聖書と共に

B.F.バックストン宣教師

バ-クレ-・フォウェル・バックストン(1860ー1946年)

バックストンは明治時代に日本に来た英国の
宣教師です。
バックストンはケンブリッジ大学在中に、米国のムーディーによってキリストに導かれた人です。
1890年(明治23年)、30才の時に神戸港に上陸。
山陰の松江市を拠点とし、米子などで伝道活動を始めました。
当事の日本のキリスト教会は、ドイツからの新神学により命を失っていた。バックストンは、その教会に対して、単純大胆に聖書の言葉を語りました。
誰にでも「聖霊を受けよ」と迫りました。更に、その高潔な人格をもって人々に接し、人心をとらえました。バックストンの説教は、聞かせる以上に、見せる説教でした。同師の説教を聞いていると、いつのまにか同師の姿が消え、主イエスが、そこで語っているように感じられたという。

内村鑑三は宣教師嫌いで、「宣教師よ、みな早く祖国へ帰れ」と言っていましたが、バックストンは別だ。「バックストンは人類の華だ」と激賞された。
ある日、キリスト教を邪教と見た20名ほどの青年達が、おのおの手に棍棒を持ってバックストン師を取り囲み、暴行の限りを尽くして逃げて行く時に、割られた額から流れる血潮を拭いもやらず、右手を高く挙げて叩いた青年達の為に祈っておられる姿を見て、キリスト教へ導かれ要職に着かれた人がいます。
1893年、宣教師や日本人の為の会合を神戸で開き 有名な中国の宣教師、ハドソン・テーラーを招き修養会を行った。
同志社大学、在学中の竹田俊造は、大学の教壇の元にひざまずいて祈るバックストンを見て、松江でバックストンの弟子になる。
バッkストンは英国で日本伝道隊を作り、日本の福音に大きな影響を与えました。
その弟子達の一部の氏名を挙げます。

笹尾鉄三郎;東京聖書学院初代委員長
竹田俊造;日本伝道隊の指導者
堀内文一;自由メソジスト教団の創設者
米田豊;ホ-リネス教団の指導者
大江邦治;アライアンス教団の指導者
澤村五郎;聖書学舎、現、関西聖書神学校の校長
舟木麟一;前橋キリスト教会、福音伝道団の指導者
鋤柄熊太郎;日本同盟基督教団の創設者
佐藤邦之助;日本イエス・キリスト教団牧師
   *******
バックストンの聖書のか書き込みから

主イエスと共にある時には
最も醜悪な者が清くされ、不純者が強くされる。
        マルコ8、ルカ5ー12~26
ブドウの木である神の国は、唯、枝を通してのみ拡張される。      ヨハネ15章

ダビデは神の殿を建てる事を許されなかったが
詩編を書く事を許された
これは、今日でも神の栄光となっている。
            第二サムエル7章
主は、ことさらに、敬虔を装い給はなかった。
○安息日に病人を癒し
○食事の時に手を洗わず
○取税人、罪ある者どもの中を往来し、
   同様に飲食し、特別な断食もしなかった。
ペテロは、彼の最善をなした時に、自分の心が如何に悪しきものであるかが判った。
ぺテロは、彼の最悪をなしたる時に、キリストの心が、いかに福祉なるものであるかが判った。

聖書は聖霊の声である。
使1-16、25、Ⅱテモテ3ー16、ヘブル3章、Ⅱペテロ1ー21

智からんとする者は箴言を読め
潔からんとする者は詩編を読め

試練の時を通る時は
①神の隠れある事を知れ (詩編57-1、142-5)
②神よりの助けを期待せよ (詩編57-2,142ー7)
③神の崇められる事を願とせよ (詩編57-5)
④心を神に堅く向けよ (詩編57-7)
⑤神を頌めよ (詩編57-7、9、142-7)

参考書;信仰の報酬(B・G・バックストン箸)
          小島 伊助訳
   ;神の聖なる人 バックストン
          森山 諭


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