書く
« 馬仙峡 | トップ | 笹森展望所 »