聖書と共に

詩編と古文

聖書には詩歌があります。ヨブ記、詩編、箴言、
伝道の書、雅歌です。
蔦田二雄先生は、ヨブ記は「詩歌」という鳥が
飛び立つ大地。詩編は、その胴体。箴言、伝道は
、その二つの翼である。(箴言は積極面、伝道は
消極面)と言っておられます。雅歌については
言及がありませんが、私の推測では目かな?と
思います。

さて、文語訳聖書は、明治時代に書かれましたが
その文体は格調高く、名訳だと思います。
しかし、昔の記述言語のため、やや、難解な言い回しにぶつかります。その例をご紹介します。

①ならましかば (詩編27-13)

 「もし、我、主の恩寵(いつくしみ)を生ける者の地にて見るの恃(たのみ)なからましかば、いかにぞ。」 私の訳では
「もし、私が、この地上で主の恩寵を見る事を
期待する事が出来ないなら、どんなだろう。」

 仮実化想(もし~としたら、~だろう)
神無月の頃、この木なからましかば (徒然草)

②しも (詩編18-30)

 「神はしも、その道、全く、主の言葉は潔し、主はすべての依頼する者の盾なり」
 「この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実味です。主はすべてより頼む者の盾です。」 (口語訳)

今日はしも端におわしますけるかな (源氏物語)
今日に限って端所にいらっしゃった。

③ねもころに (詩編77ー6)

 「我、神を思い出て、打ち悩む。我、思い
嘆きて、我が霊魂は衰える。~我、夜、わが歌を思い出づ、我、わが心にて深く思い、わが霊魂は、ねもころに尋ね求む。~神は、恩を施す事を忘れたもうや。」

ねもころに=「心を込めて、熱心に」

あしひきの、山菅(やますげ)の根の、ねもころに
我(あ)ればぞ、恋(こ)ふる、君が姿を (万葉集)

山の山菅の根が深く根付く様に、私は、あなたの
姿を、心から恋しく思います。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る