聖書と共に

瞬きの詩人・水野源三

今日は、「こんな美しい朝に」(水野源三の世界)から抜粋し。ご紹介します。
水野源三は1946年(昭和21)生まれ。彼が小学4年生の時に長野県埴科郡坂城町で集団赤痢が発生し、源三も赤痢で、高熱が続き脳膜炎を起こした。意識を取り戻した時には、体の自由を奪われ、6畳の間に臥す身となった。

当時、父は農協に勤め、母は自宅でパンの委託加工販売をしていた。
彼らが何よりも嫌ったのは宗教である。見慣れない親切顔の人が、「今晩は」とやってくると、たいていは宗教の勧誘だった。頼みもしないのに、
おはらいや、まじないめいた事を繰り返される度に、一家は不安と不快の念におそわれた。

そのじつ、母のうめじは何とか源三を治したい一心で勧められる事を次々してみるのだった。
狐がついていると言われれば、息子をうぶって、お参りし、まじないも、加持祈祷も、あらゆるものをやってみた。

母は暑い日も、寒い日も、上田市に源三を背負ってマッサージに通い、近くの温泉に専門の先生が
来たと聞けば連れていった。

ある日、一人の牧師がパンを買いに来た。坂城町出身の宮尾隆邦牧師であった。伝道者は郷里では
受け入れられにくいと言われているが、事実、宮尾牧師も大変な苦労をした。彼はすでに、進行性筋委縮症にかかっていた。

牧師が二度目のパンを買う時、病人がいる事を知り、牧師は様子を尋ねて、母が源三の事を話すと
宮尾牧師は黒い表紙の小型の聖書を置いて帰った。これが源三と聖書の出会いとなった。

宮尾牧師は、その後も誠実に訪問を重ね、福音を語った。源三も、これまでの宗教とは違うものを
感じ、耳を傾けた。

源三は小学4年生の一学期までしか学校に行ってないが、利発な子である。聖書を読むようになった。こたつの上に本を立てかけ、母にページを
めくってもらいながら読み進んだ。

源三は渇いていた。生きるために水を求めていた。いのちの水は、源三の心にそそがれた。
1950年(昭和25年)に洗礼を受けた。
善行を積んだからではなく、神の一方的な恵みによって、罪が赦される。和解の福音を受け入れる事で、人は新しく生まれ変わる。この奥義を信じ受け入れた源三の心は軽くなった。

顔つきも変わった。いつもにこにこし、弟妹が口を揃えて、「ほうとうに源ちゃんはパッと変わった」と言うほどの劇的な変わりようであった。

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水野源三さんの詩集より

神様
今日も御言葉を下さい
一つだけで結構です

私の心は小さいですから
沢山いただいても
溢れてしまい
もったいないです

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聖書は聖霊の照明がないと、分かりません。



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