聖書と共に

全ての人の罪を十字架に

私達、日本人はよく、「人並みに」と言う
言葉を使います。すなわち横並びの精神であり
相対的な物の見方をします。
そんな私達に「罪とは」と言われても、みんな
一緒と済まされてしまいます。

私も、キリスト教会へ行き初めの頃、
「イエス様はあなたの罪の為に十字架で死んで
下さったのですよ!」と言われても、私は
「イエス様が十字架にかけられる程の大きな罪
は私は犯していません」と心の中で思っていま
した。

しかし、聖書を読み、牧師の説教を聞く内に、
絶対者であられる神様がおられる事と、その前
の私の姿が分かってきました。(聖霊の働き)

私は神様を無視し、自分勝手な人生を歩んで
いました。この事が大きな罪であり、的はずれ
な人生でした。これが罪の根幹でした。
私達の日常の罪は、その枝葉末節です。

「一度、死ぬ事と、死んだ後に審判(さばき)を
受ける事が人には定まっています。
              (ヘブル9ー27)
「罪を犯せる霊魂は死ぬ」  (エゼキエル18-4)

永遠の命がある様に、永遠の死もあります。

そうならない様に、イエス様は全ての人の罪を
十字架に付けられました。

それを受けるのは信仰のみです。

「今も、涙をもって言うのですが、多くの人々
がキリストの十字架の敵として歩んでいます」
              (ピリピ3-18)


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