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四国88箇所 歩き遍路 42日目 結願

2015年12月14日 | 旅行記(過去)
■11/1:雨、曇時々晴れ
→86:志度寺(しどじ)→87:長尾寺(ながおじ)→88:大窪寺(おおくぼじ)
宿泊:88:大窪寺(通夜堂)

・昨日の宿:八栗寺(通夜堂)

讃岐国(香川)は「涅槃の道場」で23ヵ寺あり、様々な苦を絶ち、一切の煩悩を滅ぼし、
不生不滅、解脱の境地を目指す。涅槃とはそういう意味になります。

本日は4:30起床。5時から通夜堂の奥でお勤めがあり、和尚様と一緒にお経を唱えた。
今度は違うお堂に移動して、お経を唱えながらタオルのようなもので、体をマッサージする
ような感じで悪霊を祓う儀式をした。

午前中は雨が凄く降っていた。行く準備をしていると、おばちゃんが1000円を接待してくれた。
また、柿やお菓子などもいただいた。昨日から、食べ物の接待を多くいただいており、自分では
食べ切れそうにないので、お地蔵さんにお供えしてきた。朝食は、昨日、親子丼を食べた食堂で
他人丼を食べた。魚をおまけしてくれた。

揺るやかな坂を下り香川県道を進むと、平賀源内の旧邸があった。本日は、何とか最後である
88:大窪寺まで行こうと思いっていたので、いつもより早足で歩いた。

86:志度寺に到着。納経所のおじさんと話しをしていると、昨日お寺でボヤ騒ぎがあったようで、
職業遍路の仕業だと言っていた。非常識な遍路がいることが残念でならない。

87:長尾寺では、菊の展示会をしていた。昼食にたらいうどんを食べて、12時30分頃であったが、
約5時間かかる88:大窪寺まで全力で向かうことにした。

今日は急いでいたので、左足のスネが異常な痛みをみせ、テーピングを巻き直した。それでもまだ痛くて、
約1時間プラスされる女体山の緩やかなコースを選ばざるを得なかった。前川ダムの途中で更に痛み、
88箇所目を前にして、最後の最後に試練を与えてくれたようであった。
これほどの痛さは、高知の27:神峯寺の下り、香川の別格札所・神野寺の帰り道以来と等しい。
痛いけれども、歩き続けなければ山の中で野宿になるので、歩き続けるしか無い。

高知のラーメン屋でいただいた錦の納札を足に近づけて、痛みが治まることを願ったりもした。
最終的には、痛すぎるのに慣れて痛みが慢性化してあまり気にならなくなった。

大窪寺に近づいてくると、これまでのことをいろいろと思い出しながら、一歩一歩大切に歩いた。

最後の女体山は、遍路道というよりも岩登りで、重い荷物を背負い岩にしがみつきながら登った。
女体山を登り切った時は本当に感動した。遍路の最後の最後に、このようなコースが待っているとは
何というサプライズ。そして、木漏れ日と霧が合わさった遍路道を歩いたが、幻想的であった。

88:大窪寺へ到着。本堂前に着いたのが16:40分で、一般的な速度の1時間30分ほど早く着いた。
そして、いろいろと思い出しながら四国遍路最後のお経を本堂と大師堂で唱える。
大窪寺では、希望があれば有料(2000円)で「結願証」を発行してくれる。

全てを済ませると17時を過ぎていたので、周りの店は全て閉まり夕食の確保が不可能になったが、
民宿八十窪のおばちゃんがオニギリを3つ接待してくれた。それと、昨日今日といただいていた食べ物を
食べたのでお腹は満たされた。托鉢していたおじさんと、結願の祝いの御神酒を一緒に飲んだ。

そして、大窪寺の通夜堂を借りたが、電気もなく広い場所で寒かった。電気が無い通夜堂は初めてだった。

「四国88箇所歩き遍路は、42日目で結願した。」

ただ、1番札所の霊山寺まで戻り徒歩で四国一周もしたかったので、まだ明日以降も歩かなくてはならない。
そのため、まだ私の中では完全に四国遍路は終わっていない。しかし、込み上げてくる達成感。

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四国八十八箇所で唱える『般若心経』は、日本で最も親しまれているお経で、256文字から成る。
10年以上経った今では、ところどころ忘れてしまった。巡礼中は寺院以外でも、足が痛い時とかも何度も唱えた。
YouTube般若心経 延々繰り返し聞き流し練習用
ロック風現代語訳「般若心経」

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